〈22〉



 長峰ヶ丘へ戻った俺に、文治さんは事情を説明してはくれなかった。


 未だ学園の庇護下ひごかにある俺が知るべき事ではない――という事なのか。

 少なくとも俺があの機関と接触した事実など、諸共もろともに闇へとほうむられた次第だろう。

 なら俺一人が騒ぎたてるなど愚の骨頂って奴だ。

 元より、そんなつもりもない。


 学園から口止めでもされるのかと思いきや、特に何のお達しもなかった。

 もしくはそれで察しろという事か。

 ただ今は、蒼沼のほとりで疲労困憊こんぱいで倒れていた所を捜索隊から発見されたというシナリオを受け入れるのみ。

 麻酔薬の副作用で時野谷や羽佐間達には前後の記憶が曖昧あいまいらしいので、その辻褄つじつま合わせには特に困らないだろう。


 俺は一人、背中の大怪我のせいで入院と相なる。


 周りへの体裁として、擦り剥いた背中の傷口に良くないばい菌が入り込み、ひどく化膿してしまい、自分で熱消毒を試みたとか――そんなとこだ。

 外出禁止、面会謝絶しゃぜつの特別病棟に入れられ、一部の病院関係者以外とは顔も合わせられない軟禁状態。

 IDタブレットすらも理由をつけて没収された。

 これがかなり特殊な措置だったのがうかがえる。


 おそらく学園側の意向だな。

 俺についての、何らかの調整をほどこさねばならなかったのだろう。


 そんなで、2週間は軽くぶち込まれていたと思う。














 退院の日、新調した制服に着替え、来た時と同じく手ぶらで一階の受付に向かう。

 そこには国村先生が待ち受けていた。


「うわ、なんで先生が」

「こら玄田。『うわ』――とは何だ失礼な」

「あ、いえ、すんませんっす」


 どうやら保護者として病院側への手続きに来てくれたらしい。


 国村先生が書類の手続きを済ませている間、俺は患者番号が内臓されているリストバンドを返却した。

 その際、「学園から届いてますよ」と言われ、自分の電子生徒手帳が手渡される。

 修理だの何だのと言い渡されていたが、ようやく手元に戻ってきたか。


 さてさて、それで一体俺のIDタブレットにどんな細工をほどこしたのやら。

 監視の目が一段ときつくなる程度で済めばいいが。

 まさか爆弾などは取り付けまい。――いや、マジで大丈夫だよねこれ?

 恐る恐るでめつすがめつだ。


 国村先生は手続きを済ませると、子供にそうするみたいに俺の頭を下げさせ「どうもお世話になりました」と病院のスタッフに礼を言った。――それぐらい言えますってば自分で。


 ほんとこの人は俺たちの事を何のさわりもなく、ただの手の焼ける一生徒として扱ってくれるもんだ。

 そんなだから余計に心苦しい。



 帰りは、先生の自家用車らしい車でだ。

 午後からの授業には顔を出す手筈が整っているらしい。



 助手席で揺られながら、若干、俺は緊張していた。


「……あのー、やっぱ先生、怒ってます?」


 さっきからそうやってむすっとした顔で運転している担任の手前、俺はおずおずとたずねた。

 鼻で溜め息を漏らしてから、国村先生は口を開く。


「水宮達からな、話は聞いた」

「そ、そっすか……」


 さらに俺は緊張を高める。

 俺達の悪だくみはまだバレていないはず

 しかし、あの水宮が先生に怒られ、「びえーん」と泣きながら本当の事を話してしまっている場面がありありと目に浮ぶ。

 本気で有り得ない事じゃないから厄介だ。


「お前がいてくれて助かったよ、玄田」

「はい?」

「水宮達が言っていたが、お前がついてなきゃ本当にもっと危うい状況にだって成りえたそうじゃないか」

「あぁ……えっと、はい」


 どうやら取り越し苦労のようだ。――水宮、よく耐え抜いたぞ。


「お前は何というか……こっちの言う事は素直に聞いてはくれないが、それでも機知に長けるというか、抜け目のない奴だからな」


 いやあ、割かし俺って素直な方だと思うんですけど。


「でも、うーん……そんなお前がいながら、森で遭難するなんていうのが少しに落ちないんだが……」

「――いえいえ! 俺もまだまだミジュクモノなウカツモノですんで!」


 抜けてるようでいて変なとこで鋭いのがあなどれない、そんな国村先生だ。


「今後は、頼むから模範を胸にするんだぞ」

「申し開きもないっす」

「しかしまあ、とにかくお前たちが無事で何よりだ」

 

