〈24〉


 休み明けの月曜日。

 今週は特別授業の面談があるため、平常授業との入れ替えなどが起こる。色々と忙しくなりそうだ。


 面談とは何ぞや? ――と、思うだろうか。

 俺も長峰ヶ丘ここに来て一番に面喰らったシステムだ。

 言ってしまえば、俺達の個々の能力の成長と理解を教官と生徒が一緒になって行う――情報の擦り合わせ作業。

 この異能の力をリアルタイムで把握するためのもんか。


 入学の際、俺らは事細かに自身の力を調べられる訳だが、それが学園生活の中にいてどれほどの成長あるいは変化を遂げるか。

 まあ、学園の一番の興味はそこらへんだろう。


 なのでこういった手順がシステムとしてガッチリ組み込まれてる次第。


 基本的にこれがある週は授業中にいきなり呼び出される。そして場合によるが、夜遅くまで拘束されるなんて事もざらにあるらしい。

 その上、潰れた授業は後日の補習という不条理。――学園の都合で授業を抜けさせるんだから、そこは何とでもしろよと思う。


 とか思ってた三限目の授業中、俺のタブレットに呼び出しのむねである定型文とQRコードが表示された。

 挙手して教師にそれを見せる。機械にまるでうとい歴史の田中先生は、実に不慣れな手付きで画面のコードをスキャン。

 これで俺の一日が丸まる潰れる事が確定した訳だ。――やったぜ。

 

 教室を出るのに荷物をまとめた際、後ろ隣りの席の時野谷が小さく手を振って励ましてくれた事だけが心の慰めである。

 






 






 向かった先は無数にある校舎群の中心。広い講堂棟だ

 

