第二章 「憧れの果てを」

〈23〉


 6月も過ぎ、7月に入った。

 ただでさえ湿気の多い日本の気候。さらにこの土地――長峰ヶ丘ながみねがおかでは、夜に少しでも雨が降れば翌朝は必ずきりが立ち込める。

 雨が降ろうが止もうが、実に鬱陶うっとうしい事この上ない。

 梅雨つゆ明けもまだ遠いときたもんだ。


 けれど朝霧がけぶる林の中は、透過光のように差し込む朝日も相俟あいまってやたらと神秘的である。

 俺以外には人影もなく、本当に幻想的な風景だ。


 そんな最中に響くのは、木を穿うがつカーンという小気味の良い音。


 きこりの真似事でもしてんだろ――って?

 いやいや、まさか。

 まあ、木材におのを打ち突けてるのは確かだ。

 だがこいつは林業なんて呼べる代物じゃない。


 雑に的を描いたベニヤ板を置き立て、そこに向かって自身の能力で作成した石斧を投げつけている。

 今、俺が行っているのは「投擲スローイング」の稽古けいこ


 人影は無いとは言え安全面を考慮こうりょし、能力で筐体ブース型に保護柵をもうけ、その中央に設置した的を狙っている。

 10mまでの距離ならそれなりに上手く当てれたが、20mも離すとこれが難しい。有効射程はその辺りと見積もって間違いないか。


 そもそも俺の能力でこしらえた石斧は持ち手の部分まで岩盤なので、バランスの悪さも作用している。

 反復し、感覚で身体に覚え込ませる。


 形状を自在にできるのを活かし、プロトタイプとして岩とげの投げ槍などでも試してみたが、一番上手くいったのがこの投げ斧タイプだった。

 諸刃もろばというよりは双刃ふたばの投げ斧。つかの上下にそれぞれ刃が付き、回転が加わる事によってどちらかが突き刺さる設計。


 的に命中した際の、あの渇いた良い音を鳴らすまで難儀なんぎだったが、独学でここまでの精度と威力を誇るなら大した物だろう。



 土塊つちくれを自在にまとう俺の能力――

 防御力と汎用性となら良い線いってるはずだが、攻撃能力や殺傷さっしょう性という意味合いではからめ手で何とかという塩梅あんばいなのだ。


 まさに、今からちょうど一ヶ月前、俺はその事を思い知った次第。

 人生で初めての実戦――即ち、互いが互いの命をけて殺し合ったあの場面で、俺は否応いやおうとなくその事を思い知らされた。


 これは己の弱点を少しでも克服こくふくするための特訓な訳だ。


「何やってんだ、お前……?」


 その折、背後から戸惑っている感ありありの声がした。


 振り向けば、そこ居たのは羽佐間の奴だ。

 またタブレットの追跡アプリでも使ったか。寮に程近いとはいえ、まだ誰にも教えていない俺の秘密基地がこんな形で露見ろけんするとは。


「羽佐間か。何してんだ――こんな所で?」

「いや、それ俺のセリフだし」


 そう言いながらも、羽佐間は戸惑い半分、興味半分で、俺が的にしていたブースに近づいていく。

 不用意に射撃場に立つな、あぶねえ。


「能力使ってんのか。マメつーか、貧乏びんぼうしょうつーか」


 散らばった俺特製の投げ斧を拾い上げて繁々しげしげと観察している。


「最近、海外でちょっと流行はやってんだぞ。投げ斧競技。トレーニングにもなるし、ストレス発散にもなるしで」


 羽佐間には、そう無難に言いつくろっておく。

 実戦のための訓練だとはさすがに話せないが故だ。

 