 最後はそう締め括って、深く刻んでいた眉間の縦皺たてじわを伸ばした。


 長峰ヶ丘学園という底の知れないこの巨大組織――

 それでもこうやって俺達の事を本気で心配してくれる、つまり味方でいてくれる人間が学園にはいる。

 この監獄という名の学びを、まだもう少しは信じていられそうだ。



 車はてっきりそのまま学園に向かうと思ってたのに、俺は途中の駅の近くで降ろされた。

 というのも、そもそも一番の目的であった病気療養の為の休学届け――それに必要な証明書を病院の受付に置き忘れたらしい。

 国村先生は一人、病院へとトンボ返り。

 本当に抜けているようで鋭く、ちゃんとしているようでダメダメなお人だ。
















 モノレールの車内はこの時間帯、閑散かんさんとしている。

 まあ、山頂の学園に用がある部外者などそうはいないから当たり前だ。


 そんな物静けさに感じ入っていた俺は、だからこのガラ空きの車内で態々わざわざに俺の隣へと腰を落とした人物を怪訝けげんに見た。

 そして、息を呑む。


「遠影先輩?」

「や、玄田くん」


 すぐ隣で見目形みめかたちの整い切った麗人が足を組んでいた。

 その銀色に彩られた風采ふうさいを確認するや、視点がハイライトされたようぐっとそこに固定される。


「退院おめでとう。――あ、お祝いの品は用意してないんだ。ごめん」

「いえ、そんな物は別に……。というか、どうしてこんな所で……?」

「僕もちょと用事があって、下の町にね」

「じゃあ、先輩もこれから学校に?」

「そんなところ」


 とは言う遠影先輩だが、どう見ても制服は着ていない。

 細身のベージュ色のボトムスに無地のカジュアルシャツ姿で、やはり肘掛けから身を乗り出すようしてこちらと距離を詰めている。

 ――いえ、ですからあの、その距離は友人知人の枠じゃないと思うんです。


「俺が入院していた事って、知ってるんですね」

「けっこう噂になってるよ」

「そうすか。今日退院する事も、もしかして……?」

「いいや。今こうして偶々たまたまに君を見かけたものだから。背中の傷はもう平気なのかい? 大変だったね」

「え、ええ……。もう充分に」

「それは何より」

「遠影先輩――」

「何だい?」

「……その……」


 言葉が喉に引っ掛かり、俺は二の句をげなかった。

 そんな俺を遠影先輩が少しだけ不審そうに見遣る。


 正直、戸惑っていた。


 ここ数日ずっと遠影先輩には会いたいと思っていた。

 会って、話を聞きたいと思っていた。

 学園の事。

 監査室の事。

 地下に広がる大規模な施設群の事。

 赤植が率いるあの秘密機関の事。

 霧島の事……。

 ――訊ねたい事が幾らもあった。


 もしかしたら俺が想定してる以上の事を、この人は知っているんじゃないかって気がする。


 だからこの場所で顔を合わす事ができたというのは好都合だ。

 いや、好都合過ぎて俺は警戒しているのかもしれない。


 話を聞きたかったし、聞かせてみたかった。

 あの赤植という男が行なってきた所業を話した時、一体、目の前のこの人はどういう表情をするんだろう。


 顔を強張こわばらせ、少なくない怒りをあらわにするだろうか。

 眉をくもらせ、悲痛に顔を歪ませてしまうだろうか。

 あるいは、今と変わらぬその穏やかさをたたえたままだろうか。

 そのどれをも浮かべていそうだった。


 同時に、訊ねたそれら全ての「答え」が返ってきそう気がした。


 だから俺は躊躇ちゅうちょしているのか。

 次の瞬間にでもこの人が、「実は全てお見通しなんだ」――と柔らかくんだとして、俺はきっと驚けない。


 こわいのは――躊躇ためらっているのは、もしかしたら遠影先輩が『全知』なのかもしれないという点じゃない。

 言葉にして問い掛けるだけで、俺の求めている答えが、探しているモノが、いとも容易く手に入ってしまうのではというその懸念けねんだ。


 文治さんは言った。

 「今はただ、そうやって刻み込め」――と。


 まどいも不安も、絶望も憔悴しょうすいも、そして希望も。

