1-2. 異世界行ったらすべてが崩壊していた
困った。
何も見えない。聞こえない。
まるで強制的に耳栓してまぶたの裏側を見せられているような感覚。
俺はさっきまで家の裏の山にいたはずだぞ?
地面を蹴って、ジャンプして、強風に傘が持っていかれたと思ったら、身体が浮き上がって……
それからどうなった?
順番に思い出してみようとして俺はゾッとした。
何も覚えていないのだ。
頭を強く打って記憶が飛んだか?
いや、だとしたら
……とにかくまずは一つずつ整理してみよう。
結局のところ、俺は今どこにいるのか。
少なくとも、ここが自宅付近ではない別の場所だということは確かだ。
なら、死後の世界とやらか?
それとも……異世界か?
待て待て待て待て、こんな何もない場所が異世界?
興ざめもいいところだぞ。
だってほら、子どもの頃に想像していたのは、もっと広大な緑の広がる景色とか、厳格な王が住む城とか、空飛ぶドラゴンとか……。
何一つない、こんな暗闇が異世界だなんて。
なぁ、せめて魔法くらい使えないのか?
例えばさ、よくあるファンタジーRPGみたいに、空気中に存在するエネルギーを帯びた微粒子を
で、そいつはただ存在するだけじゃ別に自然にも生物にも何の影響も及ばさないが、人間の脳内イメージと化学反応を起こす性質を持っていると仮定しよう。そう、その性質を上手く利用したのが「魔法」ってわけだ。
まずは呼吸、あるいは魔素を大量に保有しているものを食することで魔素を体内に摂取する。次に魔素によって具現化したいものを頭の中でイメージする。ただし体内にある魔素の量が具現化できるもののエネルギー量と対等でなければいけないからここは注意が必要だ。そしてイメージが固まったら、化学反応を起こすためのトリガー、つまり呪文を唱える。
ちょうどこんな風に……〈ロエモ・ヨヒ〉——
ボッ!
「ひゃっ!?」
真っ暗だった視界の中で突然火花が散って、俺は思わず情けない声を出してしまった。
何度も何度も右手で目をこする。
左手の人差し指の先端がほんのりと暖かい。
そこには小さな火が灯っていた。
何もない場所から生まれ出た、小さな火が。
まさか……本当に、魔法?
魔素なんてものの存在に科学的根拠はないはずだし、ましてやさっきの呪文なんて、俺が小学生の頃に考えた適当な呪文だぞ?
ゆっくりと指先を掲げてみる。小さな火に照らされて、ようやく周囲の様子を見ることができた。見えると言っても一面土の壁だが。どうやらここは洞窟の中のようだ。そう思うと、嗅覚が急に働きだして地下の土の湿っぽい匂いが鼻の中に満たされていく。
前方と後方、目を凝らしても光は見えない。出口は遠そうだが、こうして何不自由なく呼吸ができているということはどこかから空気が入り込んでいるはず。
「それなら……〈クキオオ・トオ〉!」
呪文を唱えると、しんと静まっていた洞窟の中で微かに風の音が聞こえだした。
「こっちだな」
風の音がする方へと歩きだす。
ちゃっかり魔法を使いこなしてしまっているが、ここが本当に異世界だと断定するにはまだ早い。まずはこの洞窟を抜けて状況を確認、本当に異世界なら誰か人を頼って元の世界に戻る手がかりを探すしかない。こういうのってあれだろ、だいたいその国の権力者とかあるいは敵サイドのボスが元の世界に戻る方法を知ってるもんだろ? だからセオリー通り行く先々の村の問題を解決して名声を上げて……
いや、待てよ。
俺は自分の思考を一時停止する。
そんなに戻りたいのか? あの退屈な現実世界に。
確かに、別に何か不自由があるわけじゃない。
両親は健在でごくごく一般家庭の生活ができているし、受験だってやることは多いが勉強すること自体嫌いじゃない。学校は休日に一緒に遊ぶような友人はいないが、進学校だから勉強だけしてても文句を言われることはないし、なんだかんだ距離感の保ち方を知っている奴らばかりだからまぁ居心地はいい。
かといって、夢中になれるものもないんだ。