「はーん」


 興味が有るの無いのか分からんテンションで羽佐間は手にしていた石斧をほうり、俺の所まで戻ってくる。


「でも、あれだ――玄田、お前フォームが全然なってねーわ」

「フォーム?」

「ちょっとそこ退いてろって」


 羽佐間は言うや、俺を強引に脇に押し遣った。

 そこらの地面からてのひらに収まるサイズの小石を拾い、さっきまで俺が立っていた場所に立つ。

 不審にながめるこちらの前で、羽佐間は的に対して身体を横に向けて開き、大きく足を踏み込んで腕を肩から振りかぶった。


 ここ最近、本当に意想外な事に、俺は羽佐間コイツに驚かされる事が多い。


 野球漫画を読んだ程度の知識だが、それはプロが行うような完璧なピッチングフォームだった。素人が見様見真似でやりましたという練度じゃない。

 そのたいさばきや足の運び方から知れる――反復練習によって肉体に刻まれた、まさ姿勢フォームだ。


 そして実際、羽佐間の投げた小石は的のど真ん中を示す赤い点に命中し、ガンッという音を上げていた。


「ふふん。どんなもんよ?」

「ほおー……」

「そうやって腕だけで投げてるから、ボールに速度が乗らねーんだっての。こう足上げて、身体ごと持っていくようにだな――」

「いや、ボールじゃなくて斧だがな。というか羽佐間――お前、経験者なのか? 野球の」

「……ま、ちょっとな」


 またあの片目をつむった気障きざったらしい顔付き。

 というか、本当に野球少年だったとは驚きだ。その年齢であれだけ出来るなら、きっと幼い頃からやっていたのか。


 だが、珍しい事に羽佐間はそう肯定したきりだ。

 隙あらば自慢話のコイツ、普段なら頼んでもないのにだらーっと繰り広げられる場面だろうに。


 まあ、しかしながら、羽佐間のピッチングが完璧だったとしても、俺が求めているのと方向性がまるで違う。

 今のコイツの投げ方では、言ってしまえば相手に「今から投げますよ」と知らせてしまう様なもの。それでは意味がない。

 

 そう、俺のこの「投擲」はそれこそ飛び道具――奇襲なのだから。


 素手状態でホールドアップ、頭の位置にある貫手ぬきてのようにそろえた指先、しおを計って瞬時に斧を作成、それを肩と肘と手首の力だけで投げ付ける。

 それら一連の動作こそ、いざという時の生存戦略。

 

 俺が想定しているのは対人戦だ。

 それも複数から銃口を向けられた状態での危機の脱し方。――その取っ掛かりをる為の試行錯誤。

 つまり、そういう訳だった。


 けれど、やはりその事を羽佐間には話せない。

 素直にアドバイスを受け入れるフリをして話の矛先を変える。


「そんで、はざーさんや、ほんとに何しに来たんだ? わざわざこんな場所まで来るとか」

「いや、お前のせいで俺はこんなトコまで来ちまってんだろーが。この出不精でぶしょうつーか、もはや原始人!」

「はあ?」


 険を表した羽佐間が、そばの木枝に掛けてある俺の上着を指さす。正確にはその胸ポケットからのぞ電子生徒手帳タブレットをだ。


「……ああー、そういやさっきからスマホめっちゃ鳴ってたな」

「――いや、おい!」

「悪い悪い。だいぶ熱中してたもんでよ」


 全く悪いとは思ってないが、ともかく謝っておく。

 羽佐間の奴、要するにいくら連絡しても俺が出ないからここまでノコノコやって来た訳か。

 恐ろしく暇なんかな。


「つか、マジで何なんだよお前……。ホントにそれで現代人って胸を張れんのか……?」


 うるせえ、この依存症患者共め。

 人間ひとの歴史を見りゃ、スマホなんぞが存在していなかった時代の方がはるかに長いっての。

 決して俺が面倒臭がりだからじゃない。――誓って。


「それで、そんなに緊急の話でもあるのか?」

「あるに決まってんだろーが。玄田、今日は何日だ?」

「7月4日、土曜日」

「学期末にある『演習』はいつだ?」

「今月の中旬だろ、16日だっけか?」

「もう2週間を切ってるじゃねーか! どうすんだよマジで⁉」


 まあ、その事だわな。

 羽佐間がボルテージを上げてツッコまなくても判然としている俺。


 学期末にある試験期間、その最終項目として「演習」なるものが用意されている。山野の地形を用いた大規模なレクリエーションだ。


 ただその事自体が問題じゃない。そのために編成されるチームが問題。

 というか、何故だが俺達のチームに割り込んできやがったあの霧島凛が大問題。


「お前、霧島の件は『自分が決着ケリつける』って言ってたよな⁉ それなのに何でこんなトコで斧とか投げてんだよ!」


 チームの組み分けが発表され、もう取り返しがつかないと絶望する皆の顔があまりに不憫ふびんだったので確かにそう申し出た。

 実際の所、霧島がそのような行動に出た要因は俺でしかない訳だから、それが道理かと思っての発言だ。


 が、俺の方でも、霧島とは公然に話を出来ない事情もある。

 そんなで、まあぶっちゃけ現実逃避してたふしは有ったり無かったり。

 