 今その一棟は区画毎に衝立ついたてで仕切られており、そして白衣を着た医療スタッフがそれぞれ受け持ちをしている。――集団予防接種な風と言えばいいか。

 実際ここで行われるのはほぼ健康診断だ。採血に始まり、体組織の摂取や測定器を用いた診断などなど。

 人員処理キャパシティの問題で、ここに生徒の姿は数える程しかいない。基本的に各学年毎、クラスから一人だけ選出されれるらしい。

 拘束時間の半分はこれだ。


 それらが終わり、若干の休憩時間を経て、ようやく本番とも言える「面談」が始まる。


 受け持つは講堂の地下フロア。

 地上フロアは一つの広大なホールとなっているが、地下は大小の部屋が割拠している造りで、長く複雑な廊下で仕切られていた。

 ここも生徒の姿よりもスタッフの数が目立つ。普段、学校生活ではお目にかかれない顔ぶれ。

 研究員――そういう手合いだろう。

 長峰ヶ丘は俺らにとっては教育機関だが、大本としては研究機関な訳だ。


 通されたのは、天井や壁が全面、装甲板のようなもので補強された部屋。

 その壁際には何かのオブジェか、麻布でおおわれた物体が幾つも並んで配置さえている。

 部屋の中心に机を挟んで2脚の椅子という構成。


 その中央で俺を待ち構えていたのは寒河江教官だ。

 ラップトップを簡易机の上に置き、自身は少し腰を屈めながらそれに眼を遣り、しかし椅子には腰掛けずに立った状態。

 部屋に入ってきた俺に気付くと、こちらへと視線を移した。


「では始めましょうか、玄田くん」


 勧めのままに椅子に向かい合って座る。

 面談という形式上なのか、始めは軽い質疑応答だ。私生活も含めた学園での暮らしぶりを取り留めも無い風に報告した。


 俺は少しだけ緊張していた。

 部屋の天井に数台の監視カメラ。机の上にも記録用としてビデオカメラが一台、こちらを正面にえている。

 それらの映像は全て別室でモニタリングされているのだろう。


 つまり俺は今、学園上層部と最も近い距離で接していると考えていい。

 それを踏まえ、先月の件から今日こんにちに至るまで、何もアクションを起こさないでいる学園側の思惑について、いやでも疑念の矛先は向かう。

 端的に言って、行動を起こさないでいるのか――あるいは起こせないでいるのか。


 正面の寒河江教官が事を把握しているとは考え辛い。

 彼女は優秀な研究者であるらしいが、それでも立場としては一教職員だ。

 実際、彼女の質問は淡々としていて、業務的な範疇はんちゅうをいくらも越えているとは思えない。

 内面の緊張を隠し、ただ俺は率直に応答した。


「――さて、それでは質問はここまでにして、実際に玄田くんの能力を見せて貰いましょうか」


 寒河江教官は紙面の資料を手にし、おもむろに椅子から立ち上がった。

 そして俺を促して、壁際に並んであるその存在感の塊のような布にくるまれた物体のそばへと至る。

 ずっと気になっていたそのオブジェ群――寒河江教官が布をはぎ取ると、そこから現れたのは何て事はない彫像だった。

 実寸大の古代ギリシャ彫刻像が4体。

 俺は全く詳しくはないが、それでも美術の教科書やらに載っていたので辛うじて記憶していた。

 手足などが部分的に欠けている直立した男性像や女性像。

 質感的に大理石じゃなく石膏せっこうだ。――まあ、レプリカなのは当然か。


「好きなのを選んで〝複製〟を造ってみてください」

「俺が選んでしまっていいんですか?」

「ええ、どうぞ」


 ニコリと会釈して、寒河江教官は4つ並んだ彫像の端に立った。


 俺はその場から数歩さがり、床に掌を着けた。

 掌から放射された土塊がズズズと床面を這い、そして隆起する様を見せる。うねるようにしてそれらが形成を得る。数十秒を費やし、その場に土色をした新たな彫像が計出現した。

 並んだ石膏の彫像とそれぞれが鏡合わせのように向かい合った、外形だけならばほぼ完璧な複製コピー品の完成だ。


 静かな部屋の中、寒河江教官の固唾を呑み込む音が響く。


「……素晴らしいですね。これ程までに差異もなく、短時間で……それも4体を同時に造り上げてしまうとは。――あら?」

 

