第3話 指輪

 「ところで、このピザは美味いな。」


セリカが呆然としている間に、ラザフォード侯爵はぺろりとピザをたいらげていた。


「はぁ…うちの看板商品なもので。お酒を召し上がる方にはパリパリした食感のクリスピーピザを出してます。食事として食べられる方には、もっちりとした食感の食べ応えのある生地にしているんです。」


「なるほど。今度はもっちりとした方を注文してみるかな。」


今度?! また来るつもりなんだろうか…。


―そりゃあ婚約者だもの。また来るに決まってるでしょ。


奏子…。これはたぶん面倒ごとを避けるための一時的な指輪だよね。


―そうかもね。聞いてみたら?


うん。


「あの、ラザフォード侯爵様。お聞きしたいことがあるんですが。」


「ん、なんだ?」


「この指輪は、いつまで…そのうどのくらいの間お預かりしたらよいのでしょう。」


「ふむ。私としてはコルマの脅威がなくなるまでと考えていたが。だがさっき君が指輪をはめた時に赤く光っただろ?」


「はぁ。」


「どうも君とは縁があるらしい。赤く光ったら少々では外れまい。指輪の意思があるからな。」


指輪の意思? なんだそれは。


「ええっと、外れなかったら侯爵様は困るのではありませんか? 本当の婚約者の方に渡すときに指輪がないと困るでしょう。それともこういう指輪がいくつかあるとか…。」


「侯爵家の指輪はそれ一つしかないが、気にするな。これで結婚をうるさく言われなくてもすむ。当分貸し与えるので、期間のことなど心配せずともよいぞ。」


何やら侯爵様は満足げだ。

まわりに結婚をせっつかれてお疲れ気味なのだろうか。


「それより、他に看板料理とやらはないのか? これだけでは腹がふくれん。」


「あ、はい。パスタ、焼肉、豚カツなどもございます。野菜の方もサラダや煮物、酢の物、漬物と各種取り揃えております。本日のおすすめ料理は新じゃがのグラタンです。」


「ふーむ。グラタンとサラダ。それにつまみに小さめに切った焼肉を何種類か持って来てくれ。エールのおかわりもな。」


「はい。グラタンとサラダ、何種類かのつまみになる焼肉、それにエールですね。うけたまわりました。」


セリカはやれやれと首を振りながら、厨房へ注文を伝えに行った。




◇◇◇




 うちの料理を気に入って、大層機嫌よく侯爵様はお帰りになったが、後に残されたセリカは家族への説明に苦労していた。


「お礼の指輪ねぇ。でも何だってアネキにそこまでしてくれるんだろう。」


弟のカールが店じまいをしながら、腑に落ちない顔をする。


それはセリカにもわからない。

そんな疑問は当の本人に聞いて欲しいところだ。


「たぶん馬車で男の子をひかなくて済んだからじゃないかな。面倒ごとを避けられたお礼?」


「でもねぇ、そんな高価なものをそのくらいのことで平民にくれてやるかね? それにあんたを半刻も待ってたんだよ。侯爵様本人がそこまで手間暇をかけるかい? お付きの者に手土産でも持ってこさせたらいいだろうに。」


母さん…。鋭い。

もうっ、内緒になんてできるわけがないでしょう。

無理があるよね「お礼の指輪とでも言っておけ。」なんて。

貴族と平民の金銭感覚の差なんだろうか。それともあの侯爵様が変わり者だとか…。


「そのくらいにしておけ。セリカにも言えないことがあるかもしれんだろう。」


ずっと黙って鍋を洗っていた父さんの一声で、なんとかその場は収まった。


ほっ、父さん助かったよ。

けれど母さんは後からセリカを捕まえて、小さな声で聞いてきた。


「養子の話が出たんじゃないだろうね。」


それは聞かれるかもしれないと思ってたから、セリカにも心構えができていた。


「それは言われなかった。私の…力がそこまで大きくないと思ってるみたい。」


「ああ…。それを聞いてホッとしたよ。」


母さんはそのことが気にかかっていたようだ。


やっぱり母さんは気づいてたんだね。


小さな頃から一年に一度、セリカは母親の末の妹であるアン叔母さんの家に預けられていた。

アン叔母さんは森の中で独りで暮らしている。

薬草を採って薬を作る薬師をしているのだ。

身体が熱っぽくなって体調が悪くなると、いつも叔母さんの家に行って療養してこいと言われていた。


セリカは人のいない森の中で魔法を使ってみるのが面白くて、アン叔母さんの家に行くのが大好きだった。


けれど何年か前からそうやって魔法を使うことで、体調が改善しているのではないかと疑っていた。

もしかしたら魔法が身体の中で押さえきれなくなったら熱っぽくなるのかもしれない。

誰かに聞いたわけではないけれど、セリカの中にいる奏子もそうではないかと予想していた。


「ずっと黙って、私のことを考えてくれてたんだね、母さん。」


「何のことだい? 母親が娘の心配をするのは、当たり前だろ。」


しらばっくれてとぼけた顔をする母さんに、セリカはギュッと抱きついた。


「ありがとう。私、母さんの娘で良かった。」


「なんだい、急に。こんなに大きくなって、赤ちゃんじゃないんだから。」


いろんな食べ物の汁が染み込んだ母さんのエプロンから、普段の生活の匂いがしてきて、セリカはやっと緊張から解き放たれた気がした。

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