第10話 警告
人のコーヒーを我が物顔で堪能した後、柊が自分の注文を言い付ける様を、俺はげんなりと見守る。
薄く化粧を施した横顔は高校在学時のそれとは違った生活感を醸していて、時の隔たりを感じさせる。肩より長かった黒髪は耳元で広がるようにウェーブがかったミディアムで、身に纏うのは襟付きの白のブラウスと、膝下まで隠れた紺のスカート。万年顕微鏡でも覗いているかのような細目を小顔に収めて、柊は俺の出方を心待ちにしているかのようだった。
残念ながら、知己の礼節を交わす余裕はここにない。今朝方思い出した彼女の面影が実像になって、脳は拒否反応を示している。彼女のカップが運ばれてやっと、俺はこの現状に苦言を呈することが出来た。
「……どういう風の吹き回しだよ、柊。俺は、玖兼と会う約束だったんだが」
「再会の挨拶も抜きに剣呑ね。嘘でも嬉しそうにしないのは、貴方らしいけど」
軽く受け流して柊は、湯気立つコーヒーに口付ける。極普通な所作だけれど、俺のよく知る彼女の、育ちの良さが感じられる凛とした背筋は健在だった。俺は彼女が小学生の頃から見知っているけど、ついぞ卒業するまで彼女が授業中で眠りこける場面を目にすることはなかった。柊の背骨は鉄筋製と言い出したの玖兼だったか。震度4で姿勢が一切ブレていなかったとは、クラスメイト全員の談である。この事態においてまるで関係はないのだけれど、彼女の変わらない部分を見つけて、俺は安心を覚えた。
そんな筋金入りの彼女は教師陣からは真面目な生徒のお手本として通っていて、かくしてその実態は、一応の彼氏役を務めていた俺に言わせれば、虎が猫を被っているのと遜色ない。色々と鋭いのだ、彼女は。
一服ついてリラックスしたのは瞬きの合間で、再会の喜びを表出す風もなく、彼女は淡々と続けた。
「お互い地元じゃない。駅前のお店で偶然出くわすくらい、そう不自然なことかしら」
「……俺にはどうにも、誰かの恣意を感じてならないんだが」
……有り体に言えば、俺は柊沙久を避けている。
制服が任期を終えてから彼女と連絡を取り合ったのはごく僅かで、いずれも俺から会話を打ち切るような不作法ものだった。なし崩しで繋がりを得た薄い関係だったから、彼女の方も、以降俺に干渉してくることはしなかった。互いに終わったものだと信じていたのだ。 少なくとも、俺の方は。
俺と彼女をよく知る玖兼と連絡を取り合った途端、設けられたこのシチュエーションに、疑いを持つなと言うのも無理な話だろう。
その不安を裏付けるように、事実、
「御遠寺君はここに来ない、と言ったら、望む答えになるかしら」
教科書の続きを読む教師のような振る舞いで、機械的な柊の声が俺の思考を先回りする。空のコーヒーカップを見下ろして、俺は溜め息しか出てこなかった。
「……やっぱ玖兼の呼びつけは、お前の差し金か」
「そ。私が連絡しても、貴方断るでしょ。同じ部活のよしみなのに、もの寂しいことだわ」
「……アンチ帰宅部なんて絆、後生大事に抱えるもんでもないだろ」
実感も乏しくなってしまっていたけれど、俺と彼女を繋ぐ絆らしきものの呼称をいざ口にすると、それはハリボテのように嘘臭くて、これまた何の冗談か、俺と彼女はそんな反教育的活動に青春を捧げてしまっていた。時間が許す限り、共に帰宅を拒否していた間柄なのだ。その理由は、似て非なるものだけど。
この場において俺を弄ぶような愉悦を終始目に浮かべていた柊が、初めて気の緩みを見せた。浸るように、彼女もかつてを振り返っていく。
「部室を後に託せなかったのが、せめてもの心残りね。まぁ、楽しくなくもなかったわ。皆塚は、どうだった?」
「……悪い思い出じゃ、なかったよ。数少ない避難先、だったしな」