 順々にそれらの模倣品を見分していた寒河江教官が、その場に現れた仲間外れの5体目の前で瞠目どうもくした。

 この部屋に用意されていた彫像は4体。

 だが俺は、ちょうど具合良い位置に立っていた〝彼女〟も複製品としてこしらえてあげた訳だ。

 ――即ち、等身大の寒河江教官立像バージョン。その立ち姿から服のしわまで完全再現である。


 細部までそれを観察し終えた寒河江教官が、少なくない興奮の様相を見せ、こちらに向けて微笑んだ。


「本当に素晴らしい限りですね、玄田くん。あなたの能力の使用適性に関しての才覚、学園でも群を抜いているという報告に嘘偽り無しといった所」


 ちなみに実物よりもその風貌を美化して造っておいたのは、ご愛嬌というか――まあ、うん、おべっかだな。


「では玄田くんから見て、この能力の所見や――あるいは欠点のようなものを挙げられますか?」


 立ち並ぶ彫像群から離れ、手元の資料をめくりながら俺へと改めて向き直る。


「欠点ですか……。そうっすね、単純に時間を取られ過ぎるという点かと」

「時間を? ものの1分も掛からずにこれらを造り上げたというのにですか」

「はい。1分近くも費やして――です。もっと単純な形状なら短縮は可能なんすが、それでも数秒は掛かる。これじゃあ突発的な事態に対応するのは難しいかと」

「突発的な事態……? ああ、玄田くんは進路希望として軍属を選んでいたのですね」


 資料に俺の学園卒業後の進路希望票でも載っているのか、手元のそれに視線を落としながら寒河江教官はうなずいた。


「付け加えるなら、日本の防衛大学校に進むのでなく、士官候補として国連軍への直接所属を望んでます」

「士官候補枠――なるほど、UVF」


 学園側がこちらをどう捉えているかはともかく、自分のその最終目標に嘘や御為倒おためごかしは無い。

 ならば、俺はただ胸を張ってその事実を述べるだけだった。


 寒河江教官は手元の資料を黙読し、それからまた、俺の能力の関しての別角度からの検証が再開された。

 ――と言っても大した内容のものでもなかった。

 新たに俺が造り出した泥んこアートを数点サンプルとして回収し、それにて「面談」が終了した事を寒河江教官は告げる。


 丸一日はかかる事もあるこのカリキュラム。

 幸運なのか、今日はこの程度で済んだ。

 解放感を噛み締め、俺は丁重な態度でその奇妙な部屋を後にする。――主に監視カメラでこちらを覗いている相手方に対してだ。



 部屋を出た折、ふと、廊下の先を施設スタッフに交じって異彩を放つ人物が横切るのを目にした。

 どうあっても目立つ真っ白なフードで顔半分を隠している女性監督官。

 ――視線の先で、藤林監督官が足早に人波を避けて歩いていった。


 目立つ格好の彼女だが、本当に学内では姿を見ない。

 その内実を俺は知っている訳だが、生徒内では、こういう公に受け持つ仕事がある時だけに現れるレアキャラとして定着してる。


 なので、今を逃すと彼女とは容易に接触できない。

 急いでその後ろ姿を追う。


 さりとて、俺もあまり明け透けに声を掛けたりはできない身。

 人目を気にしなくていい場所まで彼女を尾行する。


 しばらく廊下を渡った折、フードではっきりと確認は出来なかったが、藤林監督官がこちらを振り返った気配。

 尾行を気付かれてはいけない――なんて事はないので、むしろ俺の存在をアピールしたいぐらいだ。こちらに用向きあるという意思だけでも。


 と、曲がり角の先で彼女の行方を見失う。


 さほど距離は開いてなかったはず。廊下の左右に並ぶいずれかのドアに入ったのか。――にしても迅速すぎる動きだ。

 エンカウント失敗。

 まあ、今日でなくてはならない事情もない。

 とはいえ次に会えるのはいつになるやらと思案を巡らしてしまう。


 気を取り直して時計を確認する。

 午後3時過ぎ、あと少しすればちょうど授業も終わる頃合い。時野谷にでも連絡を入れて合流するかな。

 

