1-7. ブルースフィアが見せた謎



 匂いフェチゴーレムのストンは、俺たちを部屋の中のテーブルにつかせると、手際よく食事と飲み物を持ってきた。


「ヴィオラ・サン、オナカヲ空スカセテ、イラッシャルヨウデシタカラ」


 そう言われて、ヴィオラはますます顔を赤らめる。どうやら記憶情報を同期した際にヴィオラの空腹状況まで分かってしまうらしい。


 ストンが「檸檬月れもんつきの涙」と言って出してきた飲み物に口をつけてみる。かぐわしいハーブの香りに、口の中で広がるほんのりとした酸味と苦味。味はほとんどレモンティーだ。森で食べたりんごといい、味覚が現代日本と近いのはこの崩壊世界の中での不幸中の幸いだと思う。


「ねぇストン、おばあちゃんがどこに行ったか知らない?」


 ヴィオラが尋ねると、泥人形はきょとんとした様子で答えた。


「分カリマセン。ヴィオラ・サンガ、コノ小屋ヲ出テカラ、ストンハ、エネルギー源ヲ失イマシタノデ、オバアサンガ、ドコヘ行ッタカハ、見テイナイノデス」


「じゃあこの書き置きに何が書いてあるかは読める?」


 ヴィオラが木机に置かれていた手紙をストンに渡す。すると、ストンの目の光が一層強くなり、一文字一文字スキャンするようにして光を照射していく。解読しているのか? まるで次世代ロボットのようだ。記憶情報の同期ができることもそうだが、呪術式ゴーレムとはこんなにも高性能なのか。エネルギー源の悪趣味さを除けば、案外バカにできないかもしれない。


 俺がそんなことを考えていた時——


「……読メマセン」


「読めないのかよ!」


 思わず、大声でつっこんでしまった。


「コレガ、コノ世界デ普及シテイル文字デアルコトハ、分カルノデス。オソラク、前回起動シタ時ノストンデアレバ、読ムコトガデキタデショウ。タダ」


 ストンはちらりとヴィオラの方へ視線を向ける。


「先ホド、記憶情報ヲ同期シタ際、ヴィオラ・サンノ言語知識モ同期シテイマス。ヴィオラ・サンガ忘レテシマッタ言葉ハ、ストンモ一緒ニ忘レテシマウノデス」


「だめじゃんそれ……」


 念のため聞いてみたが、どうも呪術式ゴーレムにはバックアップという概念はないらしい。


 途方にくれる俺とヴィオラ。一方ストンはふと何か思い出したように部屋の隅の物置場をごそごそと漁りだした。


「ソウ言エバ、オバアサンカラ、言イツケラレテイタコトガアリマシタ」


 彼がそこから取り出したのは、木でできたいわゆる魔法の杖のような形状のものだ。片手で持てるほどの短さで、先端は木が巻きついているようなシンプルなデザインになっている。


 ストンはその杖をヴィオラに手渡す。


「コノ杖ヲ、ヴィオラ・サンガ困ッテイル時ニ、渡スヨウニト言ワレテオリマス」


「杖……? 、そういうわけにも——」


 彼女が杖を受け取って、そんなことをぼやいた瞬間だった。


 杖の先から白い光がほとばしり、ストンが手に持っていた書き置きを包み込む。


「な、なんだこれ……!?」


 俺は目を疑う。


 光に包まれた書き置きから、文字が滲み出すようにして宙に浮き上がったのだ。文字はカタカタとそれぞれに形を変え、光が消えるのと同時に元あった場所に戻る。そこに記されていたのは、先ほどまでの異世界の言語ではなく、俺たちが今使っている日本語だった。杖の力で文章が書き換わってしまったのだ。


「ヴィオラ、読んでみて」


 彼女は頷くと、書き置きの内容を読み上げた。




————————



ヴィオラへ


一刻を争う状況じゃから、簡単な手紙だけ残しておくことにする。


まず、わしのことは心配するな。しばらくは崩壊の影響が及ばない場所に身を潜めておく。落ち着いたらまたこの小屋に戻ってこよう。ま、行き先がよほど居心地が良ければそのまま居ついてしまうかもしれんがの。


