第一話 彷徨う者を照らす朝

 朝の森特有の少し肌寒い空気に身体を震わせ、パチリと目が覚める。


 起き上がると、体を支えるためについていた手が朝露を含んだ草木を踏み、しとどに濡れた。暑くもないのに頬を水滴が伝い、濡れているのは手だけではないことに気がつく。


 どうやら空気中に含まれた多量の水蒸気が凝結し、このようになったと考えられる。日中と夜とで寒暖差が激しいのかもしれないな。


 枕代わりとして頭の下に敷いていたリュックを引き寄せると、俺は中からタオルを取り出して濡れた肌を拭きあげた。

 まるで洗顔したような感覚に陥るが、そこまで爽快なものでもない。


「……はぁ、今日も頑張りますか」


 起き抜けでローテンションな呟きをこぼし、朝ごはんの準備を始める。


「……しかし、慣れって怖いよなぁ。こうして頭は働いてないのに、手だけは勝手に動いて飯を作るんだもん」


 手馴れた作業で卵を割ると、牛乳を入れてかき混ぜ、下味をつける。熱した底の浅い鍋に流し込むと、半熟状態になるまでガっと卵液を掻き回し続けた。


「いやぁー、美味そう。やっぱり朝はこれだよなぁ。……いや、正直言うと米の方が食べたいんだけど……高い、手に入りにくい、調理が面倒、と3T揃ってるんだよなぁ」


 まだ頭が覚醒していないようで、普段は思考内で収まるような益体のない考えが口を滑る。


「ドワーフ語で3は確かThreeだったよな……? じゃあ、実質TTか。……なんだよ、TTって。訳わかんねー。エルフ語だと……Drei、DTか。……うっ、なんか胸が…………」