 そう思い立ち、今渡って来た通路を振り返った瞬間――

 ふわりと、誰かに背中から抱きすくめられたのだから心臓が跳び上がる。


 覚えがあるこの感触。

 顔だけ横を振り向けば、やはり間近の距離に見目麗しい女性の顔。

 フードを外した藤林監督官のその金色の瞳が、不可思議の光彩を放って俺を捉えていた。


「亮一」


 俺の名を呼ぶ、鈴のように涼やかな声。吐息が真っすぐ顔にかかる。

 いや、近い近い近い近い――そして、ヤバイヤバイヤバイヤバイ。


「――藤林監督官、い、いや、ちょっと……!」

「あまりこういう事をされると困る。私にも立場がある」


 動揺する俺をまるで歯牙しがにもかけず、彼女はさらに身を寄せるようにして耳元でささやく。

 状況的にそのセリフ、俺が言う側だろ。

 今近くに人はいないとは言え、出入りや往来が盛んなこんな場所で、生徒相手に何という事をしてくれるのでしょうかこの人は。

 つわ、こんなん。


 しかし、日夜持て余しているそんな青春情動アオハル・リビドーを辛くも抑えつつ、俺は冷静にある事に気づいた。


「もしかして今、能力を使ってます?」


 俺の問い掛けに、彼女はこくりとうなずく。


「今なら、姿も声も、他者に認識される心配はない」


 密着した距離でなら、彼女のその完全なステルス能力は他者にも効果が及ぶ。

 こちらに配慮してくれたのか。

 しかし、そこに堂々と居たとしても他人から感知されないというのは、本当にすごい能力だ。

 というかその事実、この状況的になんか余計イケナイ感じがしてくる。――心中の暴れ馬が妄想シチュエーションを加速させようとするのを必死になだめるのだった。


「私に何か用がある?」

「すみません、不用意とは思ったんですが……やっぱり、今の俺の立場の事、どうしても気になって」


 頭では解っていても、日々のまるで生殺しのようなこの感じ――精神をむしばむには充分だ。

 果たして、俺の存在は学園側にとって「厄介」なのか、あるいは「無価値」なのか。

 いらぬ好奇心と反骨心とで知るべきない事を知った俺を……それでもこのように何の処置も下さず放置している意図とは何なのか?

 目下、俺はそれを知りたい。


「その件は、私に権限がない」


 藤林監督官のその短い言葉でも、言わんとしている事は知れる。

 権限――つまり一生徒に過ぎない俺にどこまでの事情を話していいのか、その判断を下せる立場にいないという事。

 ひるがえって言えば、学園とUVFの両組織間で折り合いがついてない事が山程あるという背景なのだろう。

 それを推察できただけでも前進か。

  

 すると、向かいから医療スタッフの集団が渡って来るのを目にする。廊下の幅一杯に広がって、何かの報告をし合っている様子。

 この位置関係はまずいかと思ったその時には、藤林監督官は強引に壁際へと俺の身を押し遣る。

 二人して自販機と観葉植物の隙間にすっぽりと挟まった。――俗に言う「壁ドン」されちゃった。


 こちらを知覚できなくすると言っても、やはり物理的にはそこに存在している。

 藤林監督官が動いたという事は、スタッフ達はあのままだと〝俺ら〟という見えない〝何か〟にぶつかる事態になったのだろう。


 顔半分を向け、通り過ぎるその集団を見届けてから、藤林監督官は再びこちらと顔を合わせる。


「ともかく業務のある今はダメ。用向きなら私の方が動く」


 そう言うと、俺の身を離してゆらりと退がる。

 それで彼女の姿はまるでかすみのように、空間そのものに溶け消えた。


 もう俺にはどうあっても知覚できなくなった藤林監督官。


 取り敢えず判ったのは、彼女はこちらを受け入れてくれている様子。

 今はもう学園を離れたが、唯一無条件の味方と言っていいかもしれない文治さんの部下だ。その一事があるだけでも心強い。


 しかし、藤林監督官は「私が動く」と言っていたが、俺はどのようにしてそれを待てばいいのやら。――連絡手段とかその他諸々。

 人見知りで煙たがりな彼女の性質が、若干、垣間見えた気がする。

 周りからの干渉を避ける目的で口が利けないフリをするような人だから、それも納得か。












 

 

 