じゃが、お前は自分でこの世界に残ると決めたのだから、そうまでして救いたい者たちのことだけを考えなさい。


……と言っても、昔から忘れっぽいお前のことだ、この崩壊の影響で自分の目的すら忘れてしまった、なんてこともあるかもしれぬ。


せめてもの置き土産じゃ、万が一お前の記憶が飛んでしまうようなことがあったら、小屋にあるブルースフィアに手をかざしてみなさい。そこにわしの手元にあった記録を詰め込んでおいた。少しは何かの手がかりになるじゃろう。


あと、ストンに言いつけておいたのじゃが、杖はもう受け取ったかの? いつかこういうことがあるやもしれんと、あれには幼い頃に有り余っていたお前の能力ちからを溜め込んである。最近めっきり能力を使えなくなったお前にとっては心強いものとなろう。


ただし、『ナ・レート』の使い方を間違えないように。昔から何度も言い聞かせているが、改めてもう一度忠告する。


いいかいヴィオラ。


この世界を崩壊から救えるかどうかは、お前の『ナ・レート』の使い方次第じゃ。そのことを決して忘れるでないぞ。



————————




 読み終えたヴィオラは複雑な表情を浮かべていた。……無理もない。「森のおばあちゃん」がおそらく無事であると分かったのはいいが、それ以外の内容が重すぎる。


 この書き置きが正しいのだとすれば、記憶を失う前のヴィオラは「救いたい人」がいるからこの崩壊世界に留まることを決めた。そして彼女は俺と同じく『ナ・レート』の力を使うことができ、その力の使い方次第で世界が救われるかどうかが決まるのだという。


「わたしは一体、何のために……」


 彼女の能力がストックされているという杖を眺めながら、ヴィオラは自信なさげに呟く。


 不安なのは彼女だけじゃない。書き置きの中では言及されていないが、同じく『ナ・レート』が使える俺にとっても他人事ではないはずだ。便利な力だと思って、ここに来てから何度も使っているが、それがもし「森のおばあちゃん」の言う間違った使い方に該当していたとしたら?


「トリアエズ、ブルースフィアヲ見テミマセンカ? ヴィオラ・サンガ、何カヲ思イ出スキッカケニ、ナルカモシレマセンシ」


 この時ばかりは、ストンの空気の読めなさが幸いだった。俺はヴィオラと顔を見合わせ、トコトコと歩くストンの後をついていく。


「コチラデス」


 彼が案内したのは、小屋の二階だった。そこには深い夜のような瑠璃色をたたえた水晶玉があった。これがブルースフィアのようだ。


 ヴィオラは恐る恐る手をかざしてみる。そこから先はブルースフィアに吸い込まれるかのようだった。彼女の手がするりと水晶玉の中に溶け込んでいき、身体ごとその中に飲み込まれていく。


「ヴィオラ!?」


 俺は慌てて彼女の身体を掴んだ。だが引き止めることはできず、俺までもが水晶玉の中に飲み込まれていく。


 何が起きたのか分からない。


 まるで夢に落ちた時のように自然な感覚で、俺の目の前の景色はがらりと変化した。


 そこは怪しげな森の中の小屋ではなく、明るい日差しの下でのびのびと作物が育つ畑、穏やかな川のせせらぎ、小動物たちの鳴き声と草むらをかき分ける音、そして談笑に満ちた賑やかな村——


 どこか見覚えのある構造の村だと思えば、そこは俺たちがオークたちに襲われた村と同じ場所らしい。少しも崩壊の傷痕がないその村に住んでいるのは……人ではなかった。俺たちが出会ったモンスターたちこそが元々の住人だったのだ。


 だが、明らかに俺たちが見た光景とは違うところがある。モンスターたちは殺気立ってはおらず、時折村の中を通りがかる人間——おそらく行商人か何かだろう——に対して積極的に話しかけ、和やかな表情を浮かべていた。とてもいきなり襲いかかるような気質には見えない。


(どういうことだ……?)


