第2話 青年の話

 さっきの貴族の青年が偉そうに腕を組んで、店の窓際の席に座っていた。


入口に突っ立っているセリカを鋭い目でじっと見ている。


― …バレてるかもね、セリカ。


ううん、まだごまかせると思う。



青年がいる机の上には食べかけのピザとエールが置いてあった。

うちの看板商品の一つだ。


酔っぱらって、さっきの事などは忘れてくれたらいいのだが。



「いらっしゃいませ~。どうぞごゆっくりご賞味ください。」


セリカは愛想笑いを顔に貼り付けて、そそくさと店の奥に向かった。


「待て。話がある。」


― ほらね。あの人をだますのは大変そうよ。


もうっ黙っててよ、奏子そうこ



セリカはしぶしぶ立ち止まって、青年に相対した。


店で食事をしていたお客さんたちが、何が始まるのかと期待して、黙ってこちらを伺っている。


「お話を聞かせていただきたいところですが、イチバンに用事がありまして。」


「イチバン?」


「はい。それを済ませましたら、奥の部屋でお話を聞きます。」



セリカがそう言って他のお客さんの方を見ると、青年も注目を集めていたことに気づいたようだ。


「わかった。逃げるなよ。」


「滅相もございません。すぐに奥の部屋を用意いたします。」




 トイレを済ませたセリカは、厨房の両親の所へ行った。


「セリカ、あの人を知ってるの? 『ここの娘さんが帰って来るのを待たせてくれ。』って言って、もう半刻もあそこに座ってるんだよ。」


母さんが心配そうにセリカの側に寄って来る。



それは心配にもなるだろう。


滅多に店に来ないタイプの羽振りのよさそうな貴族が、突然訪ねて来て娘を待っていると言うのだ。


母親にしてみたら何があったのかと気を揉んでいたに違いない。



父さんは苦虫を嚙み潰したような顔をして、ものも言わずに野菜炒めを作っている。


「母さん、ちょっと面倒な話になるかもしれないから、宴会用の奥のフロアーを使うね。」


「それはいいけど…大丈夫なの?」


「うん。大丈夫にするつもり。任せといてっ!」



セリカの根拠のない自信に、母親のマムも苦笑した。


「…何と言っても貴族に歯向かうんじゃないよ。穏便に話し合いをしておくれよね。」


「わかってるって。何年、客商売をしてると思ってんのよ。このセリカさんに扱えない客はいないでしょ。」


「ふふ、わかったわかった。飲み物や料理を持って行こうか?」


「そうだね。必要になったら声をかけるから。」




 セリカは奥の部屋の空気を入れ替えて、テーブルと座布団を用意すると、貴族の青年を呼びに行った。


「ほう、こんな部屋があるのか。」


青年は物珍しそうに、十六畳ほどの宴会用の部屋を見ている。



ここはセリカの提案で、増設した部屋だ。

大勢でパーティーをする時に使ってもらっている。


座を上げて畳部屋のような感じで使っているので、床も汚れないし椅子を購入しなくてもよい。

赤ちゃん連れの人には赤ちゃんを寝かせておけるので便利がいいと評判だ。


店にしても、パーティーの人数が少々変わってもすぐに対応できるので助かっている。



「そこで靴を脱いで上がってください。床全体が椅子のようなものと思ってくださいな。」


「ほう、わかった。」


青年は高そうな靴の紐を解いて脱ぐと、部屋に上がって用意されていた座布団の上にドカリと胡坐あぐらをかいた。



ふーん、少しはこちらの意見も聞き入れた、物がわかった対応もできるのね。

これなら話しやすいかもしれない。



セリカは青年が食べていたピザやエールをお盆にのせて運んでくると、自分のハーブティも一緒にテーブルにのせた。


青年はそのハーブティを見て、ピクリと眉毛を動かしたが、セリカには何も言わなかった。



平民風情が貴族の真ん前で飲み食いするなどということは、普段はないことだ。


しかしこの人が貴族だと名乗ったわけではない。


普通は従者を連れているハズだが、この人は一人で飯屋に乗り込んできている。


いったいどういうことなのだろうか。



 「まずは、名を名乗ろう。私はダニエル・ラザフォードという。侯爵だ。」


セリカはギョッとした。


侯爵というと国王にとても近い親族ではないだろうか。


セリカはハーブティを下に置こうと手をかけたが、侯爵様がそれをすぐに止めた。



「よい。この場は無礼講だ。その代わりに、ここでの話は家族にも内密に頼む。」


「家族にもですか?」


セリカは震える声で尋ねた。


何と言ってもここは確認しておかなければならない。

セリカにとって家族は運命共同体なのだ。



「時期が来たら話してもよい。」


「…わかりました。」



「ん。まずはセリカ、君の魔法のことだが…。」


「魔法は使えませんっ。」


「と言うだろうな。しかしかすかだが空気中に違和感があった。魔法を使った後の残滓ざんしが感じ取れたんだ。ごく微量であったからそう強い魔法を使えるわけではないのだろうが。」


― うわー、よかったねセリカ。

  この人セリカの魔法が弱いって勘違いしてくれてるよっ!


そうだね。

このぶんだと養子とかの話はないかも。



奏子の言葉に、セリカもやっと余裕が出て来た。


ホッと肩の力も抜ける。



「しかしこの部分は特に内密に願いたいのだが、今、貴族の魔法量が全国的に減ってきている。もともと魔法量の少なかった男爵家や子爵家が相次いで爵位を取り下げられて平民に戻っているんだ。」


は? 

魔法が使えないと貴族も平民になるということ?


そんなシステムになっているとは、セリカは全然知らなかった。



「しかし一度、権力の味を覚えた人間の中には、なかなか従順な平民に戻ることが出来ない者もいる。」


なるほどね、それは想像できるかもしれない。



「今回もここダレーナの街を統治するダレニアン伯爵領に、隣のコルマ男爵領を併合させるために私が派遣されてきたんだ。しかし元コルマ男爵は困る人でね。微量でも魔法量を持っている女の人を襲って子どもを産ませようとした前科がある。」


何それ、なんて自分本位な奴。



「のんびりと聞いているようだけど、私が心配しているのは君、セリカのことだよ。」


「は?! …もしかして、その変態のコルマっていう人に私が狙われそうだとか、そういう話なんですか?!」


「そうだ。頭は悪くないみたいだね。」


うげっ! 

嫌だー、ゾッとする。



「そこでだ。セリカ、君にこの指輪をつけておいてもらいたい。」


「はぁ…。」


ラザフォード侯爵が渡してくれた変わった模様が入った指輪をセリカは受け取った。


言われるまま左手の薬指にその指輪をはめる。



指輪はぼうっと赤く光ると、セリカの指にピタリと収まった。


「…ふうん。赤く光ったね…。」


「何なんですか、これ?」



「これはね、君が私の婚約者だという印だよ。」


「はぁ?!」


なんか理解できない言葉が聞こえたんですが。



めかけ用の指輪を持ち歩いてなくてね。すまないが当分の間、それで我慢してくれ。守りの力は強いから、むしろそれの方が役に立つだろう。」


平然とそんなことを言う侯爵様は、話は終わったとばかりにピザを一口食べてエールをグビッと飲んだ。



これって…。


いったい、どーいうことぉーっ?!

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