そして彼は踊り場に踊る

有明 誠

そして彼は踊り場に踊る

 ずずず、とコーヒーをすする。それが行儀の悪い行為かどうかは俺は関係のないことだ。

 俺の意識は今、アパートの軒下に巣をこしらえたツバメの声、窓に見える初夏の青葉の眩しさに向けられている。昨日まで続いていた雨もやんでおり、森羅万象が輝きを持って動き出したように感じられる。空にはまだ雲が残っているが、久々に顔を出した太陽はこんなにも明るかったのかとさえ思えて、昨日まで不快でならなかった湿気も今日はさして気にならない。

 柄にもなくそういった些細な幸せに気がつけたのは、今朝作った目玉焼きが双子だったからに他ならない。要するに、上機嫌なのだ。もう少しどっしりと構えていたいとも思ってはいるが、簡単に気を良くすることができるのは自分のいい所だと自負している。

 双子をたいらげ、出勤の準備まで済ませた時、時計は6時50分を指していた。まだ出るまで余裕がある。テレビでも見るか......。カバンを机に立て掛け、リモコンのスイッチを押し、そして瞬時に後悔した。

「今日の最下位は〜、残念、カニ座のアナタ〜」

 画面いっぱいに現れた暗めの配色の、それでいてポップなデザインの占い結果は、それは散々なもので当事者である俺は顔をしかめた。今日はそこそこ重大な会議があるのだ。

 申し訳程度の「ラッキープレイス」とやらは階段の踊り場ときてる。そういえば使う駅にもそんなものは無いし、思いつくのはオフィスビルの非常階段くらいなものだった。社会に出て3年、かつて野球部員だった頃の体力はどこへやら、すっかり運動不足となった身に4階までエレベーターを使うなと言うのか。


 そんなことを考えているといつの間にかニュースは天気予報に突入しており、朝の時間の早さを思い出してあわてて家を出た。くそっ、今日はツイてない。


 すし詰めの電車に揺られること20分。太陽が出ていようがいまいが、この湿気がどうにかなるわけではない。びっしょりに濡らした背中のシャツをパタパタさせて不快感をごまかす。いつもの直通を逃し一本違うだけでこんなに混むのかとうんざりし、慣れない乗り換え駅で次の電車を待っていると、肩を誰かがちょんと叩いた。

「ふふ、やっぱりそうだ。おはよ。」

「おお、おはよう。」

 振り返るとそれは同期の関口だった。同期と言っても今までそれほど彼女と話す機会もなく、可愛いらしい人がいるなと認識はしていたが知り合いかどうかも怪しいくらいだったので面食らった。もちろんいい意味で。

「あれ、いつもこの時間だったの?あんまり見ないけど。」

「いや、いつもはもう一本早いのなんだけど、今日はのんびりしすぎちゃってね。」

「いつもはもっと早いのかー、どうりで見かけないワケだ。ははっ。」

 愛嬌たっぷりの笑顔に見とれていられるのも一瞬。俺は思考に全神経を注いだ。せっかくのチャンスだ。なにか、なにか言って話を続けねば......!

「そ、そういえば雨、やっとやんだな。」

「ねー!洗濯物が乾かなくて困ってたんだよ。」

「ウチもだよ。まあ、湿気でこう蒸し暑いのは変わらないんだけどね」

「ま、そうなんだけどね。でもやっぱりおひさまが出てるだけで何というか、気持ちいいよね!」

 そう言って眩しく微笑む彼女を前に、太陽などどうでも良くなりつつあったが、なんとか言葉をつなげる。

「お日様かぁ、それもそうだな。」

「そういえば、駅の会社と逆方面にラーメン屋があるじゃない。そこ、昨日冷やし中華ののぼりが立ってたよ」

「冷やし中華!?流石に早くないか?まだ梅雨前だぞ。」

「でも確かにこの暑さなら売れるのかもね。今アツアツのラーメンなんて食べたくないもん」

「言えてる。じゃあ、今日の昼にでも行ってみるか?」

「いいねぇ!」


 このとき心臓がバックバクだったのは言うまでもないし、そこから何を話したのか、いつの間に会社に着いていたのか、もう覚えていない。ただ一つ、確信を持って言えるのは、占いは大外れだという事だ。何せ俺は今ヘタしたら宇宙で一番幸せなのかもしれないのだ。なーにが最下位だ。二度と見るかあんな占い。


 そうして俺は関口と別れたあと、非常階段へ向かった。いやなに、健康には気をつかわないとね。

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