「2年の東海あずみなお先輩――」


 時野谷達と夜の自習時間を使って勉強会を開いていた。

 部屋主である羽佐間が世間話に花咲かせ始めたのは、集中力が途切れた故だ。


「本気でやべー先輩だぜ、お前らも顔と名前ぐらいは絶対におぼえとけよ」

「その人が、所謂いわゆる、この学園最強の存在だと?」


 話がそういう方向に流れた切っ掛けは何だったか。

 男子おのこなら誰でも一度は夢見る、地上最強の生物だとか、学校で一番強えのは誰かとか――まあ、そんな導入だった気がする。


「本当に、あの霧島さんよりもスゴイのかな……?」

「おーよ。半端ねー強さだって話だぜ。なんせ――知ってるか? その人はだな、能力を発現させたその瞬間にPD種をブッ倒しちまったんだとさ」

「……なんだって?」


 興奮している羽佐間は、まるで整合されてない話しぶり。


「だからよ、学園に所属するその前段階でPD種と遭遇しちまって、そんでその危うい瞬間に能力を覚醒かくせいさせて、そんでブッ倒しちまったってうわさなんだよ」

「そんなご都合展開があるか」

「おいおい、玄田、お前マジで言葉に気をつけろよ」


 羽佐間の奴、既に『虎の威を借る狐』なチンピラ感だ。どうせこいつ、その人と面識があるって程度の分際だろうに。


「もし本当の話だとしたら、その人はたった独りでPD種を倒しちゃったって事? それも発現したばかりの自分の能力を使って……?」


 時野谷が想像も出来ないという風に半口を開けていた。


「実際には、そのPD種が何の害もない程度のモンだったんだろ」

「いや、話によるとだな、危うくその場に居た全員が命を落とす事態にもなったらしい。それで一躍有名人だとか。確か、ちゃんとニュースとしても報道されたって聞いたぜ」

「客観的な情報があるってのか。……へえ」


 それが本当だとしたら、まさに漫画的なヒーローの目覚めだ。――正直、この上なくうらやましくはある。


 その後も羽佐間は勉強そっちのけで、その先輩がいかに凄いかを力説した。

 その戦闘力を買われ国連軍から既にスカウト済みだとか、その気になればここの施設を単独で吹き飛ばせるとか、それ故に学園の警備費用の半分以上がその個人能力の対策としててられているだとか。

 こちらのしょっぱい能力――そのコンプレックスを存分に抉ってくれた次第だ。



 果たして、そんな話題で盛り上がっていたのは因果かフラグか。

 東海先輩との出会いは、俺の人生でも五指に入るほどには衝撃的だった。



 ここ最近、寮の大浴場に入る際はずっと開放時間の最初か最後だ。

 理由は明瞭めいりょう――この背中に刻まれたやたらと目立つ火傷あとである。

 出血を止めるための非常手段とは言え、ほんとあのサイコパス女は何て事をしてくれたのでしょうか。

 焼けついた箇所を薄く切開して縫い合わせるという高度な処置で切創痕の方はほとんど目立たないが、ただれた皮膚ひふはどうにもならない。

 包帯はもう取れたが、背中をひねったりする際はやはり皮膚が突っ張る。

 極力、人目は避けねばならない訳だ。


 なので、その日も俺は風呂が閉まるギリギリの時間に入っていた。

 この時間帯は毎回、ほとんど利用者の影も見えない。

 男子寮特有の、むくつけき野郎共の出汁だしみ込んだ残り湯をいただくのは良い気分ではないがな。

 

 身体を洗い流し、鏡で惚れ惚れするこの筋肉の量感を部位毎に確認してから、浴槽に浸かろうと向かった。


 その時だ――

 サウナ室の扉が蹴破られたかのような音と勢いで開く。

 多量の蒸気が宿るその室から、ゆらりとした人影。

 全身、まるで茹蛸ゆでだこのように真っ赤な肌。上背があり、よく引き締まった筋肉質な体躯。胸に達する乱れた長髪で顔半分が隠れている。

 ――髪で隠れ、片側だけ覗くそのひとみが、俺を捉えるやカッと見開く。


「待ちくたびれたぜェェッ‼ 一年坊‼」


 言うや、両腕を広げ、こちらに突っ込んできた。


「――うわああああああっ!」


 咄嗟とっさに両手を突き出し、襲いかかってくる相手を抑えに回る。

 バチィと互いの両掌が合わさり、プロレスの試合のようによっつを組んだ状態。


 だが、俺がらしくもない悲鳴を上げたのは見知らずの相手が突如としてそのような凶行に走ったが故ではない。

 無論、ここが風呂場なのだから、相手と自分、どちらも全裸なのは言うまでもない。

 しかし、血走った眼元は瞳孔が開いており、口角には泡が張り付き、やたらと荒い息遣いで肩を上下させている。

 そして、それらをすらまるまる吹き飛ばす一事象――

 丸見えの股間部、そこにある〝ご立派さま〟が猛々しく天をくかのように反り返っている事だ。

 

