木人能楽

安良巻祐介

 

 屋根に精緻な飾りを据えた、屋外のお堂のようなところに、沢山の人ががやがやと集まって、お能だか狂言だかを見ている。

 自分が座ったのは椅子席で、目の前に人の頭が行儀よく並んで、静かにしている。

 がやがやという話し声は専ら桟敷席の方から聞こえるが、そちらは沢山居るらしい声ばかりで、どこにあるのか、姿が見えない。

 舞台の上では、演者の舞と共に、風のような笛が鳴っている。また、うまくはぐらかすような調子で、たんたんとろとろと、太鼓が叩かれている。

 しかし、どうもしっくりこない。

 良いところで床を踏む音も入るのに、うまく耳に入って来ない。

 むずむずしながら見ているうちに、違和感の正体がはっきりとして来た。

 舞台には、仮面を着けているのといないのとが居るが、そのどちらも、首から上が生きてい過ぎているのだ。

 時代を考えると、まったく古い倒木に青々とした竹を接ぐようなもので、これでは、つじつまが合わない。

 しかし、そう思って見ていると、こちらの不満が知らず伝わったものか、蝸牛の歩くようにではあるが、だんだんと、つやつやしていた演者の肌が、しわんだように色を落としだした。頭や、顎や、首やの悉くに長く生えていた毛が少しずつ抜けて、すべすべした形になってきたかと思うと、目は穴ぐらのようになり、耳は窪まって、隔たりが縮まり、角が取れ、舞台と、音楽と、衣装と、人の様子とが、かみ合い始めた。

 いつの間にか、松の梢の背が伸びている。

 四方の柱は霞と失せ、橋懸りの下には、渋気の染みた雲が湧いている。

 風のような笛が風を呼び、鼓を打つと香木を焚いた薫りがぷんとして――手もとの番組表にびっしり書きつけられていた、故人故人の名前が、ようやく生きてきたように感ぜられた。

 それから、謡の文句や、音楽の節が、ますます不可解に、しかし美しく響きだしたので、椅子の背にゆったりともたれながら、見ている自分も、だんだんと気が変になって行くように思われた。

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木人能楽 安良巻祐介 @aramaki88

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