「落ち着けって羽佐間。考えようによってはだな、霧島のチーム加入はとんでもなく強力な『切り札カード』にだって成り得るだろ」

「……お前、それ本気で言ってんのか?」

「……いやすまん、ちょっと場を和ませようかと」

「――あんな歩く核弾頭みたいな奴、チームに置いとくだけで俺らが消し飛ぶっつーの‼」


 声の限りシャウトする羽佐間の言い分は、おおむね正しい。

 これまでの霧島の行動を振り返るに、試験中でもお構いなしに俺の命を狙い、結果として周りの羽佐間達まで消しずみになるのは充分に有り得る話。


 ただまあ、一つ取り沙汰ざたすなら「これまで」の箇所か。

 

「玄田、お前知ってんのかよ――水宮の話」

「水宮? あいつがどうした」

「どうもこうもねーっての。水宮なりに俺らを思っての行動なのか、ともかく同じチームになったんだからと、あいつ健気けなげにも霧島との距離を縮めようと話しかけたりしてたんだぜ?」

「なんと、まあ……」

「けど相手はあの人間味のカケラもない霧島だ。もうさ……冷たくあしらわれるとかの生易しい表現じゃ済まねーっての。それでもめげない水宮に、しまいにゃ霧島も剣呑けんのんさをかもしてきてよ……。ヘビににらまれたカエルだぜ」


 あの人じしない事が唯一の長所と言える水宮をそこまで追い込むか。

 霧島さんはマジ狂犬やでぇ……。


「最近あいつ、心なしかげっそりとしちまって……居たたまれねーよ……」

「水宮め、無茶をやる」

「ガチでここ数日そんな状況なのよ、わかってんのか玄田?」

「まあ、そういきるなって。手はちゃんと用意してある」

「……それ確かだろうな?」

「つまりはだ、俺達が和解とまで言わずとも、試験期間中は休戦協定みたいなものを結んで表面上だけでも大人しくしてれば良い訳だろ」

「まあ、そうだけどよ……つか、それが至難しなんわざなんじゃねーか」


 羽佐間はまだ懐疑かいぎ的だ。

 霧島のあの覇道はどうくかのような傍若ぼうじゃく無人ぶじんぶりを見てる人間からすりゃ……まあ、そう思うか。


 手はあると発言したが、そのネタは明かせない俺。

 どう説得まで持ち込むかを思案する。


 だが羽佐間はプリプリと怒りながらこちらをなじるものの、しばらくすると「ともかく頼むぞ!」とだけ残して去っていく。

 言いたい事を言って気が済んだのか、雑な性格だ。


 ただ羽佐間がお節介にも現れて、そして水宮の事を話してくれたのは僥倖ぎょうこうだった。

 用意している手立て――それの完成が近づいたと言って良い。

 今回に限り、二人には感謝の念を送っとく。

 

 さて、俺もそろそろ戻らないと寮の朝飯を食いそびれる破目はめになる。

 今日の予定を確認しつつ、急ぎ身支度を済ませた。















 休日ともあって学園は閑散としている。

 校内の施設やサービスそのものはいてるが、やはり生徒達はふもとの歓楽街に出向きたがるが故だ。

 

 学園の敷地しきち内にある図書館棟へとやって来ていた。

 蔵書の多さだけでなく、上階には視聴覚用の個室まで備わっている贅沢ぜいたくさ。学内でもお気に入りの場所だ。

 

 ここで人と会う――筈だったが、少し予定が狂ったらしい。

 俺はいつになるか分からない指示をこの場所で待ち続ける事になった。

 一階の奥、非常用出入口のマークが描かれた扉に一番近い席。通路と書架に挟まれたそこが指定席らしい。


 館内にはそれなりの生徒達がいる。テストも近いからか、みな制服姿で勉学にはげんでいる様子。

 今は俺もその一員として、これ見よがしに机にノートや教科書を広げ、足元には手提てさかばんを全開にして物を取り出しやすい状態に。


 いや、それこそが合図だ。――符牒ふちょうってヤツか。


 だがそれ以上の事は聞かされていない。

 どれだけの時間そうしていれば良いのやらで、俺も普通にテスト勉強を続けるのだった。



 小一時間は経ったであろう折――

 マナーモードにしていたタブレットが振動する。


 画面を開くと、校内チャットアプリから今し方メッセージが一件。

 遠影先輩の名前とIDが表示されたアカウントから――しかし文面と呼べるようなものは無く、にっこり笑顔の絵文字がアニメーションで表示されている。

 