「いやああああっ! ――ちょっと⁉ ……いやああああああああっ‼」

「ほお、かなり鍛えてるみてェだなァ。いいねェ――好きだぜ! そういうバチコシ気合の乗ってるヤツはよォ‼」


 唾を飛ばし、ギラついた眼でこちらを値踏みするような男。

 目測で180cm弱はあるその体格故、上からしかかってくるその危険人物を俺は斜め下から全身全霊で制動させる。


 正直、単純な膂力りょりょく勝負なら、同年代どころか大人が相手だって渡り合える自信がある。

 だと言うに、目の前の相手は相当な肉体的素養フィジカルエリートだ。組んだ掌から伝わる体温がやたらと高いのも気になるが、それよりもこの身長で重心のブレなさに舌を巻く。

 体格的に俺の勝算はこの低い重心を活かす事。

 両脚を大きく開げてスタンスを確保し、投げに移行できる機会があるならば――とも思うが、問題はそうやって距離を密着させると、相手のその怒張した股間部が筆舌に尽くしがたき事態に。


 というかこれ、このまま押し倒されたら確実にヤラレる。

 最近ネタではなくそういう方面なのかしらんと疑問に思う日もままある自身だが――だからと言って、こんな状況で、こんな見知らずの相手に、俺の〝純潔〟を散らしてしまって良い訳がない。


「きぃやあああああああぁぁぁっ‼」

 

