第四話 長く、永い、彼女の夜

「ねぇ、レス。今日は楽しかったね」


「ん? ……あぁ、そうだな」


 レスの血を飲み、水を浴びて身体を流した私は今日の体験やそれに伴って生まれた疑問などを飽きることなく、ただひたすらに、布団に包まって話していた。


「それにしても、この里って若くて綺麗な人が多いんだね。お爺ちゃん達を全然見なくて、びっくりしたもん」


 里の様子を思い出しながら口を開くと、僅かな間の後にレスの声が聞こえる。


「……あー、それは違うぞ。エルフ族っていうのは少し特別でな、寿命の九割を成人した姿で過ごすんだ。それと同時に老いた姿は自身の恥と考えられていて、老け始めると家から出なくなるんだよ」


 何度目とも分からず「へー」と相槌を打つ私。また一つ、新しいことを知ってしまった。

 けれど、レスの聞けばなんでも答えてくれるその知識は、一体どこから身に付けたものなのだろうか?


「じゃあ、この宿の人も見た目通りの年齢じゃないかもしれないんだね」


 思いついたままに言葉を紡ぐと、緩く首が横に振られる。


「いや、そうでもないんじゃないか? 生まれたての子供がいたし、それ相応の年齢――七十歳くらいだと思うぞ」


 思ってもいなった数字を聞き、私はベッドの上で身じろぎをした。夜の静けさで満ちる中に衣擦れの音が響く。


「七、十……? エルフの人達って何歳まで生きるの?」

「三百歳。ざっと、人間の三倍の寿命だな」


 その発言に私は目を見開いた。


「すごい、長生きなんだね」


 そう言葉を返すと、小さく笑い声が聞こえてくる。

 理由も分からず笑われるのは、気分がいいものではない。少しムッとした態度で、私は口を尖らせた。


「……何がおかしいの?」

「いや、すまん。ただ、寿命のない奴に長生きと言われるとは、流石のエルフも思ってないだろうな」


 レスの言葉に首を傾げる。


「……? 私、寿命ないの?」


 私の返答に暫く黙ったままだったレスは、何に思い至ったのか「……あぁ」と声を放つ。


「大方、ドワーフの連中からは血を飲まないとお前達は生きていけないんだぞ、とでも教えられたか」


 疑問調ですらなかったけど、咄嗟のことに首を縦に振る。髪が枕と擦れ、音が鳴った。


「だがな、それは逆だ。血さえ飲めば、お前達はどこまでも生きていけるんだよ」


 自分の体のことなのに知らなかった事実。

 けれど、それを知ったところで特に実感も湧かず、結局いつもの「へぇー」という相槌で済ませてしまった。


 私が生まれて、まだ十二年しか経ってない。どの種族においても子供と揶揄される年代の私にとって、寿命という言葉は縁遠いものだった。

 その寿命がない、と言われたって生返事で終わってしまうのは当たり前だと私は思う。


 気が付くと、部屋は静寂を取り戻していた。


「ねぇ、レス。あの滝の樹、凄かったね」


 外から響く鳥の声。それが聞こえなくなるくらいの声量で、私は再び話し始める。


「……そうだな」


「大きくて、迫力があって、音が凄くて、涼しくて……近づいた時なんか、びしょ濡れになっちゃったよ」


 午前のことを思い出し、少しだけ微笑ましい気持ちになる。

 ふと、呆れるようなレスの声が聞こえた。


「まぁ、あれだけ近づいたらな」


 実際に私たちは、その葉のすぐ下まで行った。

 道中、エルフ語で『これより先、濡れる恐れあり』と注意を促す看板もあったけど気にせず進んだ結果、滝の一部が枝を伝い、上から降ってきたというわけだ。


「しょうがないじゃん。……近くで見たかったんだから」

「いや、別に責めてるわけじゃない」


 唇を尖らせてそう抗議すると、笑うように返事が来た。


『……………………』


 そして、また静かな闇がやって来る。

 うまく会話が続かない。


「ほ、他にもさ、見たことないものがいっぱい売ってたよね」


 散策していた時のことを思い出し、私はまた別の話題を挙げた。


「……なぁ、ルゥ」

「――! 何?」


 そろそろ尽きかけてきたところへ振られるレスからの話題。その事に反応して、今までとは反対に聞く体勢をとる。


「お前さ、眠れないのか?」


 しかし、その発言を聞いた途端――時間が止まった気がした。その時ばかりは森から聞こえていた鳥の声も止み、物音ひとつない。


 咄嗟のことで、何か言うことも出来なかった。それでも、言わなきゃいけないことが頭の中を巡り、結果として音も出ないままただ唇が動くだけとなる。


「…………やっぱり、か。今からでも遅くない、部屋を取り替えてもらおう」


 その言葉と同時に隣のベッドが軋む。パサっと毛布の落ちる音から察するに、どうやらレスは起き上がったみたいだ。


「――ま、待って!」


 自身を包んでいた毛布を跳ね除け、制止の声を上げる。

 いつの間に移動したのか、既にレスはドアノブへ手をかけており扉も半開きになっていた。


 その状態のまま立ち止まり、こちらを見つめている。窓から漏れる月明かりのおかげでそこまでは分かったけど、陰になって表情までは読み取れない。


「あの……大丈夫、だから。…………大丈夫なはず、なの……きっと。だから、お願い」


 か細く私の声が響き、そして、しばしの間沈黙が流れる。


 ここで逃げ出すわけにはいけなかった。

 確かに自分から触れることができるようにはなったけれど、それだけで、未だに安心して眠ることが出来ていない。


 ただでさえ、レスにはいっぱい迷惑をかけているのだ。これ以上の重荷に、私はなりたくなかった。


 暫く経つと、レスの薄く息を吐く音が聞こえる。本人は聞かせるつもりのない声だったのだろうけど、この空間ではよく通った。


「…………分かったよ。ただし、もういい時間だ。寝ろ」


 それだけを言い残し、レスはベッドへと戻って行った。モゾモゾと音がした後には、何度目とも分からず静かな時が過ぎていく。


 寝返りを装ってその姿を確認すると、彼は背中をこちらに向けて横になっていた。

 すぐさま、私はもう一度寝返りを打つ。


 ――どれくらい経ったのだろうか。気が付くと、背後から小さく寝息が聞こえていた。


 だというのに、私の目は相も変わらず冴え渡っており、眠る気配は全くない。

 寝息の様子が変わる度に嫌な冷や汗が流れ、衣擦れの音がする度に体はびくつく。挙句の果てには、床の軋みや木々のざわめきにさえ反応してしまいそうだ。


 大きく息を吸って吐き、ぎゅっと目を瞑って布団に包まる。

 瞼の裏に映るのは真っ暗な闇。恐らく永遠に訪れないであろう眠りの誘いに、その身を預けようと必死だった。

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