異界調整官、奮戦す


 冬来たりなば、春遠からじ。


 一面の雪に覆われた蓬莱村の様子を見て、私は知らずため息をついた。悪神の眷属を滅ぼしてから一ヶ月ほどが経過し、日本あっちでは年が明けている。なのに、クリスマス休暇も年末年始の休暇も取ることができずに、私はここで事務作業を黙々と続けるはめになっている。でも、目下の悩みはそんなことじゃない。思うように休暇が取れないことなんて、国家公務員試験に合格した時点から覚悟は出来ている。


 村の運営?

 これが思った以上に順調だ。冬場なのでインフラなどの土木作業は進まないが、科学的な研究やこれまでに収穫した農作物の解析なんかは順調だ。雪が降る前に完成した図書館も、なかなか評判が良いようだ。春になれば、また村の拡張計画にも着手できる。うん、順調。村の運営で困っていることはないよ。

 私を悩ませているのは――。


『よろしいでしょうか?』

 扉をノックする音に続いて声が聞こえた。

「どうぞ」

「失礼します」

 入室を許可すると、扉が開いて異界人こっちのひとが入ってきた。

「領民よりの嘆願書をお持ちしました。アサミ辺境伯マーグレイヴ

 そういって、ホールースさんは私の目の前にを置いた。二百枚くらいあるかな? 村には字が書けない人もいるから、書き取りができる人も手配したけれど、大変な作業だったろうに。

「ご苦労様」

「もったいないお言葉です」

 ホールースさんは、私の前でひたすら恐縮している。

辺境伯マーグレイヴよりお預かりする領地のためですから、この位はなんでもありません」


 辺境伯マーグレイヴ――そう、私はヘルスタット王から辺境伯マーグレイヴの爵位を賜った。異世界人の、しかも女性が叙爵など、これまでの王国ではあり得なかった。でも、王族を救い、悪神の眷属を消し去ったのに、なんの報償もなしとはいかないのだ。そんな理由で、私はアサミ辺境伯マーグレイヴになった。もちろん、異界調整官との掛け持ちだ。いずれ異動で日本あっちに帰らなくてはならないので、爵位と一緒に受け取った領地の管理は、代官を立てることにした。そう、ホールースさんは、辺境伯領の代官になる人だ。

 領地といっても、蓬莱村に隣接した土地で、ベルガラム村を含めた三つの村と一つの砦があるだけだ。魔物クリーチャーズの森があるため、そこから出てくる魔物クリーチャーズを討つ義務が私にはあるらしい。だから、普通の爵位ではなく、辺境伯と。

 春になれば、砦は増築され、兵も増員される予定。蓬莱村も、辺境伯領までの道をアスファルトで舗装することになっている。すべては雪が融けて、春がやってきてからだ。


 公務員が爵位を与えられることに関しては、まったく問題にならなかった。異界こっちの実情を知らないから、名誉職ぐらいに思っているんじゃないかな。

 私としては、そんなに軽いことじゃないと思っているけど。あのヘルスタット王のことだから、ニヴァナの民わたしたちを取り込むのと同時に、辺境伯領を使って日本の技術をかすめ取ろうとしているのではないかと勘ぐっている。辺境伯領は、王国の北側に位置しており、決して豊かではない。領民を植えさせないためには、なにか産業を興す必要があるだろう。私たち日本人が、困っている領民を見捨てないだろうと、ヘルスタット王が見透かしているのではないだろうか。

 そんな王の思惑に乗るのは悔しいが、少しずつ技術は教えるつもりだった。具体的には、紙の製法ね。辺境伯領内で、コウゾに似た植物も見つかっているし、小麦の藁もたしか使える。さすがにパルプ工場を建てることはできないけれど、伯爵領内で和紙っぽいものを作ることはできるようになるだろう。それは、異界こっちで売るだけじゃなく、世界あっちでも売れるはずだ。


 それにしても、やはり皆の前で悪神の眷属あれを握り潰したのは良くなかったと思う。正直、怒りに我を忘れて、良く覚えていないんだけど。

 なんでも王都では、私のことを「竜辺境伯ドラゴン・マーグレイヴ」とか「ニヴァナの破邪姫」なんて呼ばれているらしい。詩が言うには、一部では「タマ取りの魔女」なんてよろしくない呼び名もあるそうだ。やだなー。


 もう一つの悩みは、私が所属する文部科学省から何も言われないこと。秋の時点で、次の配属先が内々々定レベルで伝えられていたのに、王都の動乱後、異動の話がまったく伝わってこない。そろそろ引き継ぎも考えなきゃいけないのに、文科省あっちは何をしているんだか。

 人事異動こっちは、悩んでも仕方ないことなので、とりあえず目の前に積まれた辺境伯マーグレイヴとしての仕事を片付けよう。あ、辺境伯マーグレイヴの仕事も異界調整官の仕事と認められているので、今、辺境伯マーグレイヴの仕事をしても公務員法には引っかからないわよ。