 全てを刻み込んで俺はその一歩を踏み出さなくちゃいけない。

 この足で、前へと。

 この腕で、上へと。


 だから今、その問いを口にしてはいけない気がする。

 目指すはるか天辺のゴールが、一歩も踏み出す事なく転げちてきそうだから。


 勿論、答えには辿たどり着きたい。

 なるべく早く、できれば簡単に。

 ――そう思わない事はねえさ。


 けど、それじゃ意味がない。

 本当に欲しいのは答えを掴み取れるだけの自分自身だ。


 とどのつまり、やっぱり俺ってそういう身勝手な人間なのかな。

 でも、それいいんだ。


 だから俺は、喉まで出掛かっていたまとまりのつかないそれら全部を敢えて呑み込んだ。

 呑み込んで、はらん中で一切合財を熱量エネルギーえてやるつもりだ。


 すると、そんな俺を見遣っていた遠影先輩がぴくりと片方の眉だけを動かした。

 そして次の瞬間、ふっとした吐息を洩らした。

 それは笑ったとも、呆れたとも取れるような揺らめき。


「何はともかく――」


 先輩はシートに深く背中を預け、両腕を広げてみせる。


「おかえり、玄田くん。君が戻ってきたとあらばすぐにも学園が活気づくよ。――色々と、楽しくなりそうかな」


 そんな意味深長な事を言い、やっぱり穏やかに目を細めた。























 2週間近くってのは結構長い休みだったよな。

 一般の見舞い客は謝絶だったから時野谷達の顔をあれ以来見てない事になる。

 なんだか色々なつかしい。


 そんな感慨かんがいを引き連れて、午後からの授業に合流すべく、俺は昼休みの喧騒けんぞうまみれた教室へと足を踏み入れる。


「うーす」

「亮一くん!」


 教室に入るなり、いの一番に時野谷がお出迎えしてくれた。

 久方ぶりのその控え目で愛らしい幼顔おさながおにほっとする。――結婚しよう。


「良かった……! 連絡もつかないばかりか、病院に行っても面会謝絶が一向にけなくて……ボク、本当に心配で心配でどうしようかと……」


 〈我が愛しき地上の光ラブリーマイエンジェル〉こと時野谷は、本当に心配でたまらなかったという風な切ない顔を覗かせていた。――結婚しよう。カナダに行こう。


「悪かったな。処置やら経過観察やらで随分と立て込んでたんだ」

「そんなに重態だったの?」

「うん? ……まあ、それなりにだ」


 さすがに歯切れが悪くなってしまう。


「うおっ――玄田じゃねーか!」

「よお羽佐間」


 折りよく羽佐間の奴も廊下から姿を見せた。

 連れ立って自分の席へと向かう。


「お前あれだったんだろ、破傷風だっけか? それで病院に担ぎ込まれたんだって」

「まあ、な」


 その体裁を整えるよう、無難にうなずく。 


「あれ? ――りょーちんやないのーっ!」

「あ、玄田くん……!」


 がやがやとした教室の中、後ろの席で話し込んでいた水宮達もこっちに気がつく。


「もうケガ治ったん? 大変やったなー」

「おかげさんで」


 これで、全員の無事な顔を拝めたわけか。

 とにかくみんなが欠けずに帰れた事にまずは安堵だな。


「にしても冴えねーよな。玄田は入院のき目にあったし、俺達だって疲労で意識無くなったせいか記憶もほとんど飛んじまってるし」

「そういえば亮一くんだけは意識を失わず、昏睡しちゃってたボク達にずっと付いててくれたって聞いたけど」

「え? ああ……そ、そうだぞ。疲れて眠り込んじまったお前等に代わって、捜索隊が到着するまで俺が片時も離れずばんをしてやってたんだぞ」


 ――というシナリオらしい。


「ともかくだな、みんな流石に疲れ果ててたんだろうよ。かなり待たされたとは言え、捜索隊が来てくれて助かった」

「なあなあ、りょーちん? うちあの時、ハッキリとはせえへんけど、なんかむっちゃ怖い目にうた気がしてならんの。……何かあった?」

「怖い目って――そりゃ俺達、真っ暗な森の中でいつ来るかも分からない助けを待ってたんだ。怖くて当たり前だろ」

「んん……そうやなくて、なんかもっとショッキングな事があったような……そうでないような……」


 水宮のやつ、若干ながらその時の記憶を有してるのか?