 内心の焦りを表には出さず、何気ない動作で足元に置いていた鞄を探る。

 その中には、俺の私物ではない紙袋がいつの間にか紛れ込んでいる。そして一枚の紙面。


 一体どういうカラクリだろうか。

 後ろの通路を通った人間はいても、足元の鞄に近づく影がありゃ気付かない訳がないのに。

 メンバーの中に、そういう能力者がいるという事か。

 

 折りたたまれたメモ用紙を広げると、整った文体と走り書きのような簡略さでこう書かれていた。

 ――「学園奉仕部へようこそ」――


「……ご丁寧にどうも」


 誰にともなくつぶやく。

 そして不自然にならないよう、またしばらく教科書に集中し、頃合いを見計らってから荷物をまとめた。


 なんかスパイ映画みたいでテンション爆上がりだ。














 図書館を出て時間を確認すればちょうど昼時。


 俺は早速、次の一手のために水宮を呼び出す事にした。 

 週明けでもよかったが、早いに越した事はないだろう。羽佐間にせっつかれた手前もある。

 

 通話をかけてみるが、それなりの間隔コールしても応対されない。

 取り込み中かと諦めようとした時になって繋がった。まるで水宮らしくない、元気のない声で『はい……』と一言。


「水宮、俺だけど――玄田。今、平気か?」

『……りょーちん? ほいほい。どないしたん』


 電話口で少しだけ調子の戻った水宮。それでも何かやはり、その声の奥には疲労感のようなものがぬぐえない。


「これからなんだが、水宮、予定とかあるか?」

『予定? 今日はずっと部屋におるよ、とくになんもないけど』

「じゃあ寮にいるのか、都合が良い。一緒に昼飯でもどうだ? と言っても今俺学校なんだが」

『……んんーと……フツウになんで? ――って感じなんやけど』


 まどっているらしい電話の向こうに、自身が少なからずはやっていた事をさとる。

 楽な調子を意識して続けた。


「ああ、すまん――唐突だった。いやな、お前がチームの為に気をかせて、あの霧島に特攻とっこうしては玉砕ぎょくさいしてるって聞いたもんだからよ。たんを発してるのは俺なのに、水宮には無理をいちまったなと。そのねぎらいというか、何と言うかだな」

『あ、なんや……そうゆうコトか』

「具合が悪いとか気分が乗らないとかなら、気をつかわずに断ってくれ」 

『……つまり、りょーちんのオゴリ?』

「おうとも、好きなの好きなだけ食わしてやるよ。学食のなら」

『――ほな行く!』


 最後のその返事には、水宮らしいお日様のようなあのほがらかさが舞い戻っていた。

 

 

 それから20分ほどして、待ち合わせた学生食堂の前に制服のシャツ姿の水宮が駆け込んで来た。


「りょーちん、まいどー」


 陽気な挨拶をかましてくる水宮。

 普段と変わりない様子……かと思ったが、よくよく注視すれば、やはり彼女の闊達かったつさの中に影が落ちている感は否めない。

 

「実は今日の朝ちょっとぼーっとしてて、寮のごはんを食べそこねたうちにとって『たたりにふだ』なのです」

「……ああ、『渡りにふね』って言いたいんだな」

 

 どうも水宮は寝不足の様子。

 霧島のあの悪鬼あっき羅刹らせつかと見まがうこの世の物とは思えない眼光は、夢にうなされるからな。――冗談じゃなく。


「じゃあ、早速――と、言いたい所なんだが……すまん水宮。その前に俺は謝らなきゃならん」


 機先を制すよう、俺は水宮に向かって深々と頭を下げた。


「え? ……え? なになに?」 


 食堂に入ろうとしていた水宮はこちらの突飛な行動に両手をわたわたさせる。


「いや、さも慰労いろうのために呼び出した風をよそおっているが、実はお前に頼みたい事があってこんな手順を踏んだ」

「頼み事? りょーちんがうちに?」

「でも心配はするな。頼み事を断られたからって、『やっぱおごるの無し』とかセコイ真似はしない。ただな、腹いっぱい食わせた後に『実は……』ってのはフェアじゃねえよな――と思って」

