第三話 宿と散策と不思議なオブジェ
部屋に入ると、簡素なカウンターと奥に続く扉。そして、左右には他の枝へと伸ばされた空中階段が付いており、その先には別のツリーハウスが建っているのが見て取れた。
「好きな部屋を選んでくれて構わないが、荷物を置いたらその部屋番号を教えてくれ。中からしか鍵はかからないから、貴重品は身につけておくことを勧める」
「まぁ、そんな輩はエルフ族にはいないがな」と言葉を続けると、エルフの男は奥へと引っ込んでしまった。
カウンターには木製ベルが置いてあるので、用のある時はそれを使えば良いのだろう。
「それじゃ、部屋に行くか。好きに選んでいいぞ」
背負ったリュックの位置の具合が少し悪く、肩や腰で反動をつけて調整する。
タタタッと駆けていく音と共にルゥは空中階段に進んで行ったため、俺もその後を追った。
ぐるっと見て回って分かった事だが、部屋は全部で五つあった。一人部屋が二つ、二人部屋が三つだ。その二人部屋のうちの二部屋は一人用ベッドが二つ調度されており、もう一部屋は大きなベッドが一つ構えられている。
「……どうする?」
傍らに立つ少女へそう問いかけると、返事の代わりなのか悩むように唸り声が聞こえてきた。
「まぁ、あのデカいベッドの部屋はないわな」
一般的にも、この少女的にもその選択はない。そう考え、放った言葉だ。
ならば、残るは四部屋。選択肢的には二つに一つである。
「……んー」
悩むルゥ。
「…………うーん」
彼女は必死に苦悩する。
「……………………うん!」
放たれた音こそ同じだが、その態度を見れば結論が出たことなど明白だ。
「こっちの部屋がいい!」
指差した部屋を見てみれば、扉には『302』と彫られた木製の掛札。
中を覗くと、窓が開け放たれていたようで爽やかな風が顔を打ち、その奥からはあの大樹が一望できた。
部屋の中には椅子が二脚とテーブル、その上にはフルーツが置かれほのかに甘い香りが漂っている。壁際には上着や荷物を置くための棚が確保されており、その反対側にベッドが二つ設置されていた。
「一人部屋じゃなくて良かったのか?」
余計なこととは思いつつも、ついつい口が滑る。
こっそりと横目で様子を窺うと、目が合い、ニコリと微笑まれた。
「うん。……多分だけど、大丈夫だと思う」
その言葉の真意は分からない。もしかしたら、気を使って無理をしているのかもしれない。けれど、彼女からそう語られる以上、俺はそれ以上何も言えなかった。
「あっ、そうだ。ねぇ、レス。この木の入り口にあった看板の文字って、どんな意味なの?」
「……看板?」
そんなのあったかな、と記憶を探れば思いのほかすんなりと浮かぶものがあった。
「……あぁ、アレか。gasthaus――エルフ語で『宿』って意味だ」
「へぇ、ここは宿屋さんだったんだ」
何に関心しているのかは分からないが、ルゥはほぉと感嘆の息を漏らす。
「たまたま出会った人が宿屋さんで、泊めてもらえるなんて私たち運が良いんだね!」
「……だな」
運が良かったら、そもそも騎士団などに追われていないんだけどな。口には出さずとも、そう突っ込んでおく。
「さて、荷物も置いたし買い物やら散策やらをしますか」
「……! うん、行く!」
ルゥは目を輝かせ、嬉しそうにそう答える。
「どこか行きたいところはあるか?」
「…………んー。何があるのか知らない」
そりゃ、そうか。ルゥにとっては初めて来る場所だった。
「じゃあ、適当に歩き回って、気になる場所があったら立ち寄るか」
「うん、そうする! ……あっ、でもあの滝には行きたい、かも」
高揚から一転、遠慮気味に放たれた言葉に「何で、そこだけ歯切れが悪くなるんだよ……」と、俺は苦笑を向けて呟いた。
