第17話かもしれないし、最終話かもしれない
女装癖のある人間の心理はわからない。社会的に男のほうが不利だと思いこんでいるからかもしれないし、自分の顔は男よりも女として認識されたほうが都合がいいと考えたからかもしれないし、男が好きだから女の格好をしていたほうがいい、と感じたからかもしれない。世間はいつだって性的なマイノリティに対して冷酷無残である。ひょっとしたら顔の作りの出来に対する差別よりもそれは残酷なのかもしれない。
ともかくペンネーム夕凪隼人は女装をして登場した。登場、というか、彼の部屋に登場したのは私とフリュレさんとスタニスさんなのだが。部屋に入った順番は、スタニスさん、フリュレさん、そして私の順だ。ペンネーム夕凪隼人に興味があって用事もある順に並んでペンネーム夕凪隼人の部屋の扉をくぐった。
「いらっしゃい」
夕凪隼人の声は男のそれだった。女声を作ろうともしていない。本当に単に女の格好……かなり作った感じの女の格好をしているだけの人物だった。
「顔は隼人さんだね」
「ああ。見間違いって線もなさそうだ」
フリュレさんとスタニスさんはそんな確認をしていた。小説から出てきた人物なのに顔の区別がつくのか。それもまた、住んでいる世界の違いなのかもしれない。小説を読む側には文字しか見えないが、小説に出る側が文字しか見えていないということはないだろう。
ペンネーム夕凪隼人さんは机に座って私達と目を合わせていた。人と目が合わせられない、人と合うのが怖い、とかそういうタイプでもないようだ。
「僕に用事があるんだって?」
その態度は不敵でも不遜でもなく、普通だった。話しかけやすい印象、と言えば適切だろうか。
「そう。私達のこと、わかってますよね」
「わからない」
夕凪隼人さんはフリュレさんのことをバッサリと切り落とした。
「じゃあ、私のことは?」
「初対面だけど」
「なんでさ!」
スタニスさんが怒るのも無理はないことだと思う。
「奥のあなたも、初対面だけど」
さらに夕凪隼人さんは私のことも知らないらしかった。当たり前だ、私は昇進正面の初対面であり、この中で唯一、ここで初めてペンネーム夕凪隼人の顔を見た人間だ。
「フリュレです、あのフリュレ。あなたが考えたフリュレです」
「私はスタニス。知らないわけないよね?」
「えっ、……そりゃあ、どういうこと?」
私は勝手にペンネーム夕凪隼人のことをこの一件のラスボス的な存在だと思いこんでいた。小説の中の登場人物が現実に現れる、などという事件の真相や解決策やどこで何が起こっているのかすらすべて把握している黒幕だと思いこんでいた。が、違ったらしい。ペンネーム夕凪隼人もこの現象に巻き込まれた一人のようだった。たった今、私達が巻き込んだ形になったわけなんだが。
「出てきたんですよ、小説の中から」
私はとても簡単に説明した。
「そんな漫画みたいなこと、実際あるものなの?」
ペンネーム夕凪隼人さんは不思議がっていた。あとせめて漫画みたいじゃなく小説みたいと言ってほしかった。
そう言えばこの部屋にはあまり小説が置かれていない。本棚が一つ、壁沿いにおかれているが、七割が漫画で二割が漫画雑誌で残りの一割はライトノベルだ。ついでに言えば机の上にはパソコンすら置かれていない。この部屋にはパソコンがないのだ。まさかペンネーム夕凪隼人さんは手書きで七冊分の文章を書いたというのか? それも数ページで人を催眠状態に陥れるような小説を? それはそれですごいが、書きながら自分で眠くなったりしないものなのだろうか。
「パソコンが壊れててね、新しいパソコンが届くまで書けない状態なんだ」
質問したら、パソコン事情に対することにだけ答えてくれた。
「本題に入っていい?」
スタニスさんが持っていた自分たちが登場する小説の結末、影も形も色も匂いも存在しないがそこにあることだけはわかるそれ、を取り出してペンネーム夕凪隼人さんに突きつけた。
「これを、本に入れてほしいんだけど」
「これは?」
ペンネーム夕凪隼人さんは自分が書いた話の結末すらも初見であるようだった。
「結末。私達の物語の」
「そう……なんだ。他に例えようがないからとりあえず信じるけど、でもなあ」
ペンネーム夕凪隼人さんは差し出された結末を手に取らずに腕を組んだ。
「まだ考えてないんだよ、結末」
言った途端、スタニスさんはペンネーム夕凪隼人さんの顔に結末を押し付けた。
「それはね、許されない。私は許さない」
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