第40話かもしれないし、最終話かもしれない

 それは水晶玉だ、とは思わなかった。しかし形状は完全に水晶玉だった。占い師の前に置かれていたら、完全に水晶玉にしか見えないような代物だった。しかしそれを覗き込めばすぐに、それが水晶でもガラス玉でも水をパンパンに詰めた球形の入れ物でもなく、物語の結末であることがわかった。

 文字列が見えるわけではない。情景が浮かんでくるわけでもない。ただ、頭が「これは物語の結末である」としか理解しようとしないのである。絵でも言葉でも説明しようのない、言うなれば感情が形になったものを直接目にしたような衝撃を、私の脳は受けた。

「これが、結末ですか」

「これが正しい形の結末だ。お前が拾ったのは正しくない形の結末だ。何せ固まってもいないし、意図的に取り出したわけでもない」

「物語の結末って、意図的に取り出せるものなんですか」

「取り出せる。規模はどうあれ、お話というものを一度でも書いたことのある人間なら分かる」

 私は人生で一度も、お話を作ろうとしたことはない。頭の中で読んだことのある話の続きや番外編を妄想したことはあるが、それを形にしたことはない。形にしたことが一度でもあれば、このように固形物として話の結末を取り出せる、とこの人は言っているのか。それは本当なのか。そんなことってあるのか。

「魔王さんは、どう思いますか」

「私は人間よりも架空の物事を考える機会が少ないからな、よくわからん」

 水晶玉のように見える話の結末は、形があるし触れるし、窓から差し込む光を反射しているし屈折させてもいる。魚を焼いているところの隣においておけば、匂いが移ったりするのだろう。しかしどんな状況下に置いても、これが話の結末であることに変わりはない。どうしてなのかは分からない。何故か私にはそれを肯定することしかできないのだ。話の結末を形として取り出す、そんなありえないことが起こるはずがない、という言葉が、何故か体から出てこない。もしかしてこれは本能なんだろうか。人間として最初から備わっている昨日なんだろうか。人間は、話を最後まで作り終えると、その結末を物質として意図的に取り出す昨日が、まるで呼吸にように備わっているものなのだろうか。そうでなければ、私はこんなにも事実を前に否定の言葉が口から出てこない、なんてことは起こらない。

「あと、お前はまだ決まっていない結末を拾っただろう」

 美術の朝霧先生は言う。たしかにそれが始まりだった。あの不定形と言うか不安定というか、形も色も存在しない物体を拾わなければ、今の私の状況はありえなかった。

「ああいうことは、よくあることなんだ」

「よくある、んですか?」

「ああ。妄想で書き始められて話は、途中で投げ出されることがよくある。そして書き上げようという気がなくなれば、それは頭から飛び出す。それを拾うことは、よくある」

「普通は、拾ったらどうするんですか」

「大して気にせず、そのへんに捨てるさ。形もないし臭いもしないから、ゴミにもならないからな。割とそこら移住に落ちている。いちいち全部拾って相手取っっていたら、時間がいくらあっても足りないだろうな」

「でも、私はあなたの息子さんのまだ決まっていない結末を拾ったから、こんな風になったんですよ」

 私は魔王を指さした。

「書きかけの小説の登場人物と出会ったり、その人達と一緒に話しの大本を探ったり、そして結局ここにたどり着いたり」

「そこまで拾った結末に深煎りするのは珍しい」

「私、珍しいことをしてるんですか」

「珍しいことをしているな。書きかけの小説の登場人物が現実で暮らし始めることは、さほど珍しいことではない。結局、現実の人間が考えた登場人物だから、そういう人たちは現実でも割とやっていけるものだ。こっちの現実に登場してすぐの頃は違和感に悩んだりもするが、結構すぐに慣れて、普通に暮らし始める」

 私は言葉が出なかった。例えば誰のことですか、とは尋ねることができなかった。尋ねて、もしも昔読んだことのある話の登場人物の名前が出てきたりしたら、と考えると、私は恐ろしかった。物語の登場人物に実際に会える、とかそんなことに期待なんてできなかった。物語の登場人物が普通に暮らしているのがこの世界である、と考えると、この世界が恐ろしくなった。

「そういう、登場人物って、ひょっとして世界の人口に含まれているんですか」

「数えた人がいるわけじゃないけどな。リサーチ会社に就職してるかもしれないし、調査のしようがない。でも、俺が今まで会ってきた人間の半分くらいは、物語の登場人物だったよ」

「……例えば、うちのクラスだと、どのくらい居ますか」

「半分以上だ」

 さらりと。

 当たり前のように、朝霧先生は言った。

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