そこに一片も嘘はない。父親を避ける逃げ場の選択肢として、彼女と過ごした部室は居心地が良かった。各々本を読んだりして過ごすだけの、“帰らない”ことだけを目的とした部活動。発足した柊がそれなりに優等生で教師受けもよく、学業に専念できる場が欲しいと無理を通したのが過ちの始まりである。俺と玖兼はそれを部として成立させるために名を貸して、時々顔を出していた。結局入り浸る頻度は、俺の方が圧倒的に多くなってしまっていたけれど、おかけで柊と俺が放課後を共にしていた事実は、色恋沙汰に深く結びつけられ、そう周囲に紐付けられていた。
噂が発覚して、柊に訊いてみたことがある。
俺達、付き合ってることにされてるぞ、と。
彼女はつまらなげに、
『言わせておけば』
と色めくこともなく返した。なんだか一人だけ思春期しているのも馬鹿らしくなったので、俺達は風聞の返事に沈黙を答えとした。それから男女の睦まじい事象は微塵もなく、今に至る。
目を伏して、顔に沿った黒髪を指先でなぞりながら、柊は囁くような声で呟いた。
「そっか。私との思い出に、不服はないわけだ。重畳、重畳」
このまま和やかな会話で済ませられれば良かったのに、一転、彼女の眼差しが俺を見据える。
「とすると、どうして私を避けてくれるのか、ここでお聞きしたいところね」
冷ややかな言い様に得も知れぬ悪寒が走る。往生際悪く目を逸らせば学生バイトらしき女性がこちらに歩いてくるのが見えたので、何かしらの注文で今を誤魔化せないものかと機を窺う。そんな光明に囚われていると、無機質な柊には珍しい、しおらしいトーンが耳を突いた。
「……私と同じ大学を選んでくれたのは、嬉しかったけど、それで落ちて気まずくなるなんて、元も子もないわよ」
事の本題にこめかみが痛む。これ以上逃げ続けても自縄自縛のジレンマだと、諦めがついた。
彼女に対する引け目は申し開きようもなく痴態極まるもので、柄にもなく身の丈に合わない目標を掲げた結果、無残に散ったとういうだけの若気の至り。頭の出来に差のある彼女は、玖兼を始めとした知り合いの大半が通う地元の大学とは別の、立派な学び舎に通っている。そんな彼女と同じ志望を胸にした動機は――戸籍上父親となっているあの人を、驚かせたかったというだけの、取るに足らない気まぐれだった。
それで何を認めさせかったのか、何を見て貰いたがったのか、自分でも分からない。けど、正の方向で現状を打破したい時期が、俺にもあった。柊に『物持ちがいいのね』と評されたあの日を越して、形ばかりでも彼女の勉学に付き合ってから、筋違いな希望を抱いたのだ。あの頃の俺でも、何かを取り戻せるかもしれない、と。その準備はまるで至らず、紙飛行機のように浮かんで落ちた。
それを悔しいとは思わなかった。どちらにせよ、家を出るつもりだったから。ただ、前向きな終わり方を掴み取れなかっただけのことだと言い訳を並べて――父親と呼ぶべきあの人は、俺を逃がしてはくれなかった。
人形が席を並べているような、家族ごっこに辟易しているのは、あの人も同じなのだろうと疑うことはしなかった。けれどそこには、僅かながらでも俺の知らない血が通っていて、その答えは互いに住処を分けるだけの、無関心と差し障りないものだった。彼なりの礼儀で、千切れかかった家族の糸だった。
『せめて、君が何者かになるまでは』と、子供の俺に見せるにはそぐわない、他人行儀な弱々しい笑みと眼鏡の奥の陰った瞳を思い出す。俺といることが、あの人の罪悪感になることは明らかなのに、見えない何かを守っている。育ててくれた恩義も、身に余る助けも受けていて、俺の癇癪じみた感情だと分かっている筈なのに、押さえがつかなかった。他人にも親子にもなれない、どっちつかずの干渉が、心底嫌いだった。
