第39話かもしれないし、最終話かもしれない

 何せ魔王なんだから、私達より鈍感であるような気がする。だって王様という大勢を率いなければならない立場に就いているのだから。数十、もしかしたら数万単位の部下の気持ちに対して一人ひとり敏感になんてなれるわけがない。なっていたとしたら、心が病むんじゃないだろうか。人間だろうとそうでなかろうと、全く同一の心を持つ存在はありえないだろう。少なくとも人間はそう思っている。動物はどうなんだろう。虫なんかだとどうなんだろう。いや、創作上の存在なら、全く同一の心を持っていても不思議ではないのかもしれない。特に一人で創作されたキャラクター群などはそうだ。全く同じ心を持っている、という設定を付け加えることによって、創作内ではそうなる。それなら、敏感になるべき対象は一種類なのだから、統治もスムーズにこなすことができるだろう。


 うん、そういうことにしておくとして、魔王はともかく、私は朝霧先生に用があったのだった。

「ちょっといいですか」

「うん? ……うん」

 朝霧先生はノートへの書きなぐりを数秒続け、それで一区切り就いたのかノートを閉じ、私達の方を向いた。

「これなんですけど」

 と、私は学校からずっと手に持っていた「おとぎの国の混沌」を差し出した。

「これを書いたのって、先生ですか」

 もしもこの本の作者の名字が佐藤とかだったら、私はこんなことをしてまで作者を確かめたりしないだろう。しかし朝霧という名字は珍しい。夕凪と同じくらい珍しい。

「今日、学校は休みなのか?」

 別の質問が帰ってきた。教師だから確かめておかなければならない、と思ったのかもしれない。

「休みじゃないです」

「じゃあ、抜け出してきたのか」

「はい」

「よく堂々とそんな事ができるな」

「体育の授業中だったので」

「そんな理由で、学校を抜け出したのか?」

「ええ。だって体育ですから」

 説教でも始まるかな、と私は身構えた。

「そうか。滅茶苦茶だな」

「体育をやらせるほうが無茶苦茶なんですよ」

「うん、お前に常識でも説いてやろうと思ったが、今ので無駄なんだとわかった」

 美術教師は何かを諦めたようだった。

「それで、最初の質問なんですが」

「ああ、この本な。確かに俺が書いたよ。書いたけど、これは小説じゃない」

 そう言われて、本の最初の数ページを開いてみた。目次には第一章、第二章と書かれている。本文の最初の一ページ目も、架空の人物がどこかで目を覚まし、そこが見覚えのない場所であるかのような描写が続いている。

「こういう形式の哲学書か何かですか」

「書きかけの小説の形をした、芸術作品だ」

「芸術?」

 私は芸術について詳しいわけではない。もちろん学校の美術の授業で芸術が理解できるなんて思っちゃいない。体育と倫理の次に存在価値が不明な授業、というのが私の美術の授業に対する印象である。

「ああ、芸術だ。展覧会にも展示した。その本の途中の、書きかけになってるページを開いて、それに作品名をつけて」

「でもこれ、本ですよね」

「本を出したい人間の頭の中にある物質を形にした、というコンセプトの作品だ。タイトルは『妄想』」

「妄想……される、よくあるタイプの本の形の芸術作品、ってことですか」

「発想が幼稚だ、とか散々な評価だったんで、古本屋に売っぱらってやったんだ」

「これ、出版されたんですか?」

「可能な限り、本当にありそうな本を再現したものだ。製本方法は普通の本と同じ、中身も途中までは普通の本と同じ、出版社の名前は架空だけどな」

「よく古本屋で売れましたね」

「買い取り担当がうっかりしてたんだろ」

「この本、図書室にあったんですけど」

「それがどうしてなのかは、知らんよ。学校の図書館がうっかり古本屋から仕入れたんじゃないのか?」

 学校の図書室の本がどこから仕入れられるのか知らないが、そういうこともあるんだろうか。

「いろいろ調べた魔王さん、こういうことって実際に」

「そこまでは調べていない」

 魔王も知らないらしかった。でも実際に図書室に置かれてしまったということは、これは古本屋経由で巡り巡って図書室にたどり着いてしまったのだろう。

「この本、結末はないんですか」

 本の形状をしていて、タイトルが「妄想」で、途中までしか書かれていない。ということは、これは人間の妄想なんて大抵オチがないものなのである、ということを表現した作品なのだろう。などと、いち学生にも作品の真意らしきものが想像できてしまうから、発想が幼稚とか言われてしまったのか。

「考えてはいる。あえて途中までで終わらせた」

 そう言うと、朝霧先生は部屋の奥まったところにある押し入れを開けた。そして正方形の木箱を取り出した。

「この中だ」

 朝霧先生は私達の前に箱を持ってきて、木箱を開けた。

 そこには、物語の結末が入れられていた。

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