 ちょっとどころじゃなく危ういぞこれは。


「まーた水宮はそんなコト言ってんのか」

「むぅ……はざーちゃんら、ホンマになんもおぼえてへんの? あの晩みんなでたき火を囲んでた時、なんかびっくりするような事が……」

「どうだろう。ボクもみんなで焚き火を囲んで、班決めの事とか話してたのは覚えてるんだけど、それ以外はなんかあやふやで」

「俺も全然そんな記憶ねーぞ? 大方、水宮だけ怖い夢でも見てたんだろ」


 うむ、よし。

 今この瞬間だけは何の根拠もないのに常に自信満々な羽佐間が役に立っている。その調子でどんどん事実を塗りつぶしてしまうのだ。


「むむむむ……。うちの思いちがいなんかなぁ」

「……神山はどうなんだ? 何かその、あの晩の事で覚えてる箇所は?」


 取り留めなく思索してるようにぼーっとしてるのは相変わらずだが、その沈黙が何か含む所があるんじゃないかという懸念から、俺は彼女にその話題を振った。


「え……? ……あ、アノ……」


 幾許いくばくかの緊張をひそめつつ、返答を待つ。


「ワタシは……エット、あの時は……その……」


 上擦った声でしどろもどろ。

 しかし、どこか躊躇ためらうような素振りとも言える。

 そんな思わせぶりな様子に、正直俺のきもは冷え込む。


「……――ううん。わたしも、よく覚えて……ないです」

「そうか」

「あーうー。やっぱうちだけなん?」


 に落ちない顔で首をかしげてうめいている水宮。

 俺は内心で長い息を吐く。

 水宮一人だけならば、強引に丸め込んでしまえる。――可哀想だがな。

 知らないでいるという事がこいつらの安全に繋がるわけだから、水宮には泥をかぶってもらう他なかった。


 しかし本当に情けない限りだ。


 一体、俺は何をやってんだか。

 結果論だが、正味、俺のやった事ってのはまるで無意味じゃなかったろうか。

 あの晩、無駄な抵抗を試みず羽佐間と一緒に眠らされていても、今みたいにこうして学園生活に戻れていた。


 あの化け熊の事が思い浮かぶ。


 あの場面では、俺はただ必死だった。

 奴を仕留める為に自身に出来得る最大を用いて事にかった。

 結果、殺す事になった。

 それは仕方がない話なのかもしれない。


 でもあの場には時間を有したとはいえ文治さんが派遣されてきた。

 文治さんなら、あの熊の抵抗力だけを奪い捕獲するなんて造作もない。


 俺が関わらなければあいつは死ぬ事がなかったかもしれないのだ。

 そう思うと、余計にやり切れなくなる。


 勿論、捕獲された後で、結局は始末が追えず殺されていたかもしれない。

 あの男――赤植によって、それこそ死んだ方がマシな実験素材にされて、生きたまま分けられたかもしれない。


 けど、出来ればあいつをこの手で殺してしまいたくはなかった。


 過ぎ去ってしまった今だから、そう無責任に言えるのか。

 ほんと過去に『もしも』を言っててもキリがねえんだな。


 そういえば、時野谷ともあの晩にそんな話をしたっけか。


「なあ、時野谷」

「なに? 亮一くん」

「いや、あの時にしてくれた話なんだけどな」

「あの時って?」

「ほら、あの小屋での事さ。窓越しに話してくれたじゃねえか、『もし結果が分かっていたら』ていう仮定の話」

「えーっと……」

「あれ? 憶えてないのか?」

