誕生編または登場編

第18話かもしれないし、最終話かもしれない

 ペンネーム夕凪隼人さんの顔に押し付けられた物語の結末は、そのまま頭の中に入っていった。自分が頭の中に結末を突っ込んだ(と思った)ときと同じくらいスムーズに、その色も形も無いけれど存在だけは感じられるものはペンネーム夕凪隼人さんの頭の中に沈み込んでいく。めり込む、とかじゃなく、沈んでいく、という表現をしたほうがこの光景を言い表すのに適切だ。

「どう?」

 過激な手を使ってでも小説を書き勧めてほしいらしいスタニスさんは、作者の頭の中に結末が沈んでいく様子を見て、それからペンネーム夕凪隼人さんの頭に何らかの変化が起こったのか尋ねた。

「うーん……、いや、僕の頭にはなにも」

 スタニスさんは魔法で穴を開けて空間を繋げることができるが、この場面でそんな魔法は使わないだろう。ここまで持ってきた結末を一体作者の頭の中以外のどこに移動させればいいのだろう。小説の結末は作者が考えるものだ。だから小説の結末は作者の頭の中に置かれているのが一番自然だ。

「何も、思いつかないんですか?」

「うん、残念ながら、何も」

 フリュレさんの優しい口調での問いにもペンネーム夕凪隼人さんは釣れない返答を返す。申し訳無さそうですら無い。無いものは無いんだから用意できるはずがない、と借金を踏み倒して平然としている人のような図太い態度だ。どうしてこんな態度が取れるのに部屋から出られないんだろう。


 物質的に存在していたはず、そして私が拾ったはずの物語の結末はペンネーム夕凪隼人さんの頭の中に入った。戻った、という言い方をしたほうがいいのかもしれないが、こんなにも堂々と結末を思いついていないことを明らかにされると、もしかしたらあれは結末じゃなかったのかもしれない、という気分にすらなってくる。

「あ」

 私は間抜けな声を出した。間抜けな光景が目に写ったからだ。ぽーん、とビーチボールが跳ねるように軽快に、ペンネーム夕凪隼人さんの頭から、ついさっきスタニスさんが突っ込んだはずの結末がすっぽ抜けた。飛び出した、というか、すっぽ抜けた、という馬鹿馬鹿しい表現のほうが似合っている。

「あ、出ちゃったか。まあ、空っぽだもんなあ」

 部屋の隅に着地した結末を、ペンネーム夕凪隼人さんは一円玉でも拾うようにゆったりと近づき、腰をかがめて手に取った。

「これが形になっていないのは、まだ考えてないからなんだ。だから頭の中に入れても、こうやってすぐに抜け落ちる。そういうものなんだよ、結末っていうのは」

 私は小説を書いたことがないし書こうなんて思ったこともないので、それが当たり前なのかわからない。

「じゃあ考えてよ。私達の世界が止まったままだと、帰れないじゃない」

 スタニスさんは詰め寄った。

「私からもお願いします。結末を作ってください」

 フリュレさんもすがりつくように頼み込んだ。

「どこまで書いたか、どこに伏線を張ったのか、それも思い出せないんだ。SDカードに保存しちゃって、しかもそれをなくしたままで、さらにパソコンが壊れたからやる気を失くしちゃってね。もう僕にはどうしようもないよ」

「既刊なら春秋図書館にありますけど」

 そう、春秋私立図書館には「おとぎの国の混沌」が七巻まで収められている。そこへ行けば、過去に何が書かれているのかすぐに参照できるだろう。

「春秋図書館?」

 ペンネーム夕凪隼人さんは首を傾げた。

「知らないんですか?」

「知らないなあ」

 じゃあ誰が自費出版してしかもそれを使用量が発生する私立図書館なんかに置いたのだろう。ここへ着て新しい謎が発生してしまった。

「ここに焦ってる人もいるみたいですし、一回春秋図書館まで行ってみませんか」

「それって外にあるんでしょ。じゃあ、行きたくない」

 どうして初対面の相手の前で堂々と女装できる度胸はあるのに外に出るだけの行動力は欠けているのだろう。それはそれでこれはこれ、ということだろうか? でも外に出ることと初対面の人間に自分の姿を晒すことはほとんど同じことじゃないか。それが嫌な理由が、よくわからない。

「もしかして体質的に外に出られない、とかなんですか?」

 ペットボトルに排泄するくせに女装すれば人と会える、みたいな人がどんな体質で外に出られないのかは不明だが、一応訊いてみた。

「なんだかさ、怖くて」

「外の大部分は怖いものだと思うんですが、あと冒険ものを書いてるんですよね、夕凪隼人さんは。初めて行くところばっかり巡ってるんじゃないんですか」

 私は数ページで眠らされたので、冒険の詳細は知らないし、冒険ものというのは私の思い込みかもしれない。でもフリュレさんとスタニスさんはたまたま訪れた夕凪隼人さんに助けられたようだったし、多分冒険ものなんじゃないだろうか。

「もっと化けられれば、外にも出られるかもしれないんだけど」

「化ける?」

「僕はこうして女装という化け方をしているからなんとか人と話せているんだけど、外に出るにはもっと化けないと、その、怖い」

 面倒だ。この人すごく面倒だ。かと言って無理やり引っ張り出すような人間にはなりたくない。以前ニュースで引きこもりを力づくで外に引っ張り出している人を見て依頼、なんとなく無理やり人をどうこうすることに対して、私は苦手意識を持っている。

「マスクしてフードのある雨合羽でも着ますか?」

 晴れているのでかなり蒸し暑いし、目立つけど。でも女装以上に全身は隠せる。

「合羽、かあ……考えたことはないけど、やってみようかな」


 合羽を着てフードもかぶってマスクもつけている、まるで放射能でも除去しに行くような感じになっているペンネーム夕凪隼人さん。

 何らかのコスプレをしているようだが、元ネタはほとんど誰にもわからないフリュレさん。

 コスプレのような格好の上に、実は結構細々と汚れが目立っているスタニスさん。

 そして、一応学校の制服を着ている銀閣良こと私。

 こんな奴らが街を歩いていたら人々の視線どころか不審に思った警察官すら呼び寄せてしまうだろう。ここが田舎の住宅地で良かった。さらに幸いなことにこの家から春秋私立図書館までの道のりも、ずっと住宅地の中を通ることになる。春秋私立図書館が二階にある雑居ビルはすごく異質だった。

 で、そんな四人がいざ、ペンネーム夕凪隼人さんの家を出ようと扉を開けると、すぐそこに二人の不審者が立っていた。

「ここか?」

「ここだろう。貴族の娘もいる」

 顔まで黒い布で隠した二人の男だった。しかも一人は火のついた松明を持っている。

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