第37話かもしれないし、最終話かもしれない
愚行とは何か。それは無断で図書室から持ち出した本を持って、授業中にもかかわらず職員室に飛び込み、「この本の作者の朝霧陽一というのはこの学校の美術教師ですか」と尋ねることである。では愚行の逆とは何か。……なんだろう。賢行? そんな言葉はない。
まあとにかく、私は愚行の逆の行為を行うことにした。つまり無断で図書室から持ち出した本を持って、その足で美術準備室へ向かうのである。愚行とほとんど変わらないような気がするが、それが愚行の反対語を知らない私にできる現界である。
そもそも、この行為は賢いことなんだろうか。私は単に体育の授業に出たくないだけなのに、どうしてわざわざ教師と接触しようとしているのか。魔王が言っていた、フリュレさんやスタニスさんが私の命を狙っているらしいことすら信じていないのに、ここで「おとぎの国の混沌」の真実に迫ろうとしてどうする。一体誰の得になるというのか。
じゃあ人生は得になることしかやっちゃいけないのか、というと、そんなことはないんじゃないか。得になることしかやっちゃいけないのであれば、全ての入御脱いでるべきだし、もっと友達を増やすべきだし、その友達も厳選して質の高い人間とだけ友だちになるべきである。自分よりレベルの低い人間と付き合うことはない、とか成功者の本でよく見かける文面だ。でも本当の成功者は、成功したことを世間に公表したりなんかしないんじゃないだろうか。成功自慢が多少ならざる顰蹙を買うことくらい、成功できるほど頭がいいなら想像できそうなものだが。ひょっとして成功しすぎて成功者以外の人間の心情を理解できなくなってしまったのか。そんな人間は失敗作じゃないか。一部の人間の気持ちしかわからないなんて。
まあ、私も一部の人間の気持ちしかわからないから人間として失敗作なのかもしれない。私が理解できる範囲の一部の人間とは、一人で鏡を見たときに自分の視線の先に見える人間のことだ。製造過程で重大なバグが発生してしまったらしく、私は自分以外の人間の気持ちを正確に汲み取ることができず、だから友だちが少ない。
失敗作というのであれば、私が手に取っている「おとぎの国の混沌」というタイトルの本も失敗作なんじゃないのか。途中までしか書かれていなくて、それ以降はずっと白紙の本なんてものが成功作とは思えない。出版社も何を思って刊行したのか、私にはわからない。攻めすぎた意欲作なのか、それとも提出された原稿は金額次第で何でも発行するタイプの出版社が手がけたのか。表紙に書かれている出版社名を見てみたが、一度も聞いたことがないものだった。
検索すればそれがどんな会社か、少しは分かるんじゃないか、とか思いながらずっと歩いていたら、美術準備室前に到着した。すぐ隣の美術室からは何も聞こえてこない。ということは今は美術の授業は行われていないのだろう。美術準備室のドアを開ける。
開かなかった。鍵がかかっている。
「今日は出勤していないのではないのか? 非常勤講師なのだぞ」
背後から突然声が聞こえたので、私は驚いて前方に倒れ込み、美術準備室のドアに激突した。
「どうして魔王さんが着いてきてるんですか」
「こんなに堂々と着いてきていたのに、気づかない貴様のほうがおかしいだろう。自分の考えに没頭しすぎているように見えたぞ」
「私の心が読めるんですか」
「その魔法は、今は発動していない。そんな気がしただけだ」
こういう人が、成功者になれるのだろう。魔王だけど。
「どうして美術の先生が非常勤なのを知っているのか……は、魔法で調べたんでしょうね」
「まあな。私の手下の数は半端なものではない。何せ一切の厳選をしていないからな」
付き合う相手を厳選していないあたり、やっぱり成功者じゃないのかもしれない。
「じゃあ、朝霧先生の家に行かなくては」
「なぜ行かなくてはならないんだ?」
「この本について知っているかもしれないので」
「放課後じゃ駄目なのか?」
「放課後まで待つのは、暇じゃないですか」
「貴様は大物だな」
魔王に大物扱いされた私は、誇っていいのだろうか。……誇ることにしよう。十中八九ディスられているんだろうが、ここは誇っておこう。私の気分の平穏のために。
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