『定理君なら、一人でも大丈夫でしょう』と、仮の住まいを与えられた時にそう言われた。一人で大丈夫なら、見放して欲しかった。家でも二人だった時なんて幾らもなかったのに、一人と一人でしかなかったのに、あの人の“大丈夫”は空々しくて、ただ寒々しくて、ぷっつりと、何かが切れた。
何も積み立てられなかったから、全部終わりにしようと心に決めた。
ナイフを手に取ったプロセスが滂沱の如く思考をつんざいて、押し黙る俺に「皆塚?」と柊が小首を傾げる。彼女も彼女で、勘違いをしている。俺が彼女と志望を同じくした真相は秘めていたので、柊視点で俺は周りに唆されて形成された疑似カップル継続を目指し、彼女のために受験した、というあらぬ誤解を与えたままだ。自分を追って背伸びした知人が躓いて身を起こさないのだから、責任を感じてしまっているのだ。……本当に、始末に負えない。もう謝罪でどうにかなるほど清い身ではないけれど、頭を下げた。
「悪い、身勝手で」
柊は呆れているかのように嘆息して、詰問を継ぎ足す。
「御遠寺君と同じ大学に行かなかったってことは、まだ諦めてないと捉えていいのかしら」
「……それもまだ、決めあぐねてる」
独り立ちしたいと息巻いていた人間の受け答えではないと自覚はあった。そも、こうして一般人面している身分でもないのだ。せめてここ数日のまなに纏わる一件に解決を見出さなければ、人として胸を張ることを、俺は自らに許してはいけない。隠し事だらけで、柊に合わせる顔もなかった。
「そ。期待儚く待っておくわ」
手短に締め括って、柊がコーヒーを啜る。店内の落ち着いた洋楽が沈黙を埋めて、悩ましい話ばかりの苦しさから俺は話題を振る。
「そっちの大学は、居心地いいか?」
「まずまずね。家から離れて一人暮らしを始められた点だけは、何ものにも代えがたい充足よ」
本当にせいせいしたと言わんばかりの表情で柊が言うから、思わず苦笑が零れた。
俺と彼女、アンチ帰宅部の共通項。
「家族アレルギー、相変わらずだな」
俺の家が家族の擬態なら、柊の家はその真反対。所謂過保護という奴で、その辛酸は一人の余暇がまるでないといったありふれた悩みらしかった。平和に過ぎて羨ましいとさえ思えたけど、その仲は小学の夏のあくる日、勝手に夏休みの宿題を片付けられていたことで完全に決裂したらしい。手間が省けたじゃないかと俺は思うが、自分でやりたがる柊には耐えがたかったそうだ。
大事に育てられた一人娘らしい柊は今、自由を飼い慣らして生き生きとして見えた。
俺が笑い話として受け取っていると、彼女の鋭い眼光が飛んでくる。
「他人事ね。貴方も大概拗らせてるものでしょう」
「……今は、俺も一人暮らしなんだ」
俺が父親と不仲なことは、柊も知り及んでいる。暫く連絡を絶っていた手前初めて近況を伝えた訳だけれど、きっかけからして憤懣やるかたない現状をして、歯切れの悪い物言いになってしまった。それを柊が見逃してくれる筈もなく、
「そう。その割には、辛気臭い顔をしてるわね」
妥当な所感を平たく下す。空笑いで、俺は応じた。
「悩みには事欠かかない始末なんだ。……全部、自分で抱えたんだけどな」
「貴方に将来より懸念することなんてあるかしら」
「あるから困ってる」
「開き直られても私が困る」
「……すまん、取り乱した」
取り扱いを誤ったように柊が額を押さえる。つらつらと、有難い助言を呈してくれた。
「……世間に隔絶されて、人間力が落ちたわね。適度に人界に下りることをお勧めするわ」
「これでも、週三で公園に通う健康児だ」
「明らかに不審な浪人生の間違いでしょう。今にも警察機構を煩わせるわよ」
正しく事の発端を言い当てられ、心臓が不正常な跳ね方をした。そっぽを向いて肘を突いた腕を盾のようにしてひとまずやり過ごす。柊は今日一番の溜息を深く吐いて一泊置き、
「――ねぇ、皆塚、“井の蛙公園”って知ってる?」
突然、因縁深い名を口にした。