 全く聞き覚えのない言葉の筈なのに、何故か深く胸に刺さる。


「これが、前世の記憶とかいうやつなのかもしれない……」


 独り言にも熱が入ってきたところで、ちょうど良く料理も完成。最後に盛り付ければ――。


「――ねぇ、レス。……何を独りで言ってるの?」


 瞬間、急激に頭が冴える。だがその一方で、これでもかという程に顔が熱くなるのを感じた。

 今までの愚鈍さは何だったのかというくらいに即座に状況を認識すると、努めて平静に返事をする。


「…………おう、おはよう。よく眠れたか?」


 盛りつけの最中だから、という体で顔は向けない。

 ていうか、これは返事じゃないな。誤魔化しというやつだ。


「あっ……うん、おはよう。ぐっすり眠れた。……それでさっきのは――」

「ん? あー、悪い……うるさかったか? 次から気をつけるから、気にしないでくれ」


 ルゥの言葉をも遮り、矢継ぎ早に話を進める。

 その早さに困惑したのか、戸惑ったように頷き、この会話は終わりを迎えた。


 或いは、俺の心情を察して引いてくれたのかもしれない。賢い娘だ。その心意気は十二分にありがたかった。



 ♦ ♦ ♦



『いただきます』


 手を合わせ、二人分の声が森の中をこだまする。

 食卓には簡素ながらも良い匂いのする料理が置かれ、否応なくお腹を刺激した。


「……んんー、これ美味しいね! 卵がトロトロしてて、温かい。なんて名前なの?」


 お気に召したようで、パンと一緒にパクパクと平らげていくルゥ。先日の涙はなんだったのかというくらい遠慮がなかった。


「スクランブルエッグ。ドワーフ語で『掻き混ぜた卵』という意味だ」

「――――」


 ドワーフという単語に一瞬、慄く。それでも、俺に悟られないようにと先程と同じ動作でルゥは朝食を食んでいた。


けれども変化というものは如実に現れるもので、先程までの会話はなりを潜め咀嚼音だけが響く。


「……パンに挟んで食べると、より一層美味しくなるぞ」


 水を煽りながら、そう伝えた。

 「……え?」と困惑の声があがるも、俺がそれ以上何も言わないと感じ取るや、言われたままに口に運ぶ。


 その瞬間、先程まで沈んでいた目が輝きを取り戻す。

 テンションが上がったようで、目を瞑り、行き場のない手をブンブンと縦に振りながら悶えていた。


「な? 美味いだろ?」


 得意げに告げると、ルゥは何度も頷く。それはもう、首が取れるかという程に。

 その姿を微笑ましく、そして安心したように俺は眺める。


「……だけど、こんなに美味しいものばかり食べてて良いのかな?」


 結局、殆どの量を食べ尽くしたルゥは、食後の一杯とも言うべく水で喉を潤し、そんなことを尋ねてきた。


「なんだ、急に? 食事の美味さに良いも悪いもないだろ」


 意図の読めない質問にそう答えてみるも、どうやらルゥの求めている回答ではないようで、首を傾けて唸っていた。


「んー、そうなんだけどそうじゃなくて……。レスの作るご飯って、美味しいの。食べたことないから分かんないけど、多分お店と同じくらいには」


「……なんだそりゃ。比較対象を知らないのに、比較すんなよ」


 僅かな微笑みを携え、俺は悪態をつく。

 自分の料理の腕に関して店の話題が出たのは、生涯で二度目だった。


「それが毎日出てくるのは、きっと凄い事なんだよ。……まるで、旅をしているとは思えないくらい」


 なるほど。つまりこの少女は、食事情の心配をしているのだ。

 大方、自分に気を使って無駄に料理を用意していると思っているのかもしれないな。


「勘違いしているようだから言うけど、ルゥの言う豪勢な食事が出来るのには主に二つの理由がある」


 俺は人差し指と中指を立て、掲げた。


「一つは言わずもがな、このリュックだ。食材を無制限に半永久的に持ち込める以上、日々の食事に彩りが出るのは当たり前のことだな」


 そう言って、傍らのリュックを叩く。

 これについては予想がついていたのか、ルゥは頷くだけにとどまった。


「二つ目も単純な話だ。ただ、俺が料理好きなだけ。それ以上でも以下でもないから、別に気にする必要はない」


 俺は、にべもなくそう言い放つ。

 聞きようによっては気遣ってついた嘘とも取れる発言だが、これは紛れもない本心だった。


 案の定、懐疑的な視線を向けてくる彼女であったが何かに納得したのか、それ以上は何も言ってこない。


「でもさ……じゃあ、レスはどうしてそこまで料理が上手なの?」


 食器類を片付けようと動いた矢先に、今度はそんな質問が飛んできた。

 ただ、片手間に答えられるような質問だったため、片付けと並行して口を動かす。


「別に、前まで住んでた孤児院での料理番が俺だっただけ。毎日三食、それを何年も続けてりゃ上達もするさ」


 水を切り、清潔なタオルで皿についた水分を拭き取るとリュックの中へと仕舞う。


「さて、今日も日が暮れるまで歩き回るか。運が良ければ、エルフの里に着くだろう」


 何気ないよう、さり気なく言った一言にルゥは目を剥いた。


「……えっ、もしかして無計画なの?」

「無計画じゃない。そもそもここに来る予定じゃなかったから、まだ計画が立ってないだけだ。言うなれば未計画」


 冷たい視線を背中に感じながら、俺はテントなどの野営道具も片付けていく。

 全てを綺麗さっぱり片し終え、立つ鳥跡を濁さない状態へと戻した俺はパンパンと手をはたいた。


「そう拗ねるな。なるようになるのが人生だ」


 岩の上に腰掛けていたルゥに手を伸ばすと、数瞬その手を見つめ、そっぽを向いて掴みとった。


 ――ガサガサッ!


 草をかきわける音が背後から鳴り、左手でルグールを抜くと照準を合わせる。それと同時に、右手でルゥの腕を引いて背後に庇った。


 音はどんどん大きくなり、ヒタヒタと足音さえ聞こえ出す。


 そうして現れた人物に、俺たちは瞠目した。

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