書評18.絶望という燃料、笑いというピストン

今回から、「第二回」の投稿分の書評を始めますね。

投稿される方は以下の自主企画に投稿してください。

https://kakuyomu.jp/user_events/1177354054886390111

※7/29までです


あと、久しぶりの自作小説もアップしたので、よかったら読んでくださいね。

『感情をインストールしてください -emotion-not-installed-』

https://kakuyomu.jp/works/1177354054886405105

「人の小説語るばっかりで自分はなにができんのさ?」などと思われているのかもしれないなと思いまして、自分の小説も公開したいと思いました。


書きたい小説のアイディア、いろいろあります。

が、難しいですね。

仕事と子育てと家事と小説と、その他もろもろの趣味の両立は。


最近、本当に上手くいかないことのほうが多くて、難しいなと思います。

日本の「働き方」と「教育」を変えたい、変えねばならんのだろうなと、ずっと個人的には感じています。

自分の娘に、この社会制度の中で生きてほしいと思えない。

私一人の力は小さいものですが、きっと同じように感じている人はたくさんいると思っています。

そういう人たちの力を集めて、合わせて、何かを変えたいなと思います。



書評18.『見本市』 作者 町田ヤン

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885257955


「自分は疎外されている」と感じてる人でなければ、新しい文化を作ることはできないのだと、どこかで読んだような気がする。

しかしただ疎外されているだけではダメで、それをいくらか対象化して、「クソが!」でも「アホか!」でも「もう知らんわ!」でもいいから、ちょっとどこかで冷めた部分はなければいけない。

飲まれてしまっては、いけないというわけだ。


この『見本市』という小説は、なんだかとっても綺麗な文章で、呪詛や汚濁や諦観をまきちらかす。

キャッチコピーに思いっきり「真面目です」と書いてあるが、この小説の文章には、いつもいくらかの笑いが含まれている。

そうであるべきだ。(← That's the way it should beというのを日本語で言いたい。)

笑いの根幹にはいつも絶望がある。

真面目に絶望をやるから、笑える。

出汁絶望をひいたら、醤油笑いを入れるようなものだ。

別にを入れてもいいけれど。


「受け入れてほしい」という作者のお願いが、プロフィールなどあちこちに散見される。

疎外されつつ「受け入れてほしい」と願わなければ、カフカだって小説を書かなかったのではないだろうか。

カクヨムで受け入られるべく異世界転生の小説も書いている。

それも面白い。

今回の『見本市』も、異世界転生の小説も、また続きを書いてほしいなと、私は無責任に思う。


「概要」で「人間を、様々な人間を書きます。 」と書いているけれど、基本的には「私」で始まる一人称の文章が多い。

個人的には「シーマイナーと麺」のような、「私」基準でない文章もたくさん読みたいと思った。


書評18.『見本市』 作者 町田ヤン

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885257955

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