第45話かもしれないし、最終話かもしれない

 ペンネーム夕凪隼人こと朝霧ハヤテ……さすがにこの呼び方では長すぎる。もっと短くまとめられないものだろうか。朝霧ハヤテさん、と突然呼ぶのはなんだか唐突で気が引ける。というか私は声に出してペンネーム夕凪隼人こと朝霧ハヤテさんを呼んだことがあるだろうか。フリュレさんやスタニスさんをこの家まで連れてきて、そこからは勝手にフリュレさんたちが話を進めたりしていたような気がする。私は彼女らの作者の名前を口に出して呼んだことなど一度もない、ような気がする。

 だって今まではペンネーム夕凪隼人さんに用事があるわけではなかったから。用事があるとすれば、フリュレさんやスタニスさんの事情に用事があったのだ。ペンネーム夕凪隼人さん自身に話してもらいたいことがあって話しかけたことはない。やってもらいたいことならある。フリュレさんやスタニスさんや魔王の出てくる小説の続きをちゃんと書いて欲しい。

 果たして心変わりして書く気になっているだろうか。なっていないだろうと思った上で私は決意し、ここまでやって来たのだから、そうなっていたら肩透かしを食らうことになるが、そのぶん楽ができるのでそれはそれで悪いことではない。そもそも私の周辺の世界とは関係のない話なのだから、当事者だけで完結して欲しかった。

 でも、私は当事者になってしまうことになる。いや、最初にあの無色無臭で形も存在しない、物語の結末などという概念を手に取ってしまった時点で、私は当事者になっていたのかもしれない。それも中心人物に。あれをふとした拍子に、何の気なしに拾ってしまったから私はこうやって色んなものに振り回されているのだ。振り回されているのか? スタニスさんに突然召喚されたときは別として、あとフリュレさんが私の部屋で寝泊まりするようになったことは別として、私は振り回されてなど……いや、振り回されている。

 しかし振り回されているふりをして、私はこの状況を利用してしまっているのかもしれない。非現実的な異常事態が発生してしまっているから仕方がないとばかりに、学校をサボったり抜け出したり授業に出なかったりしたことが何度もある。学校側に説明して納得してくれる可能性はほぼゼロだが、私自身に対する理由付けとしては十分だ。私は学校に行きたくないのだ。可夏子さんにどうしても会いたいなんてことはないのだ。たった一人の話しかけてくれる人物に依存するために、私は学校に通っているわけではない。惰性と、親がそれを常識と思い込んでいるからそうしているだけだ。

 それにしても学校に行きたくない。親にはもっと芸術家肌になってもらいたい。そしてテレビで仕入れた社会の常識をそのまま私に適用しようとするのはやめていただきたい。私はテレビの登場人物ではないのだ。小説も漫画もテレビも、全てがフィクションという点において共通している。教養番組で大学教授が専門知識を語っているからと言って、それがフィクションじゃないわけがない。誰かが台本を書いているのだし、お笑い芸人はそれを演じている役者なわけだし、それから……テレビ最近見てないからよくわからない。どうしてバラエティ番組に「この番組はフィクションです」の一文字を入れる手間を省こうとしているのだろう。ひょっとして報道や教養バラエティでは真実を伝えているとでも思っているのだろうか。なるほど。これが集団催眠か。


 集団催眠は集団では必ず起こる。学校へ通っている人達の間では「学校に通うのは当たり前のことである」という催眠が浸透している。私はそれが気持ち悪いから、学校へ行きたくないのだ。友だちがいないから、とかではない。断じて違う。否定すればするほど本当の理由っぽくなってしまうこの現象は何なんだろう。

 まあ、誰かに言い聞かせているわけでもなし、自分が考えていることは自分が信じていればそれで良し。という感じに頭の中を整理してから、私はペンネーム夕凪隼人さんの部屋のドアを開けた。本名で呼ぶのはやめておくことにした。

「こんばんは、夕凪隼人さん」

 夕凪隼人さんはベッドに寝転がって漫画を読んでいた。別にいいけど。小説を書こうとしているわけじゃないから、リラックスしていても不思議ではない。ただ、底に突然入ってしまったので、多少気まずくはある。

「ん、ああ」

 夕凪隼人さんは立ち上がってくれた。無視されたら、私は勝手にパソコンを動かすつもりだった。そして目的を終えるまで無反応でいて欲しかった。自分の言動にちゃんと反応が帰ってくることに、私は慣れていない。

「私に小説のデータを下さい」

「唐突だね」

「同前置きすればいいのか分からなかったので」

 言いたいことはこれだけなのだから、前もってなにか言葉を並べる必要なんかない。と、私は毎話毎話の冒頭の段落のことを無視して言葉を続ける。

「私が、『おとぎの国の混沌』を完結させます。そしてフリュレさんたちを元の世界に返します」

 そうすることで、ペンネーム夕凪隼人さんにメリットが有るだろうか? ない。しかしデメリットもない。と思う。フリュレさんやスタニスさんを手元においておきたい、とかならともかく。

 ペンネーム夕凪隼人さんは一人で部屋でくつろいでいた。私の部屋にはこの人が考えた登場人物が居座っている。むしろ私にデメリットがあるから、このような要求を突きつけている。

「なんで?」

「あなたが書かないからです」

「いつか書くかもしれないんだけど」

「その時は書いてください。私が小説の続きを書いて、作者の権利を奪おうとか考えているわけではありません。ただ、話を完結させたいんです。私が個人的に。だから、もし私が書いた完結までの話をどこかに発表するとしても、夕凪隼人の名義でいいです」

「……そういえばあんた、他人だったね」

「他人ですが」

「他人と話したの、久しぶりだなあと思って」

 家族や自分の小説の登場人物とばかり話していたのか、この人は。私も人のことを言えたもんじゃないが。

「じゃあ」

「あげるよ。コピーするからちょっと待って」

 話が通じないわけじゃなかった、らしかった。

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