第12話 春のドレス
セリカが侯爵様を見送って家に帰ってみると、店にアン叔母さんが訪ねて来ていた。
「あら、帰って来たわ。セリカ、久しぶりね。」
色白でふっくらとした叔母さんは、ピンク色の頬っぺたをしてニコニコ笑っている。
「アン叔母さんっ!」
少し寂しさを感じていたセリカは、叔母さんの胸に勢いよく飛び込んでしまった。
「あらあら、大歓迎ね。さっき姉さんに聞いたけど、結婚が決まったんだって?」
「うん。……不可抗力で。」
「不可抗力ですって? 面白い表現ね。」
セリカが叔母さんの隣に座って話をしようとしたら、洗濯を干し終わった母さんが裏口から入って来た。
「セリカ、お茶を入れておくれ。アンには事情を話しておいた方がいいと思うんだよ。」
「はぁい。」
お茶にクッキーも添えたものをセリカが運んで行くと、母さんが大体の事情を話し終わったところだった。
叔母さんはさっきの笑顔がどこかに行ってしまったかのように、暗い顔をしている。
「そう、とうとうそんなことになっちゃったのね。」
叔母さんは……もしかして魔法のことを知ってた?
二人にお茶を出してセリカが隣に座ると、叔母さんに手を握られた。
「セリカ、貴族と言っても同じ人間よ。あんまり恐れて萎縮しないで、あなたらしさを失わないように元気に頑張りなさい。」
「うん……叔母さぁん。」
セリカが叔母さんの肩にもたれて甘えると、叔母さんがそっと背中を叩いてくれた。
「それで姉さん、相手はどんな人なの?」
「貴族の中ではいい人だと思うよ。昨日もうちに泊まって…さっき帰ったんだよね、セリカ。」
「うん。結婚式の予定のこととか喋ったら、すぐに飛んでった。」
「見た目は、そうだねぇ背が高い男前だね。真面目な感じの人。」
「ふうん。真面目そうな人ならいいじゃない。」
「アン…。」
「男はここの義兄さんみたいに、真面目に働く人が一番よ。」
アン叔母さんの旦那さんは、だいぶ昔にふいっと出ていって帰ってこないらしい。
普段は気にせずに朗らかに暮らしているけれど、たまに思い出して、いなくなった叔父さんのことをこんな風に曖昧に話すことがある。
いったい叔父さんはどこをフラフラしてるんだか。
アン叔母さんと話をしながら開店準備をしていたら、店の前に馬車が止まって女の人が下りてくるのが窓から見えた。
光沢のある茶色のサテンのスーツドレスの襟元に、フリルがたっぷりあしらわれたブラウスの衿が見える。
ブロンドの巻き髪を結い上げて同色の小さな飾り帽子を被っている。
「あんな人、この辺りではあまり見ないね。」
「町長さんの奥さんじゃないし、もしかして貴族かもね。」
叔母さんとその女の人を見ていたら、そばにいたお付きの人がうちの店にやってきて扉を叩いた。
うちに用事なの?
…もしかして、クリストフ様の第一夫人かしら?
でも、ちょっと早すぎない?
「はーい。」
セリカが鍵を外して店の扉を開けると、四十代ぐらいの背筋の伸びた女性がセリカの顔を見て一度目をパチパチさせた。
そして気を取り直したように、おもむろに口を開いた。
「こちらのセリカ・トレントさんに、主人のマリアンヌ、ダレニアン卿 第一夫人がお会いしたいそうです。」
やっぱり第一夫人だ。
行動が早いね。
「早速、お越しいただきありがとうございます。私が、セリカです。狭い所ですが、どうぞお入りください。」
セリカが二人を招き入れると、お付きの人が扉を抑えている間に、外にいた第一夫人が入って来た。
春の花のようないい匂いがして、店の中が一気に華やかな空気に変わる。
ほうっとため息が漏れるような艶やかさだ。
「そちらにお座りください。今、お茶を持ってまいります。」
「セリカ、私がするわ。あなたは座ってお話をお聞きして。」
アン叔母さんが気を利かせてくれたので、セリカは素直にマリアンヌ様の前に座った。
「先程の方は、お母さま?」
鈴を振るような綺麗な声だ。
「いえ、母の妹のアン叔母さんです。森で薬師をしていますが、今日は訪ねてきてくれていたんです。」
「そう。」
マリアンヌ様は少し顔をしかめて、言葉を続けられた。
「叔母さまがいらっしゃると、今日は外出できませんか?
