第9話かもしれないし、最終話かもしれない
少し時間は戻って、学校での一コマ。可夏子さんはずっと私が手に持っていた結末を見て、「結構綺麗だよね、それ」と言った。私には綺麗とも汚いとも、その両方共見える不定形のなにかにしか見えなかったが、その後の可夏子さんの表現を聞くに、昨日と違ってちょっと柔らかい宝石のように見えていたらしい。柔らかい宝石ってなんだろう。少なくとも硬度の低い石ほどの硬さも、この手の中にある結末には無いのだが。
そんな結末を片手に持ったまま、私は住宅街の一角に立ち尽くしている。本当に聞いたのか自分でも疑わしくなるほど美術教師の名字が思い出せない。本気で聞き流したことでも頭を振り絞れば思い出せることもあるのだが、もはや記憶を消されたんじゃないかと思ってしまうくらい思い出せない。こんなことを繰り返し思っているから更に思い出せない。悪循環とはいとも簡単に誕生するものなのである。今後は気をつけることにしよう。
そして、今。今まさにどうすればいいのか、という話だ。たしかこの道の右側の家のどれかが美術教師の、そしてその息子の夕凪隼人(PN)の家だったはずだ。順番にチャイムを押して確かめるか? 「ここに夕凪隼人ってひと居ますか?」とか。なんだかストーカーっぽい。こんなことで見知らぬ人に怪しまれる存在にはなりたくない。
こうして目的地付近を往復するのもつきまとい行為っぽいとして通報されかねないからもう少し離れようか、と思って踵を返したところで私は呼び止められた。
「おーい!」
親しげな声だった。そして聞き覚えがある。フリュレさんだった。昨日に比べれば現代的な服装になっている。というか私の服だ。母が勝手に着ていいよーとか言ったのだろう。まあコスプレにしか見えない昨日の服よりはいいから突っ込まなかったけれど。
「やっと辿れました。この世界、魔力消費が激しくないですか?」
そういえばフリュレさんは道筋をたどる感じのの魔法を使えたんだったか。
「あと魔力消費量とかは知りません。私は魔法なんか使えないので」
「学べば使えるのに、どうして学ばないんですか? この世界、奴隷階級とかありませんよね?」
少なくともこの国は奴隷階級じゃないけど、この世界に奴隷はいる。けれどそんな事を話したいわけじゃない。
「存在するしないの次元じゃなくて習得するしないの話になるんですね、魔法って」
「隼人さんもすごく早く習得しましたよ」
それはきっと主人公だからだろう。
「それで、良さんはここで何を?」
「夕凪隼人っていうペンネームの人の居所がわかったから、これについてどうにかしてもらおうと」
具体的には、本人に変換してこのなんとも言えないものと接する生活から脱出しようと。私はそう考えていた。非凡な日常には憧れていないわけじゃないが、こういった不定形でジャンルのわからない非凡さは歓迎できない。
「隼人さんに会えるんですね! あ、でもペンネームってどういう意味ですか?」
「偽名」
「えー。偽名じゃあ本人じゃないじゃないですか」
おそらく自分でつけた名前の主人公を登場させる冒険小説を書くような人間は、きっと現実に満足なんかできていない……包み隠さずに言えば不細工だろう。だから私はこんな風にフリュレさんの期待を削いでおいた。
「それじゃあ、良さんはここで何をしてるんですか?」
「ペンネーム夕凪隼人さんに会うために」
「偽物じゃないですか。会ってどうするんですか?」
「これを返してしまいたいから」
結末、と美術教師が呼んだ、なんだかよくわからないものを私は掲げてみせた。これのせいでジャンルのわからない非日常に巻き込まれてしまっているのだ。もっとこう、明確な形あるものの存在する非日常に巻き込まれたい。どうせなら。
「それ、動いてますね」
フリュレさんが言った途端、私の手が動いた。いや、動かされた。
まるで壁にパイを叩きつけるような勢いで、私は結末を持った手を自分のこめかみに叩きつけた。
「痛っ」
初めて自分で自分を殴って痛いと感じた。まるで念動力で勝手に動かされたかのような腕の動きだった。
いや、動いたのは腕か?
違う。
結末だ。
両手を見てみるが、そこに結末はなかった。
「入っちゃいましたけど……どうします?」
「入っ……た? 何が? どこに?」
「私の登場する物語の結末が、あなたの頭の中に」
私は頭を触ってみた。
手は、何の抵抗もなく頭皮を貫通し、頭の中まで入っていった。
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