□□□


 ドラゴンの暴走からクーデター未遂事件までを、王国では“悪神の眷属”事変と名付けたらしい。結局、アズリン師も操られていた存在でしかなかったのだが、実行犯、それも主犯格には違いない。王国は、アズリン師の係累すべてに死罪を課すつもりだったが、それは止めて欲しいと私は懇願した。これ以上、人が死ぬところを見たくない。日本政府からも助命嘆願を出してもらった。首謀者であるアズリン師本人はともかく、係累を死罪にすることは人権にもとる行為だと。異界こっちでは、人権なんて考えはないんだけどね。

 折衷案として、ある魔法術式を組み込んだ魔石を、巳谷先生が外科的手術で埋め込むことが提案された。この施術によって、アズリン師が魔法を使うと、魔石がそれを感知して心臓を締め付けるというものだ。地球ニヴァナの基準に照らすと非人道的だが、火刑に処されるよりはましだ。アズリン師も、それを受け容れた。そして、近しい者とともに王国から追放された。魔法を使えなくなったアズリン師は、これから苦難の道が待っていることだろう。

 アズリン師に追従し、クーデターに参加した人たちは、それぞれに処罰された。アズリン師の処分で私たちに大きく譲歩した王国は、これらの処罰については嘆願を受け容れてもらえなかった。これ以上引けば、王国の権威が傷つき、第二第三のアズリン師が出てくるかも知れないと言われたら、こちらは何も言えなくなってしまった。


 御厨教授が魔改造したソニック君は、王宮の中庭に突入した後、レールガンの威嚇射撃やスタンウェブで兵士に対抗していたが、教授ご自慢の魔素駆動機マナドライブが途中で停止してしまい、機動力が大幅に落ちてしまった。なんとか兵士たちから逃げ回っていた途中で、悪神の眷属が消滅、王家側の兵士が盛り返したことで助かった。

 教授は、「魔素マナを集める魔石に問題が」とか言っていたが、調整官の権限で研究は中断してもらっている。魔素駆動機マナドライブの原理を聞いて、ヤバいと直感したからだ。例えば、戦車に搭載すれば、異界こっちで国を滅ぼすこともできるだろうし、ミサイル兵器にも応用できる。もっと洗練されれば拳銃やライフル銃なんかも使えるようになるかも知れない。これは、国の裁定を待って、研究を続けるにしても一定の制限下で行ってもらうことになるだろうなぁ。それを通達するのは、私の後任になるはずだ。後任の方には、大変な置き土産を残すようで心苦しいけど。


 それから、なぜか蓬莱村への移民が増えている。日本あっちじゃなくて異界こっちの人たちだ。その多くが王都から来た人たちだ。今回の騒ぎで王都は少なくない傷を負ってしまい、住む場所や働く場所を失った人も多い。地方へ移住する人の中に、蓬莱村へ来ようとする人がいたのだ。

 これは、王国の税制が関連している。王国は人頭税ではなく間接税であり、徴兵の義務も税の一つ。同じ徴兵なら、リスクの少ない領地が良いということで蓬莱村を選ぶらしいが。一方で、蓬莱村はれっきとした日本領なので、移民は難民申請することになる。そう簡単に受け容れることはできないので、移民希望者はベルガラム村に住んでもらっている。村に負担を掛けることになるので、その分は蓬莱村が支援しているが、なんだか段々体力を削られているような気がしないでもない。これは、辺境伯マーグレイヴとして対処しなければならない問題なので、後任の人に投げるわけにもいかない。頭が痛い。


 政府への支援要請文書を作成していると、タブレット端末が音を立てた。確認すると、詩から一斉メールで、臨時の会議を開くという。何か緊急事態だろうか?


□□□


 「みなさん、忙しいところをありがとうございます。急にお集まりいただいた事には理由があります」

 迫田さん、巳谷先生、尾崎さん、小早川先生、上岡一佐、そして私が集まったところで、詩が口を開いた。なんだか芝居がかっているなぁ。こういう時はろくな事がないと、私の中で経験が大声で叫んでいる。

「政府から通達がありました。日本あちら時間1月7日付けで、組織改編が行われ、内閣府に異界局が統合されます。これまで、各省庁に分散していた機能を一本化するそうです。従って、みなさんはこれまで出向扱いだった機関から、内閣府異界局の所属となります」


「……え?」

 ちょっと、待って。

「また、蓬莱村も寄せ集めではなく、きちんとした組織編成になります。それぞれの所属や職位などは、こちらにあります辞令に書いてあります」

 詩が、みんなに白い封筒を渡して回る。受け取った封筒を開けると、A4用紙が数枚入っていた。がさがさと、紙をめくる音だけが部屋の中に響く。私も、中身を見た。白い紙の戦闘に大きく太い文字で、こう書かれていた。


 阿佐見桜を異界調整官に任ず。


 その下に、異界調整官の職務と責任、そして権限がズラズラと並んでいる。おおむねこれまでと変わらないが、良く読むと全権大使的な内容も含まれている。

「なにこれ――」

 抗議を口にしようとして、一番下の小さな文字に目が止まった。そこには。


 なお、異界調整官の任期は、未定とする。


「なんだってーーっ!」

 辞令を握りしめた手がフルフルと震える。ちょっと待て、ちょっと待ってーーっ!

 過呼吸になりそうな私の肩を、詩がぽんと叩いた。


「骨を埋める気でがんばってね♡」


 私の苦労は、終わらない――。

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異界調整官 ~異世界で官僚、奮戦す~ 水乃流 @song_of_earth

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