 残された道は多くなかった――俺は裂帛れっぱくの気合を叫び声に乗せ、全身を総動員させたあらん限りの筋力でともかくその男を突き飛ばす。

 浴場のタイルを滑って男の身が洗い場の内壁に激突する。

 そして、そのままの状態でずるずると腰を落とした。 


「……やるじゃ……ねェか……!」


 男がニタリとした笑みひけらかし、膝を突いて立ち上がろうとした。

 ――けれど、そのまぶたがピクピクと痙攣し出したかと思えば、盛大な鼻血を前に飛ばし、白目を剥いてぐったりと天を仰いで失神したのだ。


「……何⁉ 何なのお⁉ 何なのこれえーっ⁉」


 流石の俺も浴槽に身を隠し、完全に伸び切っているその変質者の動向を探った。死んではないと思うが、ぴくりとも反応はない。

 それでもしばらくの間、俺は恐怖に震える小鹿のようにその場を動けなかった。


 だってその〝ご立派さま〟は未だに天を向き、その存在感を示してたんだもん。















「かあぁぁ……楽ンなってきた」


 浴槽をへだて、水風呂の方に浸かっているその変質者(?)が所帯染みた声を上げていた。


 さっきのは状況的に即座に警備隊に突き出す事案であったが、どうも懸念事項が多かった俺は様子見を敢行した。――決して怖くて動けなかったんじゃない。

 すると数分の後、のっそり起き上がってきたその人物。

 身構える俺には構わず、冷たいシャワーを浴び始め、今もそうしているが水風呂の浴槽へと体を沈めた。

 真っ赤だった肌も今は大分と治まって褐色になっている。サウナ室から出てきた事も含め、のぼせていたのだろうか。


「もしもし、あの……?」

「おう一年坊。悪ィな、さっきはなんか久しぶりにたかぶっちまってな。――けど手前テメェ、気合入った良い『りき』してんじゃねェか」


 相手がその長い髪を後ろへ撫でつけるように掻きあげて言う。

 確かにとんでもなく昂ってる状態だった。――体の一部が。


「高等部一年の玄田だよな? 朔馬さくまから話は聞いてる。俺ァ二年の東海あずみだ、よろしく」


 ざんばら髪を垂らし、そう雑駁ざっぱくな自己紹介をした相手。

 眉とまぶたの間隔が近く、その力強い目元は威圧感を与える。目鼻立ちは整っている方だが、顎髭あごひげなんかも生やして如何いかにも「ヤカラ」という風貌。

 けど、そこから受ける印象に陰険さの類が全くない。性根が真っすぐな人特有の闊達かったつさがあった。


 朔馬というのは遠影先輩の事だろう。――いや、それより東海って名前、さっきまさに話題に上がってた学園最強の二年生じゃねえのか。


「じゃあ、つまり奉仕部の?」

「カッハハ! 学園奉仕部とか、糞ダセエ名前だよなァ」


 歯を見せて粗野に笑う。その表情、仕草から、自信家で直情タイプなのが容易に見て取れる。


「二年の……あの東海先輩? 最強だとか噂されてる」

「その最強の東海だ」


 にべもなくそう口にした相手。

 そこにはてらいも虚勢もまるでない。

 ――俺も、一度でいいからそんな風に言い切ってみたいもんだ。


「えっとあの、それでさっきのは何だったんです? 入部後の儀式的なアレで……アレをアレしてた訳ですか……?」


 未だショックから立ち直れていない俺は、茫然自失が抜けきれてないていたずねる。

 すると彼は高らかな馬鹿笑いをしだした。


「ハハ! あれはおもろかったなァ――初めて知れたぜ。人間、長時間もぶっ続けでサウナに入ってるとよ、死を意識するもんだ。眩暈めまいに吐き気、体が震え出して、視界に粒が浮くわで……そんで挙句、何でかイチモツがいきり狂いやがンだよ。――カハハハッ!」


 人間、生命が危機にひんすると、子孫を残そうとする本能が働くとかいう話かな。かなりぶっ飛んでたのも、暑さと脱水症状で前後不覚になっていたのだろう。

 取り敢えずさっきのアレのアレは他意がある訳ではなかった……で、いいのか? 


「何でまた、そんなチキンレースめいた我慢大会を……」

「あァ? 手前のせいだろうが。こっちはどんだけ待ちぼうけたか。朔馬からおもしろうそうな奴が出てきたって聞いて、それで直接ツラでも拝んどくかと思えば――」


 片眉をいぶかしげに持ち上げ、相手――東海先輩はこちらをとがめる様な眼をくれた。


「それで俺を待っていたと」

「だァろうがよ。じゃなきゃ、誰があんな時間サウナにこもるか」

「え、いや、サウナにこもる必要性なくないすか?」

「ただ待つのも興が乗らねェ、ならいっちょ我慢比べだろ」

「比べ……え、誰と?」

「そりゃ、己自身とよ」

「えーと、うん……いや……そもそも何故に風呂場で待ち伏せ?」

「馬鹿か。おとこ同士、相手を知るのに一番手っ取り早ェのは、拳で殴り合うか、裸で胸を突き合わすかだろ」


 またまた、ちりほどの異心ことごころもない様子で大真面目に言ってける。

 でも、どうしたもんか――多分俺、この人の事まるで嫌いじゃない。


 恵まれた骨格と鍛えられたからだ、面構えも精悍で勇ましい、器を感じさせる豪放さと筋金の入った発言、学園組織を恐れさせるほどの能力を覚醒させ、その上アソコもでかい。

 ――もう男の理想そのものだろ、この人。


「だがまあ、手前の事は気に入った。そのガタイ、気合の入ってねえ奴じゃ保てねェ代物だろ。何より、さっきの一発は効いたァ。KOノックアウトされたのなんざいつ以来だったか」

「多分あの、意識途絶えたのは東海先輩がのぼせてたからだと……」

「――カッハッハ! だとしてもだ。この俺をブッ倒した事、周りに自慢していいぞ、俺が許す」


 一度、バシャバシャと水で顔を拭ってから、東海先輩は水風呂から上がる。

 俺が浸かる浴槽の前に立ち臨み、恬然てんぜんとその胸板を広げた状態で曰くげな顔を見せた。


「その内に……つっても、まァ後々だろうがよ、おもしれェ場所に連れてってやるよ――玄田」

「おもしろい所?」

「それまで、精々気張って部の〝依頼〟でもこなしてる見せるこった」


 そんな事を言っては、野性的な笑みを見せる。

 言葉の意味を捉え切れずにいる俺をお構いなしに、東海先輩は悠々とその場を後にした。


 色んな意味で規格外なその人物。

 そんな相手にただ呑まれるしかできなかった俺だ。



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