第38話かもしれないし、最終話かもしれない

 どうして平凡な生活なんかを望む主人公がいるんだろう、と思うことがある。ライトノベルなんかを読んでいるとそんな学生が結構な割合で出てくるのだが、しかし、じゃあ平穏な生活を望むということは、それまでの生活が平穏ではなかったということなのだろうか。平穏とは程遠い苦難の連続を過ごしてきた、ということなのだろうか。学生だし進級とかクラス替えとか受験とか就職とか、とても平穏とは思えないイベントが嫌でも襲ってくるというのに、それすら避けて平穏に暮らしたい、ということなんだろうか。それが望みなら引きこもったほうがいいんじゃないだろうか。

 引きこもりの生活は、おそらく平穏そのものだろう。将来へのプレッシャーはのしかかってくるものの、それも恒久的なもので大した変化は起こらないし、学校生活なんかより余程イベントは少ないだろう。親が死んだりしたら平穏じゃいられないだろうが、少なくとも学校に通い続けるよりは平穏な生活を送る期間は長いはずだ。

 私の生活は平穏とはほど遠い。常に数カ月後にはテストが迫っているし、体育を嫌いすぎて進級できるかどうか不安なことこの上ないし、最近だと異世界からやって来たと自称する人が続々と現れているし、ついに魔王を自称する少女が同級生として同じクラスに現れた。これのどこが平穏なものか。

 これらの要素を取り払っても、それでも生活は平穏にはならないだろう。テストの不安、進級の不安、異世界人という異分子を生活から取り払っても、私の生活は平穏ではない。友だちが少ないからクラスの多数派に怯えて過ごさなければならないし、学校に行きたくないなんて親に言おうもんなら親はきっと多大なる衝撃を受けてその発言の理由を徹底的に尋問し、やっぱり学校に行くと言うまでやめないだろう。次戦とは普通に生活するだけで不穏の連続なのだ。


 もっと楽しいイベントだって起こることを考えたほうがいいのはよく理解している。理解しているつもりである。ただ、私という人間は正確が明るくない。はっきり言って難がある。学校生活は楽しくない。それなのに大学受験の面接では学校の悪口を言うと合格できないらしいじゃないか。学校生活で得られたもの、これこれこういう事があって私の学校生活はとても充実していました、と言わなきゃいけないらしいじゃないか。不安だ。そんな大嘘つけるだろうか。そもそも嘘をつかなければ合格できない面接というシステムを受験から取り払ってはもらえないものだろうか。そうか。駄目か。気が重い。こんな気分のまま平穏な生活なんて過ごせるわけがない。平穏な生活を望むライトノベルの主人公は、よほど楽観的かよほど頭の中に何も入っていないか、そのどちらかなのだろう。

「そんなに不安なら放課後まで待てばいいだろうに」

 学校を出て美術の朝霧先生の家に向かう私に、着いてきた魔王はそんな言葉を投げかけた。

「学校にいたってあまり愉快なことは起こりませんよ」

「学校をサボったらもっと不愉快な目に遭わされるのではないか? 説教とか」

「魔王さんだってサボってますよね」

「私は人間風情が上から目線で倫理を解いてくるのが馬鹿馬鹿しくて愉快だから構わんぞ」

 どういう感覚なのだろう。そう言えば私は明確に人を見下したことがない。誰もが自分より人生の経験値が高いような気がしている。誰もが自分より愉快に過ごしているような気がしている。こんなだから平穏な生活を望む学生の主人公に共感できないのかもしれない。

「考えてもみろ、虫に説教されても滑稽なだけだろう?」

「蟻って働き者ですよね」

「虫にすら劣等感を抱いているのか、貴様は」

「だからかもしれませんね、こうして学校をサボってしまうのも」

「だからって、何がつながった『だから』なのだ」

「劣等感に支配されすぎて、誰にどんな目で見られても、仕方がない、と思うようになったんです」

「私には理解しがたい感覚だな。何せ私は人間より高等な、魔王という存在なのだから」

 人の気持ちを正確に言い当てられない私には、人間以上を自称する魔王の心情など少しも理解できなかった。


 これまでに二度ほど訪れているが、表札を確認したのは初めてだ。夕凪隼人さんの家、そして美術の朝霧先生の家の前には「朝霧」と掘られた石の表札が玄関の壁に埋め込まれている。

「平日から生徒が突然訪ねてくることについて、教師はどんな気持ちを抱くのだろうな」

「そんなことを想像していたら、私は追い詰められてしまいますね」

「心の平穏を保つために鈍感を装っているのか」

「そうかもしれません」

 私は家のチャイムを押した。この間は夕凪隼人さんの姉だか親だかわからない女性が出てきてくれたが、今回は何の反応もない。

 ドアノブに手をかけてみた。回すと、鍵がかかっている感触がなかった。

「大胆だな」

「そうなんですよ」

「真に受けるな、ジョークだ」

 魔王ジョークはスルーして、私はドアを開いて家の中の様子を観察した。廊下、リビングへの扉、トイレへの扉、階段、どこにも人影は見当たらないが、人の気配はする。

「誰かがなにか書いているのか」

 紙にペンでも走らせているような音が、かすかに聞こえてくる。

「お邪魔します」

 私は部屋に上がり込んだ。

「大胆だな」

「私は臆病ってわけじゃないんで」

「そういえば鈍感なんだったな」

 鈍感を自称したわけではないのだが、まあ反応のない他人の家に勝手に上がり込むんだから気配りができるタイプじゃないだろう。私も自分が気配りができるタイプとは思っていない。

 階段のさらに奥、昼間なのに暗くなっていて玄関からは殆ど見えなかった木製の引き戸を開く。

「こんにちは」

 散らかった部屋の中では、美術の朝霧先生が机に向かってノートに何かを殴り書きしていた。

「なんだ。なんで生徒がここにいるんだ?」

「学校を抜け出したからです」

「そうか」

 そう言うと、朝霧先生はまたノートへの殴り書きを再開した。

「お前もこいつも鈍感だな」

 魔王は私達より敏感な感性を持っているのだろうか。

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