アゲサゲ・ヴァンパイア
香久乃このみ
第1話
「高橋さん、オレの彼女になってよ」
私を呼び出しそう言ってきたのは、見た目の派手な同級生だった。
「えっと……、あなたは……」
「ZAKI。知ってるっしょ?」
「はぁ……」
(確かバンドやってる2組の柴崎……、下の名前は何だっけか)
「でさ、オレら相性良いと思うんだよね。付き合ってよ、高橋さん」
「いや、あの……」
これまでろくに会話をしたこともないのに、何をもって相性がいいと主張するのか。
「無理ですごめんなさい……」
私は相手を刺激しないよう、そっと後ずさる。だが、彼はすぐさま無遠慮に距離を詰めてきた。
「なんで?」
威嚇。私を見るその目に愛情らしきものは欠片もない。
「付き合ってよ、フリーなんでしょ?」
「いえ、無理です……」
「はぁ? オレに告られて断るって、マジ!?」
「……っ」
「ハァ、分かった。じゃあ、付き合わなくていいからオレのこと好きって言って」
「え……、それは……」
「言えよ……」
瞳に宿る殺気に似た光。限界だった。
「あのっ、私部活があるんで、ごめんなさい!」
私は踵を返し、全速力でその場から逃げ出した。
「あ、オイ、コラァ!!」
(無理無理無理!!)
私は無我夢中で部室へと向かう。
(だいたい私の名前、高橋じゃなくて高園なんだけど!)
階段横の小部屋へ駆け込むと後ろ手に扉を閉め、私は大きく息をついた。
「おぅ、来たか」
文芸部の薄暗い部室には、いつも通り岩宮先輩の大柄なシルエットだけがあった。岩宮先輩は画面から目を離さず、古びたノートPCにごつい指で小説を打ち続けている。文芸部は他にも5人以上在籍している筈なのだが、入部以来他の部員の姿を見たことはなかった。
「……また、か?」
「はぁ……」
岩宮先輩は、私がしょっちゅう告白されていることを知っている。
「大変だな、モテるのも」
(モテてるんじゃないんだけど……)
先輩は別の中学出身だし、学年が違うから知らないのだ。私にまつわる奇妙な噂を。
私には昔から妙な特性があった。好意を抱いた相手は、必ず大出世する。無名だったアーティストや作家が急に大ヒットすることは珍しくなく、目立たなかったクラスメイトが小学生にして起業し、大儲けした例もある。逆に、どれだけ好きだったものでも、ある日突然何の魅力を感じなくなると、一年後くらいに無残なほど零落してしまうのだ。
いつしかそれは周囲の知るところとなり、やがて「高園春奈と付き合うと、有名人になれる」というとんでもない噂が広まることになってしまった。
何かに成り上がることを夢見る男子たちが、こぞって告白をしてくる日々。
(私のこと、好きでも何でもないくせに……)
今日の彼のように、私の名前すらきちんと憶えていない人も珍しくない。更に、男子のその行動は、女子の反感を買う結果にもなってしまった。
(いくら付き合って、口先だけで『好き』って言っても、私が心から相手を好きにならなきゃ意味ないのになぁ……)
長机にくったりとうつぶせた私の頭に、トンと何かが乗せられる。手を伸ばすと、四角い紙パックが指先に触れた
「ジュース?」
「昼用に買ったけど飲まなかったヤツ。喉乾いてたら飲め」
「先輩……、ありがとうございます」
心の奥がふわりと温かくなる。
「面白いの書けそうですか?」
「あぁ」
「新人賞、頑張ってくださいね」
「ん……」
(岩宮先輩の側は心地いいな……)
すっかりぬるくなったジュースは、私の喉を優しく潤した。
「お帰り、春奈。さっきまでお友だちが来てたわよ」
「友だち?」
「えぇ、春奈に話すことがあるって、ちょっと派手な男の子。柴崎って名乗ってたわ」
(げっ!?)