「あの焚火を囲んでた晩の話だよね? そんな話したっけボクら……」

「あぁ――いや! 憶えて無いならいいんだ。全く大した話じゃねえからさ」

「そう?」


 危ねえ危ねえ。

 変に記憶を刺激して、あの時の事を思い返させちゃまずいよな。

 まだそうやって「あーうーあー」とかうなってる水宮みたいになっちまう。


「それよりよ、重要なのは結局ぶっ倒れたせいか皆ほとんど記憶が抜け落ちてて、事はバレずにいるのに収穫はまるで無しってコトなんだよなー」


 羽佐間が声を抑えながら、それでも不満を口にする。

 西側の監視網の件どころかヘリが一機だって飛んでいなかった事まで、それら全ての裏に事情があったとは勿論知らない羽佐間達。

 あそこまで行けたのが、そもそも何かたちの悪い冗談だったような気さえする。


「まあ、ええやんか。正式なおとがめまるで無しやったし。……国やんにはむっちゃ怒られたけど」

「そうだね。取り敢えずみんな無事に帰ってこれたんだもの」

「あ、ソノ……ちょっとおもむきの違うピクニックだったと思えば……」

「ま、今さらどうにもなんねーか。前期末にある演習の事はもうみんなに知れ渡っちまってるしよ」

「あ、そうだった。亮一くんが入院してる間にその試験の事が発表されて、チーム編成の申請は確か今日の放課後までなんだって」

「今日までか。やっぱりこっちに準備期間を与えねえつもりだな」

「それで、どうしよっか?」


 おずおずという感じで、時野谷はそう俺に上目遣いな視線を送る。


「どうしようかって、何だ」

「その、事前申請をしないとランダムに班を振り分けられちゃうから……」

「――? なら、とっとと申請しとこうぜ」

「えっと……」


 どうも遠慮してるっぽい物言いの時野谷。

 そして周りに視線を移せば、水宮や神山までもが同じ風でいた。


「それがよー、こいつらさ」


 唯一、羽佐間だけがいつものごとく片目をつむったしたり顔だ。

 その上どこか呆れている風でもあった。


「そのな、うちらってほら、りょーちんやはざーちゃんらほど能力を上手く使われへんやん?」

「……あと、ソノ……使えてもお二人ほど凄くないというカ……活躍できないので……」

「特にボクなんか、本当にお荷物だから」

「――と、こういう具合なのよこいつら」


 なるほど、そういう訳か。


「お前ら、そんな事で遠慮してるってのか? 馬鹿だなあ」

「言うても、いちばん大事な部分やん。クラスのみんなかて、発表があってからは引き抜き合戦みたいなんやで? みんな自分らのチームの戦力そろえようと……」


 最後の方はしゅんとなりながら水宮は訴える。


「きっと亮一くんなら、ちゃんと自分のチームの戦略とかを立ててるんだろうなって思って。もっと有用な能力で……その、チームを組みたいんじゃ?」


 時野谷までもがそんな悲しい事を言ってくれる。

 仕方なく、俺はまた声を大にする他なかった。


「あのな、あの晩にも俺は言ったろうが? 能力がどうのこうのじゃねえのさ。俺はお前らっていうその個性こそを有用だと思ってんだよ」

「なら、なおの事ボクらじゃ……」

「違うぜ時野谷。個性ってのはよ、生まれ持った才能とかの事じゃねえんだ。お前ら〝そのもの〟って意味なんだよ」

「そのもの……? なんそれ、どういう意味なん?」

