第36話かもしれないし、最終話かもしれない
そもそも、私の行為は変なのかもしれない。たった一つの、それもバレたところで大したトラブルも起こりそうにない嘘を付くために、その資料を集めるかのように、図書館で堅苦しそうな本のタイトルを物色する、など、拘るにしてももっと別のものに拘るべきだ、と指摘されても何も言い返せないほどおかしな行為だ。
いや、これは動機づけのために自分についた嘘なのかもしれない。長々と話したように、私は体育や体育教師が大嫌いだ。この世から戦争よりも先になくなって欲しいと思っているほど嫌いである。みんなが体育をやらなければ暴力も生まれない。暴力のない世界では戦争なんか起こらない。だから体育はないほうが健全である。そんな暴論を作り上げてしまうほど、私は体育に出たくなかった。だから、暴力的なほど説得力のない理由をつけて体育をサボり、こうして図書館を訪れている。
それにしても、「おとぎの国の混沌」というタイトルの本が存在するとは思わなかった。春秋私立図書館に置かれていたのは、あれは自費出版された本だ。出したい人がお金を出して出した。しかし私立ではない図書室に置かれている本は違う。出したら利益が出ると判断した編集者が世に出した本だ。世の中には本を出したいと思っても出せない人が大勢いる。値段をつけて売っても利益が上がらないほどつまらないものが大半だからだ。そんな中で、特に面白いと編集者が判断したものは、出版社が製本して値段が付けられて世に出る。そして場合によっては利益が出ることがある。もちろん売れない本もある。でも出版された時点で、それは利益が出るだろうと判断されたのだ。最低でも期待はされている。
期待も持たれず、面白いとも思われなかったものは本にならない。お金さえ出せば何でも出版する出版社もあるが、そういう会社の主な顧客は読者ではなく作者だし、夜に出た時点で著者の欲望を満たしているので、売れる売れない以前に本屋に置かれることでその商品は完結している。自分の書いた本が本屋に並ぶという体験を、なんでも出版する出版社は売っているのだ。
この「おとぎの国の混沌」はどうなんだろう。学校の図書室に置かれる本はどういった基準で選ばれているのか、私にはわからない。司書が選んでいるのだろうか。でも数万冊はありそうだし、数万冊の本をこれは面白いこっちは面白くない、これは為になるこっちは為にならない、とかいちいち判断して並べているとは思えない。なんとなく話題になった本と、それから適当に発売されるほんのリストから選んで本棚においているんじゃないだろうか。もちろん全部妄想だから、実際のところはどうなのか、それは知らない。
でもこの「おとぎの国の混沌」は、少なくとも春秋私立図書館に置かれている同じタイトルのホントは違う。装丁も違うし第何巻とかも書かれていないし、そもそも作者名からして違う。夕凪隼人ではなく朝霧陽一と書かれている。
「あっ」
そこで、私は思い出した。
もうすっかり思い出すのを諦めていた、美術教師の名字。それが確か朝霧だった。夕凪とよく似ていたから混同して忘れてしまっていたのだろうか、それとも誰かが魔法で意図的に忘れさせていたのだろうか。そんなものより私自身のうっかりで忘れていた、という可能性が一番高い。
本の中身を見てみる。
パラパラとめくってみると、この本も途中までしか書かれていない。後半部分は真っ白である。ちょっと黄ばんでいるけど、誰も何も落書きしていないのが奇跡のような本である。
著者プロフィールを見てみる。そこには「作家。芸術家」の一文が載せられている。作家はともかく、芸術家ってどういうことだろう。いや、芸術家が本を出すことくらいおかしなことでも何でも無いのだが、じゃあどうして小説を選んだのか。普通は画集とかなんじゃないのか。いや芸術家は画家に限らないし。
本人に尋ねてみることにした。本を持って図書室を出る。
「ちょっと行ってきます」
と、まだ机で本を読んでいる魔王に声をかけておいた。
「貸出の手続きはしなくていいのか?」
「誰に手続きを頼めばいいんですか」
図書室には私と魔王以外誰もいなかった。受付にも誰も座っていなかった。
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