帰宅早々、全身から血の気が引いた。
(まさか、家にまで押しかけてくるなんて……)
住所を特定されてしまっていることにも恐怖を覚えた。
「なぁに、青春?」
「……そんなんじゃない」
私の表情に、母もただならぬものを感じたのだろう。その顔から、面白がる表情が消えた。
「トラブル?」
「うん、あのね……」
私は母に、全てを話した。自分が好きになったものがことごとく成功するため、それを目的に私と付き合おうとする男子がいるということを。
「柴崎君はバンドで有名になりたいの。だから私を彼女にしたいんだと思う。……私が好きになったものが必ずヒットするなんて、自意識過剰なこと言ってるの自分でも分かってるんだけど」
母は黙って私の話を聞いていたが、やがて神妙な面持ちで口を開いた。
「別に自意識過剰じゃないわ、私たちは吸血鬼だもの。精気溢れる人間に惹かれるのは当然のことよ」
「そう……、えっ!?」
母の口から飛び出したトンデモワードに、私の思考が停止した。
「何て?」
「お母さんもあんたも吸血鬼だから仕方ない、って言ったの」
「吸血鬼、て……」
引きつった笑いを浮かべたまま、何とか言葉を絞り出す。
「血とか、飲んだことないけど……」
「必要ないわよ、精気さえ吸えればいいんだから」
「……どういう事?」
「そうね、血はエナジードリンクみたいなものかしら。必要な成分はビタミンやカフェインだけど、甘味料や香料で味を調えているでしょう? 血も同じよ。私たちに必要なのは血の中の精気だけだから、血そのものを飲む必要なんて実はないの」
「…………」
「だから、精気に溢れている人、つまり成功に向かっている人は美味しい気配がするから魅力的に思えるし、心地よく感じる。逆に精気が枯渇したら何の魅力も感じなくなる。噛み終えたガムみたいなものね」
「…………」
にわかには信じられない内容に、私は言葉を失う。だが、母の顔つきは冗談を言っている人のものではなかった。
「それから、気をつけなさい。精気に溢れている人の側にいると、あなたは無意識のうちにそれを吸い取ってしまうわ。そうするとその人の精気はだんだんと減って枯れてしまうから」
(側にいると枯れてしまう……)
翌日、私は退部願を提出した。自分が吸血鬼だなんてまだ信じられなかったけれど、岩宮先輩の小説家の夢を潰してしまうかもしれないと思うと、いてもたってもいられなかった。
(新人賞、頑張ってくださいね)
今は誰もいない部室の扉にそっと手を触れる。
男子からは変な期待をされ、女子からは疎まれる学校生活。岩宮先輩と過ごすこの部室だけが、唯一の安らぎの場だったけど……。
「はぁ……」
溜息をつきながら、階段に向かおうとした時だった。
「待てよ」
「! 柴崎君……!?」
相手を認識する間もなく、乱暴に腕を掴まれ引き立てられる。
「ちょ、ちょっと……!」
部室の近くの、使用されていない小部屋の中へと突き飛ばされた。
「彼女にならねぇってんなら、無理やりにでも俺の女にしてやる!」
「!?」
「俺を有名にしろよ!! オレを好きになれ、高橋!!」
「や、やめてよ……!」
(嘘でしょ!?)
襟元に爪がかかり、残忍な笑みが眼前に迫ったその時だった。
「何やってんの」
静かな声が暴漢の動きを制した。
「岩宮先輩……!」
「なっ……」
岩宮先輩の大柄なシルエットが入り口を塞いでいた。普段穏やかなその瞳に、鋭い光が宿っている。
「お、お前には関係ねぇだろ、あっち行ってろよ!」
「…………」
岩宮先輩はつかつかと室内へ入って来ると、柴崎君の襟首を掴み、廊下へと放り出した。
「ぐぇっ!?」
「あのさ」
大柄な岩宮先輩の影が、柴崎君を覆う。
「さっきの君の犯罪行為、撮ったけど?」
岩宮先輩がスマホを見せると、柴崎君は顔を歪ませまくしたてた。
「それがなんだよ。教師にでも見せて、オレを退学にするつもりか? あぁ、いいぜ、好きにしろよ。いい機会だ、オレは学校やめて本格的にバンドデビューを……」
「いや、これが表沙汰になったらデビューどころじゃないよね」
「……っ!!」
柴崎君の顔から、見る間に血の気が引く。岩宮先輩は淡々と、重みのある口調で続けた。
「これに懲りたら、もう高園にちょっかい出さないと約束しろ」
「わ、分かったよ……、だからその動画……」
「…………」
「ちっ……!」
気圧されるように言葉を飲み込むと、柴崎君は忌々し気に逃げ去った。
「大丈夫、高園?」
「岩宮先輩……」
大きく温かな手が、私を起こしてくれる。
「ありがとうございます、あの……」
助けられたのは嬉しいけれど、襲われている様子を記録した動画が先輩のスマホにあるかと思うと、泣きたい気持ちになる。
「動画って……」
「あぁ、あれ、嘘」
「嘘!?」
「一刻も早く助けるべき状況だったから、撮ってる場合じゃなかった」
(先輩……)
胸の奥がじわりと熱を持つ。
「でも、どうしてここへ……?」
「これ」
岩宮先輩はポケットから私の退部願を取り出した。
「理由、聞きたくて……」
「あ……」
私はしばらく迷った後、思い切って全てを話すことにした。
「あの……、絶対に信じてもらえないと思うんですけど、実は私……」
「なるほど。それで『有名にしろ』か……」
部室で全てを話し終えると、岩宮先輩は納得したように頷いた。
「あの……、信じてくれるんですか? こんな突飛な話……」
「んー……、高園が嘘をついて得をするような内容でもないしね」
「私でもまだ、信じ切れてないのに……」
「信じてないのに、僕の夢を断たないように去ろうとしたの?」
「もしも、ってこともありますから」
「…………」
岩宮先輩はしばらく窓の外に目を向けていたが、やがて私の前に退部願を差し戻した。
「部活、別にやめなくていいんじゃない?」
「でも、そうすると岩宮先輩が……」
「僕の側、今は居心地良いんだろ?」
「え? えぇ……」
「だったら、僕には成功する可能性があるし、しばらくは枯れないってことだ」
先輩が優しく微笑む。
「でも先輩の側に居続けたら、私はいつか……」
「僕は天才型の人間じゃないからね。才能がない分努力でカバーし続けるタイプ。高園が吸ってしまっても、また努力で補充すればいい」
「だけど……」
「高園と放課後過ごせなくなる方が、僕にとっては致命的かな。きっと意欲が下がる」
大きな手が、私の頭を撫でる。
「やめるな、一緒にいたい」
「…………」
胸が痛くなるほど甘く優しい声。
私は頷くことしか出来ず、退部願を握りつぶした。
アゲサゲ・ヴァンパイア 香久乃このみ @kakunoko
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