何もかも、世間一般の高校三年生としてやらなきゃいけないからやっているだけ。俺自身がやりたいことが何なのか、正直よくわからない。
現実世界に戻ろうと思った理由だって、よくよく考えてみれば両親を心配させたくないからとか、塾で面倒見てくれる先生に迷惑かけたくないからとか、学校で不登校扱いされるのが嫌だとか……全部他人事とか世間体のためだ。思い残していることがあるわけじゃない。元の世界に戻ったら、また元通りの退屈な日常を再開するだけだ。
そんな日常よりも今、気になるのは。
俺は元来た道を戻り、自分が最初に目を覚ました場所へ向かう。……あった。俺をこの不可解な場所に連れてきたであろう
傘はところどころ骨が曲がったり、穴が空いていたりする。全く覚えていないが、この様子を見る限りは本当にあの強風の中で空を飛んだということらしい。
傘を固定していたタコひもをほどき、傘のてっぺんと持ち手のところに結び直した。クソださいが、これで肩にかけて運べる。このよく分からない世界で片手が塞がるよりはマシだろう。
そして、てっぺんにくくりつけていた金色の紙飛行機を外し、もう一度それを開いてみる。その中には変わらず助けを求める文章と、現実世界には存在しない言語が書かれている。
『
造語遊びにはまっていた頃、あの子がつくった言葉。どこの誰とも知れない人から届いた手紙のこと。
「稀文にはね、特別なキモチがこもってるんだよ。名乗らないぶん、ふだん以上にホンネが出るんだ。だからそういうお手紙がとどいたときはね、絶対にムシしちゃいけないんだよ」
あの子は俺にそう言った。そんな手紙が届くのなんてフィクションの中だけの話だろって返したら、少しだけ悲しそうな顔をしていたのを覚えている。
……よし、取り急ぎの目標は決まった。
この不愉快な紙飛行機を出してきた人物を捜そう。そしてこれが七年前に消えたあの子と何か関係があるのか問いただすのだ。もし無関係なただのいたずらだったら、その時はそいつを思いきり殴ってやる。関係あるんだったら……今度はあの子を捜す。
現実世界に戻るのは、その後でいい。
俺はもう一度風の音がする方へと踏み出す。
心なしか、さっきよりも足どりが軽い気がした。
洞窟に出口はあった。
だがその出口が、冒険者を安堵させるものだとは限らない。
「マジかよ……」
外の光に目が慣れてきて、ようやく目の前に広がる景色の輪郭がはっきりしてきた時、そんな言葉が思わず口を突いて出た。絶望——それ以上に今の気持ちを表現出来る上手い言葉が見つからない。
理由その一、まず俺はこの景色を知らない。霧に遮られていてあまりはっきりとは見えないが、まるで同じ背景画を二百七十度ぶんくらいコピペしたような何もなくだだっ広い光景は、どう考えても現代日本のどこかにある景色ではない。
理由その二、何もかもが崩壊している。山や森、人の集落らしき痕跡はあるのだが、どれもこれも崩れ落ちていて原型をとどめていない。まるで魔王軍による襲撃でもあったかのような状況だ。
理由その三、ここは地上ではなく高くそびえる崖の上だったらしい。試しに下を見てみたが、小学生の頃スカイツリーの展望台にあるガラスの床でチビりそうになったことを思い出して途中でやめた。
そして理由その四、すぐそばにある岩陰から、色白の細い手が飛び出している。……動く気配は、ない。
飲み込んだ唾がゆっくりと喉を下りていく。
見なかったことにするか?
いや、でももしかしたら生きている人間かもしれない。怪我をしているとか、あるいは意識を失って倒れているとか、そういう事情で動けないのかもしれない。こんな高い崖に俺以外の誰かがやってくるとは思えないし、もしここで俺が見捨てたらただ野垂れ死ぬだけだ。
……クソッ。そんなの後味が悪すぎる。
頼むから生きた人間であってくれ。異世界に行って最初に出会ったのが死体とか、シャレにならないぞ……!
俺はそう祈りながら、恐る恐る岩陰をのぞきこんだ——
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