「お前らが、〝お前ら〟でいるって事さ」

「んー……?」

「だから! ……いいんだよ、お前らがそうしていてくれるだけで」


 ちっぽけだろうが、惨めだろうが、それを恥じる理由なんかはない。

 情けない自分が情けなさ過ぎてさらに情けない気持ちになるのも。

 そこから抜け出せないのがもどかしくて歯痒くて大声で叫びだしたくなるのも。

 それらを受け入れられるならば――『それでよし』だ。


「確かによ、今の俺らは最高のチームって訳じゃねえ。けどな、最高になれる可能性が大なチームだぜこいつは」

「んー……何て言うんやろか……つまり、うちらは将来性がめっちゃあるって話なん?」

「おうさ、水宮」

「本当に、そ……そうでしょうカ……」

「信じていいぜ、神山。俺達は学園の最大の規則を敢えて破っておいて、今もこうして平然としてられんだ。学園の歴史でもそうはいねえ大物っぷりさ」

「ア、アアアアノ……そう改めて言われる、と、トト……」


 しまった、神山にこの発破はっぱの掛け方は逆効果か。

 大それた事をやって除けた俺らなら自信を持っていいと言いたかったんだが、ちょいと大それ過ぎてるからな。


「とにかく――ほら、何だかんだ俺らはうまい事やってるじゃねえか。今もこうやってよ。つまり、世は全て事もなしだ」

「最後のセリフだけ意味不明だが、俺も玄田の意見には賛成だ。総合力よりも、結束力チームワークがモノを言うって時もあるしよ」

「おうハゲ、良い事言うじゃねえかハゲ」

「ハゲハゲうるせーよ!」

「あはは、僕ら確かにチームワークだけは自慢できるかもね」


 うつむいて逡巡しゅんじゅんしていた時野谷が、俺達のやり取りに顔を上げた。


「ああ、時野谷。このメンバーで良い。いや、このメンバーだからこそ良いんだ。そうやって、些細ささいな事までも真っ直ぐに思い遣ってくれるお前だから嬉しいんだ。必要なんだぜ」

「りょ、亮一くん……そんなっ……」


 またそうやって、ほっぺをリンゴのように赤くする時野谷だ。――結婚しよう。今この瞬間に永遠を誓い合おう。


「長々と語ってきたが、つまり言いたかったのは、お前らこれからもよろしく頼むぞ――ってな事だ」


 そう一同の顔を視線でめぐらせてから俺は不敵に笑んでみせた。


 それを受けて、皆の顔がやわらぎ、そして華やいだ。


「まっ、そーゆーこったな」

「おっけーおっけー! うちに任しとき!」

「ハ、はい! ……です」

「改めてよろしくだね」


 まったく、結局は皆こんな好い顔をしやがる訳だ。


「じゃ、その申請とか済ませちまおう」

「あっ、うん。というか実はもう用紙は貰ってあるんだ。しかも、えと……亮一くん以外はみんな名前書いてあって……」


 そう時野谷は一枚の用紙を恥ずかしげに広げた。

 確かに、そこには俺以外の名前がすでに記されている。


「おいおい、お前ら――」

「えへへ……」

「にゃはははっ」

「そそ、その……アノ……」

「だから俺は始めから、そんなの気にする必要ねーって言ったんだぜ?」


 やれやれと、俺も筆記具を取り出して用紙にサインする。


「あー玄田、大事な事を忘れてた。実はその事前申請なんだがよ、チームの編成は6人揃ってからじゃないと通らねーんだって。各チームがバラバラな人数だと、残りが不均等になるからって話で」