 村を行く人々の中で、ふと見慣れたシルエットが目に入った。


 あれは——ヴィオラだ。


 彼女はあの大きなメッセンジャーバッグを背負って歩き、村の家々を訪ねては住民であるモンスターたちにバッグの中に入った手紙を差し出している。やはり郵便屋のような仕事をしていたのだろうか。


 あるモンスターが困ったような表情を浮かべてヴィオラに何かを相談している。ヴィオラは話を聞きながらすらすらと紙に何かをメモすると、モンスターから金貨を受け取り、一礼してその家から出た。彼女が向かうのは村の外、その道の先には巨大な城がそびえている。


 あんな城、崖の上からは見えていただろうか? 何もかも崩壊しているせいで気づかなかったのかもしれない。


 やがてさも当然と言わんばかりに、光景が一転。


 今度は穏やかな風景ではなく、どこかおごそかな雰囲気の漂う建物の廊下にいた。もしかして、あの城の中に入ったのだろうか?


 なにやら話し声がして、俺はそちらに意識を向ける。すぐそばにある部屋の中からだ。


 まるで自分が透明人間になったかのように、俺はするりとその部屋の中の様子を見ることができた。そこにはヴィオラと——美しいレースが施されたドレスを着た女性が一人。ヴィオラだって十分顔立ちは整っている方だとは思うが、横に並ぶ彼女を見てしまうと急にヴィオラの影が薄くなってしまうくらい、華やかできれいな女性だった。


 彼女が優しい視線をヴィオラに投げかける。ヴィオラが先ほど村でモンスターの話を聞きながら書き留めた紙を見せると、その女性は長くつやのある桃色の髪を耳にかけ、穏やかな声音でそこに書かれた文章を読み上げた。ヴィオラは彼女の口から発せられる言葉一つ一つに目をきらきらと輝かせ、まっすぐに視線を向ける。尊敬、そして憧れが込められた眼差し。


 ヴィオラのこんな顔、今まで一度も見たことがなかった。常にどこか暗い表情を浮かべていたから、もともとそういう性分なのかと思っていたのだ。


(けど、違ったんだな……)


 なぜだか少しだけ、懐かしさを覚える。


 初めて見た気がしないのだ。彼女のこの表情、俺はどこかで——




「姫さま……!」




 ヴィオラのその声で、俺ははっとした。目の前の景色は、あの温かな空気に包まれた城の一室ではなく、薄暗い森奥の小屋に戻っていた。


 すぐそばで、すすり泣く音がする。


 ヴィオラがブルースフィアの前で膝をつき、紫色の瞳からぽろぽろと涙をこぼしていた。


「少し思い出したの……この世界はもともと何の争いもない平和な世界で、人も魔物も、みんな言葉を交わして分かり合い、お互いを尊重していた……。わたしはお城に仕えていて、国じゅうの手紙を運ぶ仕事をしていたんだ……。時には姫さま宛の手紙を届けることもあって、姫さまはいつも手紙が届くのを楽しみにされていた……だからわたしは……わたしは……!」


 その先は嗚咽が混じり、言葉にはなっていなかった。


 俺はただ黙って、その小さな背中をさする。


 ブルースフィアを覗いてみて分かったのは、あの村のモンスターたちがもともとは気性穏やかで人間と共存していたこと、そしてヴィオラが慕う優しい姫がいて、この国は平和に満ちていたということ。


 一方、依然として分からないのは——そんな状況下で、いったい誰がこの世界を崩壊させたのか。


 そしてその原因不明な崩壊世界を何とかしうる可能性を秘めている『ナ・レート』の力とはいったい何なのか。


 ……まいったな。


 どうやら俺は今、東大模試なんかよりよっぽど難しい問題に直面してしまっているようだ。



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