火垂

安良巻祐介

 

 ほたると言えば、自分の子どものころにはあまり珍しくなかった。

 自分の住んでいた家の裏手には、あまり大きくもないが川があって、草の多い土手を登ってすぐのところに墓地があった。

 ほたるという虫は、その辺りに行けばだいたいいつでも見られたものだ。

 しかし自分は、決してほたるを好いていなかった。青白い、練り糸のような光を引いて飛ぶそれを、病気の虫だと考えていた。近寄るといけない。触るといけない。母方の祖母がそう教えてくれた。祖母はほたるを嫌っていた。夕餉の支度をしている時に、窓から川面の上を土手へ向かって飛ぶほたるの光が見えたりすると、顔を背けるようにして窓を閉めた。

 顔はよく覚えていないのに、自分は、そういう時の祖母の背中を明瞭に覚えている。

 それからどのくらい経ってからだったか、恐らく祖母の迷信じみた戒めを忘れてしまうくらいには、幼さをなくし背の伸びたころだっただろうが、自分は、ちょっとした気まぐれから、川の上の墓地に足を踏み入れた。

 冬も近いというのに、日の暮れた墓地はまるで夏のさなかのように熱を帯びて湿っぽく、その中をいつものように青い光が飛んでいた。

 自分は、手を伸ばして、飛び過ぎようとするほたるに触れた。

「あっ、」

 思わず声が出た。

 それは、ぞっと冷たかった。

 そして、何事もなかったかのように、掌から手の甲へと突き抜けて行った。

 これは、ほたるではない。

 惑いながら光を追った視線の先に、我が家の墓石があった。青い光は、そこに刻まれたうち、一つの名前を舐めるようにして、そのまま石の中に消えた。

 自分は、背に冷たい汗が浮くのを感じながら、墓地の中に立ちつくしていた。

 光の舐めていたのは、死んだ祖父の名であった。

 そのまま逃げて帰った。

 それ以来、墓地には行っていない。法事の時にもあれこれと理由をつけて避けた。

 のちに学校の映像でほたるを見せられたが、あの光とは似ても似つかなかった。

 そう言えば、あの青白いものは、いつも必ず一つきりで飛んでいた。

 祖母に話を聞きたかったが、その時分には祖母もすでに、鬼籍の人となっていた。

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火垂 安良巻祐介 @aramaki88

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