第10話 嫁入り支度
セリカはダンスパーティーのドレスをどうしようかと悩んでいた。
「レイチェルのとこに注文に行ったら、人でいっぱいだったのよね。皆、
― そうねぇ、平民の服をお嫁には持って行けないだろう
から、今まで着てたパーティードレスを、裾上げして
直してもらったら?
去年のピンクの小花柄は可愛かったじゃない。
「……奏子。平民の服はお嫁に持って行けないの?!」
がーん、困ったな。
貴族の女性が着る服ってどんなだった?
新年の挨拶の時の、領主さまの奥様のドレスって…あんまり覚えてない。
― 日本では、民間から皇室に
皇室向けの服を作られてたから、そう思ったんだけど、
こっちではどーなんだろう?
そう言われれば平民と貴族の結婚の準備って違うよね。
綺麗な礼服を親に一着作ってもらって、仕事用のエプロンを友達からのお祝いに貰うなんていう私たちの習慣は、貴族には通じないかも。
「奏子…どーしよう。」
うちには貴族が着るような服を買うお金なんてないよ~。
― その辺りは侯爵様も考えてるんじゃないかな。
またうちに食べに来た時にでも、聞いてみたら?
「…うん。でもこんな基本的な所から考えなくちゃならないんだね。身分が違う結婚って、本当に大変なんだ。」
今ならダレニアン卿が言ってた「もっと面倒なことになった」という意味がよくわかる。
貴族社会の中に自分が吸えるような空気はあるのだろうか?
セリカは先のことを考えると、ひどく息苦しくなってしまったように感じて、そっと胸を押さえた。
◇◇◇
十二刻になって、カールが店の旗を仕舞いに行った。
― 今日も来なかったね、侯爵様。
そうだね。
「…このまま結婚話がなくなったらいいんだけど。」
「なんだい? セリカ。この間の前向きな意見はどこにいったのさ。お前らしくない。」
「だって母さん。嫁入り道具の服のことなんかを考えたらさ……。」
母さんはお客さんがいなくなったテーブルや椅子を、布巾やぞうきんを使って次々に拭いていきながら、何を今更のことを言っているのかとセリカに呆れた。
「そんなこと、母さんたちは一番に考えたよ。父さんとも話し合って、下手な礼服を作ってやるより、見えないところの下着やなんかのいいのを買ってやろうかと言ってたとこさ。」
「母さん……。」
「とにかく普段着るものは侯爵様が気づいたら何とかしてくれるよ。いくら日陰者の嫁さんでも、家族の面倒ぐらいはみてくれるだろう。」
女嫌いの独身主義者が、気づいたらの話だよね。
「アネキ、侯爵様が飛んできてるみたいだよ。」
カールの声に、セリカはお皿を洗っていた手を止めて、タオルで手を拭きながら店の外に出てみた。
薄黄緑色に芽吹いたばかりの新緑の木々が眩しい山の遥か上に、小さな点のように見えていた影が、少しずつ大きくなりながらこちらに向かってくるのがわかった。
「ああやって飛べたら気持ちいいだろうなぁ。アネキは飛べるの?」
「う……うん、まあね。」
「へぇ~。年寄りは魔法を怖がって忌み嫌う人が多いけど、若い奴らの中にはそんなに気にしてない人が多いんじゃないかな。」
カールがセリカの気持ちを考えて慰めようとしてくれているのがわかった。
このまま話が進んで、セリカが魔法を使えることがわかった時の周りの人たちの反応を、姉がひそかに恐れているのをわかっているのだろう。
「ふふ、ありがと。」
セリカが笑いかけると、カールも照れくさそうに微笑んで、外にあったゴミを持って裏庭に運んでいった。
侯爵様は空から音もたてずに降りてくると、すぐにセリカの肩を叩いた。
「出迎え、ご苦労。店が終わっているのにすまないが、何か食べるものがあるかな? 腹ペコなんだ。それからちょっと話しておきたいことがあるから、奥のあの部屋へ食事を持って来てくれないか?」
なんだか侯爵様は通常モードだ。
セリカばかりが気苦労を抱えているようで、小さな不満が顔をのぞかせる。
男の人はいいよね。
服のことなんか考えもしないんだろうから。
セリカが、父さんが急ごしらえで作ってくれた賄い飯のカツドンを宴会用の部屋へ運んでいったら、侯爵様は座布団を並べて、その上に横なってグーグー寝ていた。
どこからこの座布団を出したのかしら?