手荷物に不足がないかを確認し、はしゃぐルゥを連れて宿を出る。その道中、カウンターに寄って、選んだ部屋番号を伝えることも忘れない。
宿になっている木を下りると、自然が持つ独特の静けさを俺は感じた。
音はある。人々の声も聞こえる。たが、それ以上に自然が放つ声――川のせせらぎ、風の音色、滝の雄叫びなどで満ちており、却ってそれが静けさを生んでいた。
『静か』とは音がない状態を指すのではなく、自然で満ちた状態のことを言うのかもしれないな。
空を仰ぎ、木漏れ日の眩しさに目を細める。
右手の引かれるままに従って、二人寄り添いながら里の中を練り歩いた。
♦ ♦ ♦
紫がかった雲と茜色が共存する空、里の周囲を取り囲むように乱立する林の高さまで日が傾いた時分。
日用品や消耗品を買い込み、この土地ならではの食材に舌づつみを打ちながら自然の雄大さを体感した俺たちは、再びこの宿へと戻ってきていた。
「あら、おかえりなさい」
扉を開けると、そこには見知らぬ女性が小さな赤ん坊をあやしながらカウンターに腰掛けていた。
思わぬ出来事に会釈だけで返事をすると、それを真似てかルゥも同じように頭を下げる。
「主人から話は聞いているわ。ご飯はもう済ませたのかしら?」
「えぇ、まぁ。どの野菜も大きく、瑞々しくて――茄子のステーキは特に絶品でした」
聞かれたことに条件反射で素直に答えてしまうと、エルフの男の奥さん――らしい人は可憐に微笑みかけてくれる。
ていうかあのヤロー、妻子持ちならそう言っとけよ。
「そう、それは良かったわ。私はこんな状態だしそんな大層なおもてなしをできるわけじゃないけれど、それでもゆっくりしていってね」
のんびりとした様子で話すその姿は、優しげな印象をそのまま体現しており、物腰の柔らかさが伝わってくる。
「いえ、場所を提供して頂けるだけでもありがたいです。助かりました」
礼を言うと、右手の空中階段へと足を向ける。
しかし、その途中で何の気なしに見たカウンターの景色が俺の歩みを止めた。
「……あれ、そんなものありましたっけ?」
指差した先には、輪っか状のオブジェ。大事そうに台座に掲げられたそれはここへ来た当初には確かに無かったもので――しかし、それ以上に金属製だという事実が足を止めた理由だった。
「あっ、これ? これはGeschenkeと呼ばれる私たちの風習。子供が生まれると親の私物を御守りとして与えて、成長と健康を祈るのよ。その腕輪は、主人のもの」
「……へぇ。でも置きっぱなしで大丈夫なんですか? エルフ族にとって、金属は高価で珍しいものだと聞きますけど…………」
俺がそう告げると、奥さんは僅かに驚いたように目を開く。
「あら旅人さん、お詳しいのね。でも大丈夫、これはこういうものなの。普段は自分の身を護るために身に付け、帰ると我が家を護るために供える。それを盗むような罰当たりな人は、誇り高いエルフ族の中にはいないわ」
口元に手を当て、そう微笑む。
「じゃあ、奥さんが贈られた物って――」
「えぇ、この木ベルよ。どんなに泣きじゃくっていても、これを鳴らせば一発で泣き止んだ――って、母に何度も聞かされたわ」
口調こそ煩わしげだが、その表情を見れば本心でないことがすぐに分かる。
「じゃあ、その子にも何か渡さないといけませんね。それとも、もう何か?」
母の腕に抱かれて安心したように眠る赤ん坊を見て、俺は口を開いた。
「いえ、まだよ。でも、そうね……何にしようかしら?」
頬に手を当て首を傾けた女性の顔は、悪戯を考える子供のようでもあり、赤子を慈しむ一人の母でもあった。
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