「ほうほう。オトコギってやつですな」

「で、なんだが……くだんの霧島について一つ、どうしてもお前に頼まれて欲しい」

「ばっ、番長さんに関わる話なんや……」


 番長さんか――間違いなく霧島は我らの不良番長様だ。

 そして見事に引きる水宮の顔だった。


「そう構えてくれるな。単純にあいつに言伝ことづてをしてくれればいい」

「伝言って事?」

「そうだ。霧島を指定した場所、指定した時間に呼び出してくれ」

「ふむう……男の子が女の子を呼びだす一大場面……いつもなら少女マンガ展開にワーキャーなうちですが、りょーちんと番長さんの関係やと、これはヤンキーマンガにしかならんのですな」

「まあ、そういう事だ。察しが良くて助かる」

「でも何でうちなん?」

「それは……単純に俺、あいつの連絡先も知らん上、その行動範囲すら把握してないからな。授業にすら顔出さんのが常だし。いつもあっちから襲撃かけて来る訳だが、それがここ最近とんと無い。水宮はここ数日、顔合わす機会があるんだろ?」

「うーん……まあ、うちかて完全にハアクしてないけど。なんでか番長さん、寮内でも見かけんしな」

 

 強制入居の寮にすら姿を見せないのか奴は。

 相当の特別待遇だ。……その背景は今なら察しるが。


「そういう訳で、頼めるか水宮。……いや、何も呼び出して即喧嘩ってすじじゃない。今度の試験期間と、例の『演習』の際だけでも、所謂いわゆるナシつけて休戦協定を結ぼうってハラなわけだ。チームの平穏のため」


 そういった論理で俺は彼女を説き伏せる。

 無論、それだけが理由ではないのはお察しの事だろう。そして、それを水宮達に明かせないというのも。


「たしかにこのままやとアカン思うてうちも行動してたし、りょーちんの気持ちはよーくわかります」

「つまり承諾してくれると?」

「おっけーおっけー。うちに任してくださいな」


 水宮は二つ返事だ。

 こういう時は彼女のそのお気楽さが嬉しい。


「ようし、恩に着る。今日はこれまでの水宮の果敢かかん賞として、今回のはまた何時いつか埋め合わせするからよ」


 無事に交渉は終わったので、俺達はようやく食堂へと足を踏み入れた。


 水宮は俺の言葉に一切の遠慮なく、オムライスに月見うどんに唐揚げにチョコバナナクレープまで頼みやがった。

 その量、一人で平らげる気なのかよ……。


 食堂内は、意外な事に俺ら二人以外の姿はない。

 少し昼時を過ぎてしまっているし、予習復習に来てる生徒たちは弁当持参で教室とかで食べてるのか。


 そんな中で水宮の一人うたげが開催されていた。


「なんて事ない学食のごはんも、オゴリというだけでこんな美味しく感じられるんはこの世のセツリやなぁ」

「調子に乗ってるが、ほんとにそれ一人で食い切れよ」

「ちゃうねん、『和洋集中』をやってみたかってん」

折衷せっちゅうか」


 予想外の出費に、俺は無料提供の麦茶で腹を誤魔化す始末。

 ひもじい。


 しばらく、嬉しそうにはしを進める水宮を眺めていたが、ふとそういう純真で屈託くったくのない彼女の情調じょうちょうに当てられた。

 水宮があぶれ者のあの霧島と真っ当な人間関係を築こうとしてくれた――その一事が、何だか俺の内心を震わせた。


「けどさ、本当にお前はすごいと思う。あの霧島と真っ向から距離を縮めようと考えるとか、他の誰にも真似できねえって」

「ほうかな?」

 