「ふぅん。じゃあ一人引っ張ってこねえとか」


 確かに用紙の記入枠は六分割されており、今羽佐間が言った旨の事が注意書きとして印字されている。


「あと一応チームの代表を決めなきゃいけねーんだが、これは話し合うまでもなく俺に決定だからそう書いといたぜ」

「お、そうだな」


 どばっと修正液で、厚かましくもチーム代表の枠に居座ってるその文字を上塗った。


「――って、おいィ! 何してんだテメ!」

「あぁ? お前がチームリーダーとか、俺の腹斜筋群にどんだけ負荷をかける気だ?」

「あンだとごらァッ⁉」

「大体お前のガバガバな計画のせいで、どんだけ危うい目にあったと思ってんだ。そんなお前がリーダーだあ? バカか羽佐間? 羽佐間バカか? バカ羽佐間バカか?」

「てめーよォォッ‼ マジでいっぺん白黒つけっか――おぉン⁉」

「――誰に向かって口利いとんじゃいッ‼ ――ッスゾナレワラァ⁉」

「もう、喧嘩はダメだってば」

「さっき、アノ……チームワークがって言ってたのに……」

「そやがな。どう考えてもリーダーはうちがやるべきやって」

「「――だから、それは無いって」」


 そんなで、わいきゃいと馬鹿騒ぎする俺達だった。


 しかし困った。

 なんだかんだ、あの計画のおかげで仲を深めたこの5人である。今から不慣れな新しい人間を引き込んで、このチームの結束を乱すのもどうかと。

 まあ、まだ放課後までは時間はある。

 授業時間を使って何か良い案を練るとしよう。そうしよう。



 そんな折だった。


 喧騒の中にあって教室内がさらに大きくざわついた。

 ざわついたというか、正確には黄色い嬌声きょうせいが上がった。


 何事かと振り向けば、教室の入り口に、その張りのあるしなやかな体を半身にしてたたずむ人物が一人。


 そういやこの目で直にその無事を確認したかった相手がまだいたな。


 いいや――正直、誰よりも気掛かりで仕方なかった。


 何度も死にかけて、けれど全身全霊を以って、それでも力及ばなくて、反省ばかりのあの晩の事。

 だが後悔はしていない。

 むしろ何も知らずに眠らされ、何の関わり合いも持てなかった――そんな風にはならず嬉しくもあるんだ。


 そこには確かに俺が掴み取れた欠片かけらがあったはず

 そう、どんなにわずかでも、その先へと繋がってくれるかもしれないそんな何かが。


 さて、教室の扉には人目をこれでもかと惹き付けて止まない容姿――それをむべに誇るかのよう、あの霧島が立っていた。


 そういや教室でこいつと顔を合わせるの、なんか物凄く久しぶりな気がする。

 相変わらずほとんど授業に姿を見せないらしい霧島の手前、ファンクラブのメンバーの女子たちがこぞってテンションを上げている。

 普段なら問題児筆頭の彼女は、そのまま不良の特等席こと窓際最後尾に一直線に向かう。

 しかし何とも恐ろしい事に、彼女は途中で向きを変え、俺達の寄り集まるこの場所へと迫ってくるではないか。


 俺以外が、凍りつくように身を固くする。

 所謂いわゆる仲良くみんなで遊んでたら、いじめっ子のガキ大将が割り込んできたあれですよこれ。

 頭の天辺近くで結った長い髪は慣性で揺れ、気怠けだるげな目をした美貌の主が俺の眼前にて歩を止めた。


「…………………」


 さて、と――

 あの時以来か。


 あの日、あの場面で、俺はこいつの前から消えたかのように行方をくらました。

 その俺が何事もなくこうして登校している様に、こいつはどんな感慨を抱くのだろうかな。


 互いにこうして無事な姿を目にした訳だが、俺の方と言えば、何やら引け目を感じてしまっている。

 気まずいといった方が的確か。


 俺はこいつを助けてやる事もできない。

 それどころか未だ味方にすらなってやれてない始末だ。

 もっとも、こいつは俺に助けて貰おうなんざ考えてもいない。

 こいつはこいつの矜持きょうじで、恵ちゃんを守るために動いている。

 立派なもんさ。


 つまる所、俺の身の程知らずな考えは全く以って一方通行。

 片思いってヤツだ。


 切ないねえ。


 けどそれでいい。

 今の俺の身のたけに合った至極しごく当然の結果だ。


 ただ無論、それで満足するような俺じゃねえさ。

 だからどうかもう少しだけ待っていてくれよ。


 ――なんてな。


「何か御用ごようで?」


 気恥ずかしさを誤魔化すために、そうぶっきらぼうに問い掛けた。


 向こうでは俺の件をどう処理つけたのやら。

 しかし、ここで霧島もあの時の事を大っぴらに言ってける筈もない。

 それでも相変わらずの雰囲気の霧島は、口を閉ざしてこちらを値踏みするように視線でめていた。


 時野谷達が余りの緊張から、青い顔をして身を退きつつある。


 と、ふいに彼女は、その視線を俺の顔から机の上に落とした。

 そこには無論、全て記入済みのチーム編成の要望用紙があった。


