書評9.良いか悪いかなんて、越えてゆけ
いやー、どうもね、虚無に食われていた。
惚けておりました。
土日はボケーっと『風の谷のナウシカ』読んでおりました。
何かと虚無に食われがちな私。
※ここから数行は『ナウシカ』の徹底的なネタバレを含みます。
結局ナウシカの最後のシュワの墓所の場面は、「種としての人間」に価値を見出すか否か、という話だと私は思っている。
墓所の主は、「種としての人間を救うためには古代世界の技による”朝”が必要なのだ」、と説く。
一方のナウシカは、「そんな概念的な集合体(=「人間」)を存続させるために作られた歪んだ不死の存在(=墓所)など必要ない」、として墓所の要求を退ける。
王蟲が「全にして個、個にして全」と言うように、生命とはぜんぶひっくるめて集合体で、しかも刻々と変わりゆくものなのだから。
ということを言うと、墓所の主は「それは虚無だ!」と返すわけだけども、何が「虚無」なのかというと、「そういう日和見的で流れに身を任せた無責任な態度は退廃的だ」と言っているのである。
「もっとアンタ、”私はこうしたい!こうあるべきだ!”って言う、主体的な意志みたいなものを持ちなさいよ」と。
「”滅びもまた生命なり”とか言って身を任せるんじゃ、いったいアンタ何のために生まれてきたのさ。戦いなさいよ」、と。
それでね、私ってばいつも虚無に食われがちね。
という話をしたくて、わざわざナウシカのネタバレをここに並べてみたのである。
実際にナウシカ読んだことない人にはなんのこっちゃさっぱりわからんと思うので、ここだけ読んでも何のネタバレにもならないとは思うけれど。
基本的にね、「何かをどうしたい」っていう意志が、私にはあまり無いですね。
事なかれ主義というか、日和見主義というか、そうなってるんならそれでいいじゃん、と思う。
そういうこと言ってると良い仕事できないと思うんですけどね。
忍耐力はあるけど、変える力が弱いから。
何はともあれ(ここまでの前置きはなんだったんだろう)、「書評、書きます。(あなたの作品の)」という自主企画には120もの作品を投稿していただきました。
ほぼ全部に目をとおしましたが、その中でも一番ブッ飛んでいた作品を今回は紹介しますね。
120作品ほど読んでいると、「エンターテインメントほど難しいな」と思います。
最先端の流行に合わせたポップソング作るのにはスキルを必要とするような、そんな感じかなと思います。
そこまでスキルフルなことに無理に挑戦するより、アコースティックでデモテープ的なほうが、魅力がわかりやすいのかなと思います。
今回紹介する作品はアコギ弾き語りでも流行りのポップソングでもなく、スーパー独自路線のこだわり作品です。
書評9.『胴体少女は彼氏を想う。』 作者 ЕСБの革命
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885688938
「変態」がどうだとか言う話を、数個前の書評に書きました。
その文脈で言うと、この小説はド変態ということになるとは思います。
もはや美しいまでに異端です。
「この人何言ってんだろう」、と思います。
筋書きも破天荒だし、背景も破天荒だし、それでそういう雰囲気に持っていく?みたいなトリッキーな純愛の小道具とか挿話もありつつ、それらを表現する文体が何より破天荒です。
いくつか引用しますね。
「つまり、身体の臓器、特に腸や子宮が脳に変わる脳機能を得た代わり、脳が役立たずになった事は非常に怖いと思いつつ、彼女の身体を俺は悲しませたくないから、俺は彼女を抱きしめた。」
「何故なら、ダイヤモンドは炭素で出来ているから、彼女の身体をダイヤモンドとして残す事で彼女の身体は凄く安心して残せる事が解っている。」
「へぇ~。彼女は頭を失った代わりに凄く胃腸の本を読みたいと思うのは意外だった。」
私、ブログとかやりながら「アウトサイダーアート」みたいな、個人的に満足の行く表現ができてればいいかな、なんて思っていたこともありました。
自分、なまっチョロかったなって思いましたね。
ここまで好きなように表現をして、初めて「自分の作品」って言えるような気がしました。
突き詰めることの、勇気をもらった気がします。
書評9.『胴体少女は彼氏を想う。』 作者 ЕСБの革命
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