第41話かもしれないし、最終話かもしれない
朝霧家を出てからやっと、私はペンネーム夕凪隼人さんと顔を合わせても居ないし、夕凪隼人さんの本名も聞いていないことに気がついた。もし本名だとしたら、婿養子に入って名字が変わって、そのまま朝霧家に戻ってきたことになる。どうしてそんなややこしいことをやるのか? それは聞いてみなければわからない。というか、多分そうじゃないだろう。ペンネーム夕凪隼人さんの本名は夕凪隼人じゃないだろう、多分。
昔の本をたまに読むと、著者プロフィールに本名が書かれていることがある。しかし昔の本に限った話だ。最近の作家は本名を知られることを多大なるリスクと捉えているのだろうか。本名くらい明かしたところで大被害が起こるわけでもないだろう。逆に、本名を公開するメリットが無いのだろうか。文壇がどうのこうの言っているのは老作家ばっかりだし、作家に対して敬意を込めて先生とつけている人は殆どいない。形式的に先生と呼んでいる人ばかりだ。
もちろん私は小説業界の部外者なので、こんなものは単なる憶測に過ぎない。さらに言うなら、私はまだプロの作家に会ったことすら無い。ペンネーム夕凪隼人さんは作家に憧れているからなのか、本という形式で小説をまとめてはいるが自費出版であり、そういった本を専門に集めている春秋私立図書館でしか読むことができない。朝霧先生は本を出したが、それは人間の心情の一部分を形にするにあたって「本」という形を用いただけだ。
家から出たばかりなのに、その家に戻るのはなんだか馬鹿みたいで気が乗らなかったので、私は学校へ戻ることにした。魔王も着いてきた。
「魔王さんも、他にやることがないんですか」
「貴様は暇だから学校に通っているかのような言い方をするのだな」
「忙しかったら学校に行かない理由ができて楽なんですけどね」
「貴様、学生だろう? どんな用事なら学校へ行く隙がないくらい忙しいことになるのだ」
魔王は呆れ顔を私に向けている。
学校に行く隙がないほど忙しいことってなんだろう。自分で行っておきながら、何のことやらわからない。スポーツ選手とかプロ棋士とかだろうか。いや、ああいう競技性のあるものをやっている人ほど学校にはちゃんと通っている。そうじゃないとイメージが悪いからだ。ひょっとしたら、教師なんかよりも清廉潔白であることを世間に強いられているのかもしれない。何だろう。世間はアスリートに処女性でも求めているんだろうか。気持ちが悪い。
「世間が嫌いなのかアスリートが嫌いなのかわからんな、貴様は」
「私は拷問が嫌いなだけですよ」
「それは体育のことか」
「他にあるんですか?」
「あるだろう。拷問とか」
「体育以外の拷問。ちょっと思いつきませんね」
「それは世間知らずを演じているのか本当に拷問に詳しくないのかどっちなんだ」
「魔法で私の心を読めば分かるかもしれませんよ」
「そんなことに魔力を使いたがる奴などおらんだろうよ」
私もそう思う。もし人の心を読む能力があったとしても、私みたいな奴の心は読まないだろう。
そんな奴の相手をしてくれる可夏子さんは、実はとても素晴らしい人なんじゃないのか。と、教室に戻った私に気軽に話しかけてくれる可夏子さんに対して思った。
「遅かったね。私は体育の時間が長く感じたよ」
「みんなで出席しなければいい、と前から思っているんだけど」
「堂々と『嫌だからサボる』を実行できるのって、この学校じゃ銀閣くらいだよ」
「勇気が足りないのか、それとも常識が行動に蓋をしているのか、アンケートでも取れば分かるんじゃないかな。私のアンケートじゃ大半の人は答えてくれなさそうだけど」
「なんか後ろ向きだね」
「歩いて疲れたから弱気になっていてね。困ってる。この精神状態を変えたい」
「休むしかないね」
しかし、今は休み時間である。今以上に休むことは、校内では不可能だった。
「そういえば」
私は、しばらく考えないようにしていたことを口に出してみた。
「もし、漫画や小説のキャラクターが、現実に出てきたらどうする」
軽々しい答えを私は期待した。こんなところで隠されていた世界の真実など知りたくない。
「私もそうなんだけど、気が合えば友だちになるだろうし、気が合わなきゃ他人のままだろうね。で、興味があったら、今の私と銀閣さんみたいな関係になる」
ちょっと一言目。
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