「だから何だよ?」


 突如、霧島はその用紙を引っ手繰たくる。

 不審に眉根を寄せる俺の手からさらにボールペンを分捕ぶんどると、あろう事かその用紙の最後のらんに自分の名前を記入した。


「これ、出しておいてあげる」

「は……? え……?」


 目が点になっている俺達などまるで差し置いて、彼女はその用紙を引っげて教室を後にしようとする。


「――まっ、待てぇぇーい!」


 意図する所がまるで分からず場に流されそうになったが、心を強くして立ち上がった。

 颯爽さっそうと去ろうとする霧島の眼前に回りこむ俺。

 教室内が、さっきの大声でにわかに静まっていた。


「お前、何故に……一体どういうつもりだこら⁉」

「なに?」

「だから! 何でお前、強制的に俺らのチームに入ろうとしてんだよって!」


 素でなのか何なのか、つやっぽく首をかしげて見せる霧島に俺は喰って掛かる。

 その俺達のやり取りをクラス中が注視してるらしく、特に霧島ファンクラブの女生徒達がその内容に驚愕と不満の声をもらした。


「もしかして、あれかお前? 自分がいじめっ子の嫌われっ子だからクラスからはぶられると思って、既成的に俺らのチームに入ろうとしたってか? ん? そうなのか? ――ええ?」

「………………」

「霧島よお、お前がちゃーんと頭を下げてそうお願いしてきたなら、俺達だってそう無碍むげにはしないんだぜ? けどな、今お前がした様なやり方は良くないよなあ?」


 間違いなく友達がいないであろう霧島なら、さもありなんってな具合。

 故に俺はその態度こそが問題であると教え導かねばならなかった。


 だが、口火を切ったのは外野の女子共だ。


「ちょっと玄田! さっきからアンタ霧島さんに失礼じゃん!」

「そうよ! 霧島さんならどこのチームだって引く手数多に決まってんじゃない!」

「バッカじゃないの!」

「霧島さんに謝って! このコロポックル!」

「―――誰がコロポックルじゃボケェ‼」


 またしても妖精――今度はアイヌの伝承に出てくるふきかさを差した小人にたとえられて、さすがの俺も怒り心頭である。

 だから実際そんなに背は低くないから! 160cm半ばは日本人としてはかなり高い方だから! ――江戸時代において。


 数をたのみにブーブーと非難の声を浴びせる女子ども。

 くそぅ……! 涙がちょちょ切れるが、負けてたまるかよぅ……!


 すると霧島が、そんな場を制すように俺の肩にすっと手を置いた。

 ぴたりと非難が止む。


「考えてみたの。末にある実技演習、その時、私があなたのチームに入って一番困るのは誰かを」

「はあ? ――そんなもん俺に決まってるだろ! 一番困るのは間違いなくこの俺だ!」

「そうね、その通りあなた」

「おうとも! ……うん。……えっと、それで?」

「それだけ。じゃあ、これ出しておいてあげる」

「…………え?」


 呆気に取られ、引き留めの言葉すら消失してしまう。

 俺が奴のそんな術中にはまっている隙に、霧島の姿が教室から消えた。


 つまり、何だ? 

 俺が一番困るから奴は俺のチームに入ると?


「――ただのイヤガラセかぁぁぁい」


 独り、自分のももをスパーンと叩いて教室の天上に大声を張り上げていた。


 それを契機に水を打ったようだった教室が再び騒ぎ立つ。

 いや、それはもう狂乱と呼べるレベルのやかましさに発展していた。

 外からも違うクラスの連中まで何事かと野次馬に来てそれに乗っかる。

 おそらく全校を繋ぐラインチャットも、もの凄い勢いで更新されているだろう。

 もう一足先に、お祭り状態だ。


 遠影先輩、あなたの言った通りさっそく大騒ぎになっちゃってます。


 俺はふらふらと覚束無い足取りで自分の席へと戻る。

 時野谷達はまだ状況が呑み込めず――あるいはその現実を認めたくない余りに思考停止している様子。


 何だかなあ、もう。


 あの地下研究所で共闘した際は、かなり距離が縮まったというか、関係が一新しそうな雰囲気だってあったってのに。

 自分達の生い立ちを語ってくれたあのしおらしさはどこへやら、追い込まれた窮死きゅうしの場面で見せてくれたあの表情は何だったのか。


 日常に戻ればこれかい。

 どうにも狂犬・霧島凛は、まだまだ俺の宿敵でもあるようだ。


 いや、単に元に戻っただけ。

 関係がマイナスにならなかった事を喜ぶべきか。

 まったく前進できていないこの身の上を嘆くべきか。


 色々と想う事はあるが……

 まあ、これからって事だよな。


「勘弁しろよ――」










『Humble Hero /人間の詩』 

第一章「全て身に覚えのある痛み」 

                              ――おしまい――


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