もしかして床の収納に気が付いたとか。
この部屋は座があがっているので、全面を床下収納にしている。
普段は何枚かの座布団だけ出していて、後は床下にしまっているのだが、侯爵様は床下収納を開けるハッチを見つけたようだ。
枕までこしらえて、余裕の高いびきだ。
「侯爵様、ラザフォード侯爵様っ! ご飯ができましたよ!」
セリカの「ご飯」の言葉に、侯爵は飛び起きた。
「う……すまない。すっかり寝てしまっていた。この部屋はいいな。落ち着く。」
「それはようございました。今日はお客さんが多かったので賄い飯しか残ってませんが、それでもよろしかったらどうぞ召し上がってください。」
セリカが侯爵の前に、ドンッと大振りの深めの皿を置く。
「これは……なんという料理だ? 見たことがない。」
「うちではカツドンと言っています。本来のカツドンとは違うそうですが、ピラフの上に春キャベツの千切りをたっぷりのせて、ソースをしっかり絡ませたトンカツをのせていただきます。ラッキョウの酢漬けやキュウリのピクルスと一緒にどうぞ。野菜スープとエールも持って来ていますので。」
侯爵様はカツドンがお気に召したようだ。
いつものお上品な食べ方も忘れて、カールが食べるようにがつがつとご飯をかきこんでいる。
余程お腹が空いていたらしい。
「ふぅ、美味かった。これはいいな、また出してくれ。」
また、来るんかい。
「セリカ、今日は今後の予定を伝えに来た。」
「はい。」
「私は一旦家に帰って結婚の準備を整えなければならない。そのためダレニアン伯爵と一緒に、コルマ男爵領の統合問題をここ二日間でなんとか片付けた。」
なるほど。
それでずっとうちにも来なかったのね。
疲れ果ててるようだし。
「ところで君の服やら持ち物などの嫁入り支度のことだが。普段着はダレーナでも作れるというので、クリスの第一夫人に応援をお願いした。」
なんと第一夫人?!
ダレニアン卿は結婚してるだけではなくて、第二夫人もいるのだろうか?
でも服のことを考えてくれて、安心したよ。
こんな仕事着のまま貴族の間をウロウロしている自分を想像して、身の縮む思いだった。
「結婚式の衣装の方は、格式をいうので王都の専門店で作らせる。そこで君の身体のサイズを書いたメモをもらえないだろうか。微調整は王都に行ってすることになるだろうが、あちらで何枚か大まかにでも作ってもらっておく。」
「サ、サイズですか……。わかりました。」
あんまり知らない男の人に、身体のサイズを書いた紙を渡すなんて…恥ずかしすぎる。
でも仕方がないよね。
こんな格好のまま、王都の店に連れて行ってもらう訳にもいかないし。
「それからお金の方はダレニアン伯爵に頼んでいるので、私にはわからないが、女の人が必要な小物類を揃えるのも相談にのってもらいなさい。」
あら、ちゃんと考えてくれてたんだ。
「はい。お心遣い、ありがとうございます。」
「ところで君に来た手紙のことだが、どうもジュリアンがいたずらを仕掛けているようだ。私が預かっていってもいいだろうか?」
あー、これ何て言ったらいいんだろう。
「あの、すみません。侯爵様がお忘れになっているのかと思いまして、昨夜遅く手紙を開けてしまいました。」
「夜に? まさか寝室で開けたのではないだろうね。」
「はぁ…ベッドでそのう……。」
それを聞くと侯爵様は、天を仰いで目を閉じられた。
あ、これ。
侯爵様はショックを受けると、このポージングをするんだな。
「セリカ……。」
地を這うような侯爵様の低い声が、セリカの背筋を震わせた。
ひぇ~、なんか怒ってる?
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