第42話 屋敷

 ブライス夫人が使用人室へ通じるインターフォンのようなものを操作して、お茶の準備を頼んでいる。


あの機械は伯爵邸にはなかったね。


― 魔法科学研究所で作っているものなのかしら?

  便利ね。



「ブライスさん、どうぞこちらに座ってくださいな。お茶が来るまでお話してましょう。」


「はい。…失礼します。」



居心地の悪そうなブライス夫人に、セリカは早速、質問する。


「まず、お名前と年齢を教えてくれませんか?」


「エレナ・ブライスと申します。三十五歳です。」


「やっぱりうちの母さんやバノック先生ぐらいなんですね。失礼だけどエレナと呼んでもいいかしら?」


「は…はい。」


「結婚はされてるの? 子どもさんはいらっしゃる?」


「しております。夫はこちらで庭師長をさせていただいています。息子も一人は庭師で、もう一人はランデスの街で教師をしております。」


子どもの話になるとエレナは誇らしげな口調になった。


ご自慢の息子さんたちなのね。



「そうなんですか。ご主人や息子さんに会うのが楽しみだわ。…私ね、菜園を作って料理に使える野菜を育ててみたいの。ご主人にもよろしく言っておいてくださいね。」


「…は、はい。」


「今日はお茶の後に、ここのお屋敷を案内して欲しいんだけど、頼めるかしら?」


「それでしたら女中頭のランドリーが適任だと思いますが。」


「そうね。でも急な話だと仕事の段取りが狂うでしょ。」


「はぁ。でも、奥様のご命令とあらば…。」


「ええ、都合をつけてくださるでしょうね。でも私も仕事をしていたから、急な変更は困るということがよくわかるの。その点、エレナは私付きだから大丈夫よね。」


「はい、それは。」


「じゃあ、お願いします。詳しいことはまたランドリーさんに聞きたいから、いつか時間を取って欲しいと頼んでおいてくれる?」


「わかりました。」



お茶が来たので、エレナと雑談をしながら楽しいひと時を過ごした。


エレナもだんだんセリカの調子に慣れてきて、ここ侯爵邸のお膝元になるランデスの街のことなどを話してくれた。


その話の中で、エレナの趣味が刺繍とピアノだと聞いて驚いた。


「ここにはピアノがあるの?」


「離れの私の家にはアップライトのピアノがありますが、こちらのお屋敷には緑の間と音楽室に、グランドピアノがそれぞれ一台ずつありますよ。」


― うわぁ、超豪華。

  私なんて電子ピアノだったのに…。


弾いてみたいね。

奏子の記憶にはあるけど、ダレーナにはピアノがなかったもんね。




◇◇◇




 屋敷の中で最初に、一番興味があった厨房に連れて行ってもらった。


セリカがまずは厨房を見たいと言ったら、またエレナに変な顔をされたが仕方がない。

エレナにも、セリカの奇抜な言動に慣れてもらうしかない。


なにせこちらは貴族のお嬢様じゃなくて、飯屋の娘なんだから。



厨房まで来ると、忙しそうな指示の声が飛び交っていた。


入り口から中を覗いたエレナが、料理長らしき人に合図してこちらに呼んでくれた。


「奥様、こちらが料理長のディクソンです。」


「セリカといいます、よろしくね。今度ゆっくりとお話したいわ。でも夕食の準備時間のようですから、作業に戻ってちょうだい。どんな調理器具があるのか見たかっただけなの。」



率直なセリカの言葉に、ディクソンは大きな身体を揺らして笑い始めた。


「どんな奥様がいらっしゃるのかと思ってたら…。」


「ディクソン…。」


エレナに睨まれてもディクソンはどこ吹く風だ。


「奥様、ダレーナの飯屋で働いていらしたというのは本当ですか?」


「ええそうよ。だから料理にはものすごく興味があるの。ディクソンの手が空いている時に教えてもらいたいし、うちの父親の料理もここで作ってみたいの。ダニエルは気に入ってたみたいだから。」



セリカの言葉を聞いて、ディクソンの闘争心に火が付いたようだ。


「よろしい。こちらも侯爵様の気に入られた料理とやらを、教えていただきましょうか。」


「ふふ、私は料理は素人だけどね。舌はしっかりと味を覚えてるから、ディクソンが私が言うやり方で作ってみてね。」


ディクソンはセリカの話に一気に気が抜けたようだ。

かなわないなぁと苦笑しながら、セリカとの試食会を約束してくれた。


厨房で大勢の料理人が作業する喧騒を眺めていると、ウキウキしてくる。


ずらりと並ぶガス台や見たことのない調理器具もあった。


― あれは電子レンジやガスオーブンじゃないかしら。

  大きな冷蔵庫もあるわ。

  その辺のレストランよりも設備が充実してるみたい。


とにかくピザが作れる下地はできたよね。

ここでピザを作ったら、ダニエルがびっくりするかも。



それからもエレナに屋敷中を案内してもらって、あちこちと歩き廻った。

家の中を歩いているというより、街中を散歩しているような気分だった。


足が怠くなって来た時に音楽室があったので、セリカは座ってピアノを弾いてみることにした。


「…奥様、ピアノが弾けるんですか?!」


「いいえ。ピアノを弾くのは生まれて初めてよ。でも…夢の中で見たことがあるから、指が動くかどうかやってみるわね。」


― 久しぶり~。

  弾きたかったわー。


まずは何からいく?

奏子の好きなメヌエット?


― そうね。

  最初は指ならしに、モーツァルトのソナタ イ長調から

  ね。



奏子は、ソナタが終わるとバッハのメヌエット ト長調を弾き、シューマンのトロイメライを弾いた後は、日本の歌謡曲やポップス、果てはアニメソングまで思いつく限り弾いていった。


セリカが満足して立ち上がると、音楽室の戸口の方から大勢の拍手が聞こえてきた。


「セリカ、君はピアノが弾けたんだね。」


仕事をしていたはずのダニエルまでやってきている。


エレナは目を丸くしてセリカを見ながら、手が痛くなるほど力強く拍手をしていた。



セリカは集まってきた使用人たちに向かってにっこり笑い、バノック先生に習った宮廷風の優雅なお辞儀をした。

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