 唐揚げを頬張りながらきょとんとする水宮。


「茶化す訳じゃなく、水宮のそういう真っ直ぐで晴れやかな所――人として、これ以上ない美点だと思うぜ」


 あるいはそういう人間が、幼少の頃から霧島のかたわらに居てさえくれたならば……。

 せん無い事と知ってなお、俺は考えずにはいれなかった。


「……うーん、なんてのやろか。うちと番長さん、もしかしたら似てる部分があって……それでもしかしたら仲良うなれるおもただけ」

「水宮と霧島に似通にかよった部分……?」


 予想だにしない発言に、身が強張こわばってまじまじと相手を見つめてしまう。

 どう比較してみても、性格その他諸々――まるで正反対な気がするが。


「いや、全く思い当たらねえ」

「えっとな、どう言うたらええんやろ……? 何かで読んだけど、つまり誰かにコダワルのは理由があって、その人のことを思う時間、考える時間がめっちゃ多いからやねんて。そういう心の動きがないと、人間はそこまでの行動を起こせへんのやってさ。やから、その……」

「……スマン、話が抽象的過ぎる」

「むむむむ……あかんわ。うちの脳みそではちゃんとした説明ができんのです」


 箸を噛んだまま、しぶいは顔でうなる水宮だ。


 ただまあ、水宮なりの理由と算段があって思い立ったという事だけは理解した。そしてそれを基にして、霧島と友達になろうとしてくれた事も。


 俺が水差したせいで食事が止まってしまった水宮。「今の話は気にするな」と先を促し、俺は本日3杯目の麦茶を補充に席を立つ。

 ガムシロでも入れて多少なりカロリーを足すかと考えながら戻ると、水宮の箸を進めるスピードが目に見えてのろいのに気付く。


「おい水宮、まさか……」

「んー、いやぁ……注文した時は絶対イケルおもたんやけどぉ……」


 困った笑顔で俺を見上げている。

 やっぱりコイツ、奢りだからって調子に乗って食い切れねえ量を注文してやがったか。――このアホ。


「そっ、そんな顔せんといてや。というか、りょーちんも一口どない? 〝タダ〟というゴクジョーのスパイスがきいてて、めっちゃおいしいで?」

「その極上のスパイスはなあ、金を払った俺にだけは効果がねえんだよ。……ったくお前は」

「やってぇ……朝食べてないから、これくらい余裕やおもたんやもん」


 むしろ朝飯食ってないから胃が縮小してるまである。

 そういう事をホント考えられない奴だ。


「ほらほら、りょーちん食べさせたげる。はい、あーん」

 

 そしてオムライスを皿ごと持ち、スプーンですくっては執拗に俺に残りを食わそうとしてくる水宮。


「やめい。周りが見えないバカップルか」

「いや、ほんまにな、今ほら食堂にうちらしかおらんやん? おばちゃん達こっちめっちゃ見てるし……残すの気がひけるし……」


 確かにさっきから厨房のおばちゃん連中はチラチラこっちをうかがっている。逆にこちらから目線を飛ばせば、不自然極まりなく身体を背ける。

 居心地は相当に悪い。


「なら、なんで全部に口つけちまうんだよ。一品ずつならまだしも」

「そうは言うても、目の前にあったら色々ちょっとずつ食べたなるやん」


 衝動に正直な奴だった。


 若干涙目で口をへの字にしている水宮が、めげずにオムライスの欠片かけらが乗ったスプーンを突きつけてくる。

 仕様がなく、俺はそいつを受け取った。


「わかった――わかったよ。お前には義理がある、残飯処理ぐらい任せろ」

「それでこそりょーちんや! でもクレープだけは別腹やからうちがもらうな」

「ほんと調子良いな……」


 という事になり、デザート以外の残りを平らげる破目に。

 気合を込め、意地と捨てばちとでそれらをものの数分で完食して見せた俺。


「おおー、育ち盛りの男子って感じや」


 俺の食事風景フードファイトさかなにクレープかじってた水宮は、それを食べ終えるや、他人事ひとごとのようにパチパチと拍手をかます。

 この暢気のんきさは長所でもあるが。


「……あっ」


 しかし、綺麗になった皿にスプーンと箸を置いた俺を見て、水宮は間抜けな声を上げる。


「なんだ、『あっ』ってのは? 食い切ってから、やっぱ食べたかったとかは流石に無いぞ水宮」

「ちゃう、ちゃうて。ちゃうねん――なんでもない。気にせんでよ、うちも気にしすぎやわ……。ほら、もう行こ」


 何故だかはにかむように頬を赤くした水宮が、急かし立てる勢いで自身の食器類をトレイに乗せて返却口へと。

 何が何だか分からん俺も、ともかく麦茶の残りを飲み干し、自分が持ってきたコップを返す。



 ……あっ。



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