第二章 結婚生活
第41話 ラザフォード侯爵領へ
ダニエルが鋭く指笛を鳴らすと、山の方からポチが飛んできた。
セリカは父さんや母さんと抱き合って別れの挨拶をして、カールとは
「ベッツィーと仲良くね。」
「わかってる。」
「今日はダニエル様もセリカも来てくれてありがとう。」
「ベッツィー、家族をよろしくね。」
「ええ。何かあったら手紙を書くわ。」
ベッツィーはダニエルに書いてもらったラザフォード侯爵領の屋敷の住所を握りしめていた。
「セリカ、行くよ。」
「はい。」
セリカはダニエルに抱えられて、徐々に浮き上がっていく。
家族に手を振りながら空高く登って行くと、家路についていた親戚や近所の人たちもセリカとダニエルが飛び上がった空を、振り返って見上げていた。
「おばあちゃんが腰を抜かしているみたい。」
「テト伯父さんが支えてるよ。」
母さんのお兄さんのテト伯父さんがずっと隣に座っていたので、ダニエルも親しくなったようだ。
セリカとダニエルは羽にあたらないように気をつけて、後ろ側から飛んで行ってポチの背中に跨った。
「うわぁー!!」
レイチェルやハリーたちの声が聞こえてくる。
セリカは皆に大きく手を振って、十六年過ごしてきたダレーナの街を後にした。
◇◇◇
さすがにペガサスと言うべきだろうか、ポチの飛ぶスピードは
馬車で一週間かかるというラザフォード侯爵領への道のりを、山や川も越えてグングン飛んで行く。
下界の家々や畑も猛スピードで遠ざかっていった。
大きな輝く湖が前方に見えて来た時に、やっとポチがスピードを緩めた。
「あそこに湖が見えるだろ?」
「ええ。大きいですねー。」
「あの
「…え、あの大きなお城みたいな建物ですか?!」
湖の畔の小高い丘の上に、真っ白いお城が建っている。
― ヨーロッパのお城みたい。
あれ、屋敷っていうレベルじゃないよね。
奏子、どうしよう。
なんだか怖くなってきた。
― …ダレニアン伯爵邸でもなんとかなったんだもの。
今度も大丈夫だよ。
近くまで来ると、尖塔が三本あるメインの棟から、四階建ての居住棟がハの字型に広がって建っているのが見えた。
湖を囲むような形になっている。
丘の麓にはたくさんの建物がひしめいていて、巨大な街がどこまでも続いている。
この街から見上げると侯爵家のお城がどこからでも眺められるのだろう。
…私がここの奥様?
冗談だよね。
ポチが大きく旋回して高度を下げていく。
お城の広い芝生の前庭にスーッと降り立った時には、セリカは緊張で身体中がガクガクしていた。
「着いたよ。」
ダニエルに促されて、セリカもポチから飛び降りる。
少しよろけたのを、ダニエルがセリカの腕を持って支えてくれた。
「大きなお屋敷ですね。」
「ああ、奥さんがいなかったから隅々まで目が行き届かなくてね。これから、よろしく頼むよ。」
…奥さんがいても、こんなに大きなお屋敷だと隅々まで見えないよね。
― うん。
一つ一つの部屋を見ていくだけで一年ほどかかりそう。
セリカがぼんやりと屋敷を見ていると、急に声をかけられた。
「ラザフォード侯爵邸にようこそ、奥様。私、執事のバトラーでございます。よろしくお願いいたします。」
ダニエルの向こうに立っていたのは、背が高い中年の男の人だった。
セリカも我に返って挨拶をする。
「セリカといいます。よろしくお願いします。」
次に紹介されたのは、女中頭のランドリーさんだった。
この人は丸々太って笑顔が優しい人だ。
ダレニアン伯爵邸の女中頭のバリーさんが厳格なタイプで、セリカはちょっと苦手だった。
このランドリーさんなら話しやすいかもしれないと、ほっと胸をなでおろした。
その隣にいたのは領地管理人のヒップスさんという人らしい。
銀縁の眼鏡をかけたいかにも頭が良さそうな人だ。
執事のバトラーよりは若くて三十歳代に見えた。
最後にセリカの付き人だと言って紹介されたのは、ブライス夫人というセリカの母さんぐらいの年齢の人だ。
今まで付き人をしてくれていた若いエバとの違いに少し戸惑う。
ブライス夫人は艶やかなブロンドをふんわりとまとめて髪を結っていた。
「奥様、そちらの荷物をお持ちします。」
セリカは肩に掛けていた荷物を「お願いします。」と言ってブライス夫人に預けた。
若い自分が持った方がいいのではないかと思ったが、バノック先生の教えを思い出して使用人の仕事を取らないことにした。
ダニエルが腕を差し出してくれたので、二人でブライス夫人の後をついて屋敷の玄関に入っていった。
巨大な玄関ホールの両側に曲線のある階段が二階に続いている。
ブライス夫人が左側の階段を登って行ったので、セリカは変な感じがした。
― ダレニアン伯爵邸では右側にお部屋があったのにね。
そういえば伯爵夫妻の部屋は左側の棟にあったかも。
― 主人夫妻の寝室は左側にあるということか。
なんだか畏れ多いね。
結局三階まで上がり、長い廊下を通って建物の端の辺りまで歩いて行った。
ブライス夫人が扉を開けて待っている所までセリカを送っていくと、ダニエルはすぐに踵を返した。
「それではブライスさん、後は頼むよ。奥様は初めての空の旅で疲れてるだろうから、お茶でも出してゆっくりさせてやってくれ。」
「ダニエルはどこかに行くの?」
「まだ仕事が残ってるんだよ。じゃ、また後でね、セリカ。」
新婚の妻を一人置き去りにして、ダニエルは足早に廊下を去っていった。
やれやれ、ダニエルらしいと言えばらしいか。
― 今日はよく付き合ってくれた方なのかも。
だね。
でもなんか吹っ切れた感じ。
あちらも仕事モードなんだったら、私もここの奥様っていう仕事に就いたようなもんよね。
― セリカ、また極端な考えね。
でも恋愛結婚じゃないし、その考えも一理あるわね。
家の管理をよろしく頼むって言われたんだから、それをすればいいじゃない。
幸いなことに新フェルトン子爵邸で経験を積ませてもらったし。
セリカはここにきて腹が座った感じがした。
部屋に入ると、伯爵邸の自分の部屋どころではなかった。
― うわっ、どこかの宮殿みたい。
高級そうな陶器が飾ってあって、カーテンなどもベロア地の分厚いものがかかっている。
部屋の広さも以前の倍ほどあった。
…うーん、落ち着かない。
あそこの花瓶を壊して母さんに怒られそう。
― 何人がここに住むのかって感じだね。
ここまでくると笑うしかないね。
「セリカ様、こちらが第一夫人の使われる居間になっております。」
「…素敵なお部屋ですね。」
「まずはお茶になさいますか?」
「そうですね。ブライス夫人も一緒にお茶をしてくださいませんか?」
「…いえ、使用人とは、その…。」
表情のあまりなかったブライス夫人が初めて困り顔を見せている。
平民の奥様が何を言い出したのだろうかと思っているようだ。
「知っています。でも右も左もわからないんですもの。こちらのお屋敷のことを教えていただけませんか。そして、あなたのことも教えてください。これから私の手足となって一緒に働いてもらうんですから、まずは仲良くならないと。」
そう言ってニッと笑ったセリカを、ブライス夫人は驚きの表情で見つめていた。
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