飯屋の娘は魔法を使いたくない?
秋野 木星
第一章 出会い
第1話 使っちゃった
埃っぽい土煙が目の前を舞っている。
男の子をたった今、吹き飛ばしたセリカの手のひらに、魔法の白い粒子の残光が漂っていた。
やっちゃった。今の見てた人がいるかな?
セリカはおずおずと周りを見回してみた。
まずいことに十人ほどの通行人が足を止めて、セリカと道の向こうに倒れている男の子を呆然と見ていた。
男の子をひきそうになった馬車の御者も、少し行った所で馬の手綱を引き絞って馬車を止めている。
御者台から身を乗り出すようにして、こちらを振り返っているようだ。
「大丈夫か?! 子どもをひいてしまったのかと思ったんだが…。」
「あ、大丈夫です。私が突き飛ばしたのが良かったみたい。」
セリカは慌てて手をこすって魔法の痕跡を隠した。
「突き飛ばしただって?」
「なんか男の子が空を飛んできたようだったよな。」
「おい坊主、大丈夫か?」
側にいた人が声をかけながら男の子を抱き起したので、わけが分からずに転がっていた男の子も我に返ったようだ。
「うん。なんかフワッと飛ばされた。」
「ケガは?」
「えっと、手をすりむいただけ。」
通行人の人たちと男の子の会話を聞いてセリカはホッとした。
その時、馬車の扉が開いて、背が高い青年が踏み台も出さずに飛び降りてきた。
高級な貴族が着るような服を着ている若い男だ。
短く整えられた髪が、春の陽光に金色に輝いている。
「何があった?」
御者を問いただす低い声が、シンとした街角に響く。
御者は主人に冷静に今の状況を説明している。
目の前に男の子が飛び出してきたので、慌てて対処しようとしたが間に合わなかったこと。
しかし、そこに立っている女の子が男の子を突き飛ばしてくれたので、大事にはならなかったようだ。
けれど男の子の無事を知ってもいまだに何が起きたのか信じられない。
そう言って御者は首を捻っていた。
「魔法か…。」
男の声にセリカはビクリとして後ろも見ずに駆けだした。
ヤバイよ。
今日まで隠し通して来たのに、こんなことでバレちゃうなんて。
ダレーナの入り組んだ街並みをセリカは小さめの加速の魔法を使って縦横無尽に走り抜けた。
街の外れまで来ると、セリカはくるりと回れ右をしてスカートの裾を整えた。
そして裏道を選びながらことさらゆっくりと歩いて自宅に向かった。
あの場所に、セリカを知っている人が誰もいなかったことを祈るしかない。
魔法が使えるなんてことがバレたら、今の家にはいられない。
ファジャンシル王国では、魔法は貴族だけの特権だ。
平民のそれも飯屋の娘が魔法を使えるなんていうことがバレたら、貴族の家に養子に出されてしまう。
セリカは今の家が大好きだったし、両親や弟とも離れたくなかった。
セリカが三歳ぐらいの時だっただろうか、川でおぼれかけた時に前世の記憶人格がよみがえった。
セリカの前世は日本人の
奏子は両親が共働きの一人っ子だった。
小学校に入った頃から学童保育室の常連で、夜遅く帰って来る親とはあまりふれ合いのない生活をしていた。
大学を出て独り立ちをしても、友達の少ない寂しいアパート暮らしで、会社が休みの時なども本を読んだり手芸をしたりというような内向的な生活をしていた。
そんな奏子が、勤めていた会社の健康診断で胃潰瘍を疑われた。
近所の病院にかかって、もらった薬を飲み続けてもなかなか胃の調子がよくならない。
ある日セカンドオピニオンをもらおうと大学病院で検査をしてもらったら、レントゲンに映らない胃の裏側にがんができていることがわかった。
がんが見つかった時にはもう末期で、何か月かの入院の後、高熱にうなされながら肺炎を併発して奏子は帰らぬ人になったのである。
そんな前世の記憶人格がよみがえったことが、セリカの中のどこかに災いをもたらしたのかもしれない。
セリカは突然、魔法が使えるようになってしまったのだ。
川でおぼれたその日の夜のことだ。
ベッドに寝ている時に、ものすごく喉が渇いて水を飲みたくなった。
セリカが水を欲しいと強く思った時、窓の外から水玉がふわふわと漂って来てセリカの口を潤してくれた。
その時、セリカの中で目覚めたばかりだった奏子は自分が物語の中の魔法使いになったようで興奮した。
新しい人生で「私強いわーーーっ!」と無双が出来るのかと思ったのだ。
しかし家族や近所の人たちを見ている限り、魔法を使っている人は誰もいない。
奏子は用心して、人前では魔法を使わないようにしていた。
一度、母親に魔法のことで質問したら、ファジャンシル王国の貴族について教えられた。
魔法は特権階級の貴族が使うもの。
貴族は魔法を使って国を守る代わりに、平民から税金を取っている。
つまり平民の中では魔法は異質な物、触れてはならないものとして認識されている。
「皆と一緒にいたかったら、魔法を使っては駄目だよ。」
母親に心配そうに言われた一言が、今でもセリカの耳に残っている。
もしかしたら母親はセリカの中に目覚めた魔法の力に薄々気づいていたのかもしれない。
この時からセリカは「魔法」という平民にとっては忌むべき能力をひた隠しにする生活を送ることになる。
セリカの家である『トレントの店』の看板が見えてきた。
気難しい父親のダダは庶民向けの飯屋をやっている。
ふくよかな母親のマムも気前のいいおかみさんとして店を手伝っている。
セリカも十歳の時から十六歳になるこの歳まで七年間店を手伝って来た。
今では店にとってセリカは、なくてはならない看板娘だ。
いずれは二つ下の弟のカールがお嫁さんをもらって店の後を継ぐのだろうが、セリカとしては近所に嫁いででも店の手伝いを続けたいと思っている。
私が日本での記憶を駆使して、店をここまで大きくしたんだもんね。
セリカは誇らしげな顔で店の様子を眺めると、「ただいま~。」と言いながら扉を開けて店の中へ入っていった。
「遅かったな。」
そこでセリカを待ち受けていたのは、先程見た馬車に乗っていた金髪の青年だった。
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