俺と刃物とあの子の、始まりの場所。
「あ、ああ。今の家に、近いところだ」
虚を突かれて思わずどもる。何を企んでか柊は、数舜瞼を伏した後、俺を睥睨する。
彼女が前触れもなく俺の抱えた問題に差し迫っていることに、身体は生唾を飲み込んで警戒的な反応を取ってしまう。そこに至ってやっと、内の危機感が警鐘を鳴らした。「それは奇遇ね」と返す柊の面持は、将棋を指すような理詰めの頑なさを鎧っていた。その確信を埋めるように、彼女は紡ぐ。ここに居合わせたその訳を。
「話は変わるけど、家族が先日、というか連絡を寄越すのは毎日なんだけど、この話題が殆どご近所さんとの井戸端会議の情報漏洩で、私は日夜望むべくもなく近隣事情に詳しくなって眉間に皺を寄せている訳だけど、ここに聞き捨てならない情報を耳にしてね。なんでもお向かいの渡辺宅のお子さんが、ここの所お友達以外と遊ぶ日が続いたらしくて、その新しいご友人というのが、真っ黒な服の女の子と、覇気のない所属不詳の青年の一組で、ボールと一緒に何度も転げ回っていたそうよ。子供達には上手く溶け込んだみたいだけれど、小母様方からすれば、怪しい青年を看過するべきか処遇に迷うというのが本音らしいわ。“井の蛙”公園に不審者出没、とお触れが出るのも、そう先のことじゃないかもしれないわね。子供達にも覚え易かったのか、青年の名前もばっちり把握してるみたい。大層口ずさんでいたそうよ。テーリ、テイリ、って」
冷や汗が品切れになる。
柊の黒い眼が光を落としたモニターのように、俺を映している気さえする。
自らの及ぼした影響と、狭い枠内の世間という檻に捕縛された実感を補足するように、柊はわざとらしく笑ってみせた。ここ一番の、俺の心理状態を無視できれば、人好きのする笑顔だった。
「アンチ帰宅部元副部長の皆塚定理君は、井の蛙公園を知ってるのよね? 週三で通い詰める程度には」
「……子供達に比べれば、俺なんてまだ新米だろうよ」
辛うじての虚勢を張った。よりにもよって彼女を前に、児童公園マスターを着々と歩んでいた件が明るみになってしまっていたのはあまりにもバツが悪かったし、何より、これで真黒な服の女の子――悠瀬まなの存在についても言及されるだろう。その素性の多くはまだ知らず、語れることはあまりに少ない。嘘八百で乗り切る他ないと決心すれば、俺を置いて柊は捲し立てるように言いのける。
「貴方が新米だろうが古参だろうがショタコンだろうがロリコンだろうが私は一向に構わないけど」
「手心って知ってるか?」
無視。
一息、柊が呼吸を溜める。
続く言葉を、刻み込むように。
「――悠瀬まなには、関わらない方がいい」
じっと、柊が俺を直視する。
他の雑音の一切を締め出して、その警告は俺に届いた。
「まなを、知ってるのか」
驚きに感情が追い付かず、茫然としてそれだけを訊く。一から説明してくれるような友好的な素振りは見せず、柊は言う。
「もう呼び捨てなんだ、親しいのね。……別に、昔ご近所だっただけよ。それに、喪服みたいな格好でうろつく不登校の女の子のことなら、あの辺じゃそれなりに周知よ。私から言えるのはそれまで。警告、したから」
柊はテーブルの端に置かれていたアクリル製の伝票立てから、自分のレシートを手にして立ち上がる。軽食も挟むことなく、この場はおしまいということらしかった。その前に、伝えないといけないことは。
「……悪い、柊。たぶんもう、関わり過ぎた」
「今から手を引いても、遅くはないと思う」
柊と視線をぶつけ合う。
俺の知っている悠瀬まなと、柊の知っている悠瀬まな。その擦り合わせもしない内に、納得なんて出来なかった。
「俺には、お前が何を危惧しているのか分からない。俺の知ってるあいつは、……普通じゃないことを苦しんでる、ただの女の子だ」
