第二話 訪れるエルフの里

「誰だ、こんな場所で火を焚く奴は! 森から煙が上がっておるから、火事かと思ったではないか!」


 罵声と共に飛び出してきたのは、一人の美男。長く尖った耳が特徴的なその人物は、腕にたくさんの果実を携えて俺たちの前に現れた。


 ――そう、尖った耳だ。俺たち七種族はそれぞれ、見ただけで判別できる外見的特徴を持っているのだが、この種族はその耳がそれだった。


 長く尖った耳、整った顔、長寿。それ即ち、俺達が目的地として目指していた場所に住む住人。エルフ族、その人だった。


敵意がないことを悟った俺は、構えていた武器を仕舞う。


「悪いな。ついうっかりこの森に迷い込んでしまって、仕方なかったんだ。こっちも生きるためだったとはいえ、そちらの生活を脅かしてしまったのならすまない」


 会って早々、投げられた罵倒に対する文句や憤りを全て飲み込んで、俺は謝罪を行った。


 これは旅をする上で学んだことなのだが、旅人が一番してはいけないことがこの他人の生活を脅かすこと、である。

 俺たちは余所者だ。郷に入っては郷に従え、という言葉があるように受け入れてもらうためにはその場のルールに従う必要がある。


 それ故に俺は謝った。

 公的には、この森はどこの種族の領土でもないのだが、エルフ族しか行き来が出来ないことやそもそも自然を尊ぶ種族なことから、暗黙的にこの地はエルフ領と見なされている。


 その誠意が多少なりとも伝わったのだろう。エルフの男はそれ以上何も言わずに、ただ鼻を鳴らした。


「……ふん。しかし人間よ、ここは一度入れば出られないことで有名なはず。何が起きたら、間違えてこんな場所に入るのだ」

「ん? あぁ……この子が賊に追われていてな。それを撒く為に仕方なく、だ」


 俺の服の裾を掴み、顔半分だけを覗かせていたルゥの頭を撫で、俺は事情を説明した。


「それで悪いんだが、俺たちをそちらの里へ案内してもらえないか? 森の外にはアイツらが待ち伏せしているかもしれないから、里を抜けた先から山脈を越えて北へ抜けたいんだ」


 続けて打診した頼み事に、エルフの男は苦い顔を向ける。

 だが、即座に断りはしない。何かと葛藤するかのように、彼は黙っていた。


「……その怪我は、どれ位で治るのだ?」


 聞かれた内容はこれまでの文脈とは一切関係のない事柄。

 気がつくと、エルフの男の目線は俺の腕へと向けられている。辿ってみればそこには、服の袖から白く巻かれた包帯が見て取れた。


「二、三日ほどだと思うが……」


 俺の答えに、ただ「そうか 」とだけ呟かれる。


「だったら、その怪我が治るまでだ。その間はウチで面倒を引き受けよう」


 思いがけない一言。何が彼に響いたのかは分からないが、予想していた以上の好待遇で迎えてもらえるようだ。


「いや、そこまでしてもらわなくても……里に案内さえしてくれれば宿は自分達で見つけるぞ?」

「はっ……それでお前達が問題を起こしてもみろ。手引きした私のせいにもなるではないか。だったら、爆弾を抱えていた方が私も被害者面できるってものだ」


 なるほど、言われてみれば何とも合理的な考えだ。


「まぁ理屈が何にせよ、ありがたい申し出だ。助かるよ」


 何はともあれ、俺は感謝の意を示す。

 相も変わらずぶっきらぼうに、不機嫌そうな顔で俺たちを横目で見ると、再び鼻を鳴らした。


「……あぁ、それと。お前達、少し臭うぞ。里に入る前に川で身体を洗うんだな」


 うっかり失念していたことを指摘され、思わず「あー」と俺の口から音が漏れる。

 ハーブの香料はまだあったか思案していると、ふと服の裾が引っ張られる感覚を覚えた。


「ルゥ、どうした?」


 振り向くと何やら不安そうに、そして少し恥ずかしそうに尋ねてくる。


「あの……その…………私って、そんなに臭い?」


 そう聞く彼女は何度も自身の袖を顔に近づけ、執拗に匂いを確かめていた。

 その姿と疑問はなんとも女性らしく、少し微笑ましく思える。


「違う違う。エルフは生物を尊び、肉を食さない菜食主義なんだ。狩りはせず、果実や野菜を育て収穫し、自然の恵みだけで生きる種族。だから、エルフ族は肉の匂いに敏感であると同時に忌避しているんだよ。彼が言っているのは、その匂い」


 そう語る俺の言葉を聞き、安心したようにルゥは息を吐く。自分の勘違いだと理解したようだ。



 ♦ ♦ ♦



 ――すごい、の一言だった。


 迷いの森を抜けて、川で身体を洗い、そうして迎えられた先に見えたのは巨大な樹。それも、真上から降り注ぐ滝をたくさんの枝葉で受け止め、その存在感を示すように構える大樹の姿だった。


「…………アレ、どうなっているの?」


 その圧倒的な景色を前に視線を動かすことも出来ないまま、私はレスに向けて尋ねる。


「驚くのも無理はない。あの樹の名は豊神樹フレイヤ――我々に自然の恵みをもたらしてくださる、神の如き存在だ。その樹齢は千年を超えるとも言われ、かのテルミヌス山脈を登った川が頂上から流れ落ち、そうして出来るあの滝に打たれることで、今なお強く逞しく育っておられる」