やっぱりそうなんだ。
「ご面倒をおかけします。…アン叔母さんは気にしないと思いますが、これから店が……。」
「粗茶ですが、どうぞ。」
アン叔母さんはマリアンヌ様とお付きの方にお茶を出して、すぐに言った。
「私が店の手伝いをするよ。セリカは結婚準備の方を優先させなさい。」
「でも……。」
「今日は街に作った薬を届けに来ただけだからね。十二刻がきてここの店を閉めたらそっちの用事を済ませて帰るから。」
「予定を変えてしまって申し訳ございません。そうしていただけると助かります。二、三着は注文服になりますので、早めの採寸が必要なんですの。」
マリアンヌ様はお付きの人を振り返って、何か指示をした。
するとお付きの人がアン叔母さんに、袋から取り出したお金を渡そうとした。
「奥様、気を使って頂くのはありがたいですが、私はセリカの身内ですのでこんな手伝いも結婚祝いの一つです。どうか、お納めください。」
「まぁ、叔母さまのお心も知らず、失礼をいたしました。」
マリアンヌ様は色白の頬を赤らめて、アン叔母さんに謝っていた。
可愛らしい人だな。
それに貴族なのにちっとも偉そうじゃない。
こんな人もいるんだなぁ。
◇◇◇
セリカが、ダレニアン伯爵家の馬車に乗せられて連れてこられたのは、大通りの庁舎前にある高級服飾店だった。
店の構えも格式があるが、ドアを開けて中に入ったら普段、嗅ぎなれていない香水の匂いが漂っていた。
「いらっしゃいませ、ダレニアン卿夫人。ようこそ、どうぞこちらにお座りくださいませ。ただいま、店主とデザイナーを呼んでまいります。」
流れるような動作の店員さんが、セリカたちをふかふかの応接セットに座らせると、奥の方へ消えて行った。
レイチェルの服屋とのあまりの違いに、セリカは店の中をぼんやりと眺めた。
「セリカさん、主人から聞いたのですが、ダレーナの街の春のダンスパーティーが今年は農業特区のレーナン農場で催されるとか…。」
「はい。私たちと同じ歳のボブ・レーナンが主催するそうなんです。」
「そうなんですね。それで踝丈のドレスを新調するべきだと主人が申しますの。」
「そんなっ! 『納屋』のパーティーにこんな高級服飾店のドレスなんて、とんでもないっ。後から着ることもないですから、使い回しもできませんし…。」
セリカの勢いに、マリアンヌ様は驚いて目を丸くされていた。
「使い回し…ふふっ、大切なことですわね。でも王都でもガーデンパーティーというのがありますから、また着ることもあるかもしれませんよ。それにセリカさんは、ラザフォード侯爵閣下の国公認の婚約者です。これからは公式の場で滅多な格好はできません。周りからは正式な婚約者として見られることになりますからね。」
……なんか、ひたすらめんどくさそうなことになりそうなんですけど。
店の奥から出てきた腰の低い女店主と、首にメジャーをかけているデザイナーの女の人に、次々と肩に布をかけられたり、身体のサイズを計られたりしているうちに、三着のドレスを注文することになっていた。
マリアンヌ様って、すごい。
可愛くて大人しい人だと思っていたマリアンヌ様は、デザイナーにビシビシ注文をつけながら、あっという間に商談をまとめてしまった。
春の納屋のパーティー用のドレスなどは、一週間で縫い上げろという無茶振りである。
「こちらのお店にできないことはないですものね。」
などと、さり気なく要求を通すさまは、さすがとしか言いようがない。
こんな上品な人に意外な面を見せられると、初めて会ったセリカなどはびっくりしてしまう。
この後も三軒先の既製服店に行って、何十枚もの服を買って頂いた。
……えっと、こんなに買っても大丈夫なのかしら?
あの「女嫌いの独身主義者」侯爵が送られてきた請求書を見て、より女嫌いになる様子が目に浮かぶ。
これ全部が当座の春服だけというのだから、呆れてしまう。
綺麗な服がたくさんあるのは嬉しいのだが、マリアンヌ様の言われた公式の立場というのが引っかかる。
セリカは大量の服を二階の自分の部屋へ運びながら、これからの貴族生活に一抹の不安を覚えていた。
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