死に損ねて、生き損ねてる、幼い頃の道のりを行き来するだけの、少女の形。
彼女を害なす者だと決めつけるには、俺は立場が寄りかかり過ぎていた。
共犯者のフィルターを持たない柊は、奥歯を噛み締めるかのように険しく、一際念を込めて告げる。
「悠瀬まなは“殺せる”子よ」
まるで罪人を突き放すような、憎悪の沈殿した声だった。
「殺せるって、何を」
覗かせた感情の濃度に引き摺られて、俺は言葉を繰り返す。
侮蔑するように、柊は答えた。
「命。未来。それ以外ない」
あの子のナイフが、血に濡れているのを連想した。誰の血かは、考えたくもなかった。
柊はまるで、その切っ先が誰に向けられていたのか、知っているとでも言うようで。
そんな血生臭い想起は、刃に撫でられたまなの気を許した横顔と、潤んだ瞳に上書きされた。
「……全然、結び付かない。あいつのことと」
「今はまだ、そうかもしれないわね。貴方と彼女がどういう経緯で知り合ったにせよ、深入りしても、誰も幸せになんてならないことだけは、伝えておきたかった」
冷淡に柊が言う。その通りかもしれない、と思う。俺に出来ることなんて何もないかもしれない。状況を悪くするだけなのかもしれない。それでも、散々間違ってきたから、殊更に強く思うのだ。何もしないことを、何も出来ない言い訳にはしたくないのだと。……そんな間違いは、父親のことだけで充分だ。
立ち上がって、柊の正面に立つ。これ以上、譲るつもりはなかった。
「俺とあいつは、その知り合い方が問題なんだ。俺があいつに関わるのは、償いみたいなものだから、ここで投げ出すのは、出来ない」
「その熱意は、学業に向けて欲しい」
「……にべもないな」
渋面を浮かべて柊は、諦めたのか背を向ける。数歩歩いて去り際に、平坦な調子で残していく。
「家族の井戸端ネットワークから、悪い報せがないことを祈るわ。あ、それと」
振り返り、悪戯めいた微笑みで、柊は自らを指さして、次に俺の方を指さして、
「私と貴方、まだ付き合ってることになってるから」
「は?」
とんでもない爆弾を投げてきた。
今し方の口論による緊張感が、一気に消し飛んだ。
「……あんな噂に乗っかった建前、とっくに自然消滅してるだろ」
「大学で言い振らしてるのよ。一緒に受けたけど惜しくも入れなかった彼氏がいます、って。変に寄り付かれなくて助かってるわ。別れたとも言ってなかったし、別に構わないでしょう?」
立てた人差し指でつややかな唇を隠し、柊の笑みが固定される。つい最近も、こんな風に誰かに弄ばれた気がする。力なく、俺は片手に頭を抱えた。
「嘘も方便ってのにも、限度があるだろう……」
困る俺を面白がってか、柊は目を細めて追い立てる。
「嘘にしなければいいのよ。私の面子を保つと思って、尻に火を付けて励みなさいな」
「……俺の何が良かったんだ、柊」
例えば、俺を副部長に選んだ訳だとか。
他者の揶揄に流されてとはいえ、口先だけでも付き合うことを許してくれたことだとか。
そんな諸々を含めて、そう尋ねた。
柊は勿体付けず、その真意を教えてくれた。
「私のこと好きじゃないとこ」
過干渉に至らない距離感が、望ましいとでも言うように。
背を向けて「じゃ」と柊が手を振る。
二の句も継げずに立ち尽くして、耳に台詞が木霊する。そして、いつぞやのまなの言葉を思い出す。
『皆塚さんって、悪い女の人に遊ばれそう』と、無邪気に言われたあの声が。
……取り敢えず、玖兼はシメよう。
いざ電話すると華麗に着信拒否されていて、携帯を握り締め立ち尽くす俺を、店員が邪魔臭そうに見ていた。
刃衣の君に※旧題『不審者ですが、美少女にナイフを向けたら気に入られた件について』 日日直直 @mene
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