 しかし、レスとは異なる声が私の問いに返事をしたので、思わず顔を向ける。その瞬間にレスは私の手を引いた。おかげで答えを教えてくれたエルフの人の姿はレスの体が陰になって見えない。

 けれども、その言葉は優しく、そして少し自慢げに聞こえた。


 顔を戻すと、再び大樹を眺める。ものすごい勢いで枝葉と水がぶつかっているせいなのか、水しぶきが白い霧となって、ゆっくりと宙へ降りていく。


 吹く風はひんやりと涼しく、吸う空気は瑞々しさで溢れ、届く香りは緑で満ちていた。

 大自然に圧倒されていた私は、しかしふと違和感を覚え、口に出す。


「……ねぇ、あの滝の下って水が溜まっているん……ですよね?」

「あぁ、その通りだが……それがどうかしたのか?」


その答えに、私の中で生まれた違和感は確信へと、疑惑は疑問に昇華される。


「地面がないと樹って育たないんじゃないんですか? ……それに、もし育ったとしてもあの滝に当たって流されちゃう。なのに、どうしてあの樹はあんなに大きく育ったんですか?」


「……驚いた。小さいのに賢いのだな、君は」


 質問とは関係の無い返事を、私の耳は捕らえる。


「あの樹は、二つの奇跡を元に生まれ育ったんだ。そして、我々はその奇跡を讃えて、彼の樹を崇めている。一つはお察しの通り、あの樹は地面から生えてはいない、という点だ。原理や経緯は何も分かっていないのだが、どうやら岩の隙間から生え出たものらしい。……まぁ、理屈もへったくれもなく起きるからこそ、奇跡と呼ぶのだがな」


 その時、ふと日差しが差し込み、私は思わず目を瞑って手で傘をつくり顔を覆う。

 次に瞼を開いた時には、七色に輝く円形の虹が現れていた。


「二つ目の奇跡は、その苗木の上に丁度よく岩が出っ張っていたことだ。想像できると思うが、山脈の頂上から降り注ぐあの滝の勢いはあらゆるものをなぎ倒すほど。充分に育たないままあの滝に打たれようものなら、枝は折れ、浸水した部分から腐食し、死んでいただろう。だが、その岩は彼の樹が滝に耐えうるまでに強く育つ間、ずっと守っていたのだ。その岩もまた長い間その滝に打たれて削れ、今や見る影はないがね」


 それはまさに、偉大なる自然の姿だった。

 ただ漠然と、凄いという思いで私の中はいっぱいだったけど、言葉に言い表せない何かを確かに受け取った気がする。


「……さて、長話はここまでにしてそろそろ私の家へ案内してやろう」


 そう言うと、エルフの人は先導して里の中を進んでいった。未だに繋がれたままだった手を引かれ、レスと共にその後を付いていく。


 その里の中も自然で溢れていた。

 人間領やドワーフ領のように地面が整備されているわけでもなく、建物は全て木造。そして何より、その建物はどれも自然に生えている木の上に建てられていた。


 幹には足場が取り付けられており、それを用いてエルフの人々は建物を出入りしている。中には、木の洞に部屋を構える光景も見て取れ、本当の意味で自然と共生をしているようだった。


 さらには、例の滝から流れ落ちる水を川にして道の中心に通し、何時でも何処でもその恩恵が受けられるようになっている。


 川の中では何匹もの魚が悠々と泳ぎ回る姿を見ることができ、少し近づいてみても逃げる素振りを全く見せない。

 それどころか、水を汲んでいたエルフの女性は魚も一緒に掬ってしまったと気づくや否や、すぐに川へと返していた。


 どうしてだろう、と首を傾げるもすぐにレスの言葉を思い出す。

 彼らは菜食主義。生物は殺めないのだった。


 そのまま歩くこと数分。とある一本の木と、その上に建つ一軒の建物に辿り着く。

 その枝には『Gasthaus』と表記された看板が下げられており、恐らくエルフ語なのだろうが、それが指す意味までは分からない。


「……ねぇ、レス――んぐ」


 言葉の意味を聞こうとレスに話しかけた瞬間、彼の手がそっと私の口を覆う。

 開いている口に手を当てたため、私の牙の側面にはその柔らかそうな指肉が押し当てられ気持ちがいい。噛み付いてしまいたい。


 …………はっ、いけないいけない。

 そんなことをしたら私が吸血鬼だとバレてしまう。この牙もなるべく人に見られないようにしなきゃ――あっ。


「さっきは里の外だったから大目に見たが、そう不用心に口を開くな。吸血鬼だとばれるぞ」


 レスも同じことを危惧していたようで、私が先程気づいたことをボソリと耳打ちで注意してくる。

 その言葉に黙って頷くと、覆っていた手は離され私達は再び歩き始める。


 件の木に取り付けられた足場の幅は狭く、二人で並んで上るには少し難しい。私が先に、その後ろを付いて来るようにレスが続き、上まで歩く。


 目に入ったのは木製の扉。

 押すためにその扉に触れると、ひんやりと冷たい。だけれども、木特有の温かみを感じる。


 私はゆっくりと押し開いた。

 そうして、招待された場所へと足を踏み入れていく。

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