第2話

 ――怪人・黒外套現る!!


 新聞の一面にでかでかと掲げられた見出しに、悠雅は辟易としていた。路面電車に揺られながら新聞を捲る彼の横から、アンナが覗き込むように首を伸ばした。


「くろがいとう、って昨日の夜のあれよね?」

「ああ、怪人だなんだと言われているが、その実は魑魅魍魎の類だ。変化する事に長けていて、手強い連中だ」

「変化? そういえば、私がこいつに会った時は最初、車の姿をしてたわ」

「人や車に化けるのは連中の常套手段だ。何かが腐ったような臭いがしたら気を付けろ」

「何楽しそうに話し込んでいるんですか?」


 悠雅がアンナに注意を促していると、冷たい声で瑞乃が詰る。

 アンナ・アンダーソンという少女の身柄を預かる所までは飲み込めた彼女だったが、帝都の抱える問題の解決に際して彼女に協力させる、というのがどうにも瑞乃の中でしこりを作っていた。


 しかし、アンナも喧嘩を売られて黙っていられるほど人間が出来ておらず、蜂蜜色の御髪がゆらりと揺れる。


「なに? まだ文句あるの?」


 実にめんどくさそうに瑞乃を見据える瑠璃色の瞳は、急速に濁り始めていた。最早激情の火さえ灯らぬ、と彼女は白けた様子で瑞乃に問う。


「無いと思ってるんですか、新人さん?」

「じゃあ、私に言うんじゃなくて契約を交わした皇国の英雄に言ったら?」

「言ってそれでも納得いかないから直接言ってるんですけどね」


 瑞乃は納得できない。しない、ではなく、できないのだ。瑞乃は周りの反応が余りにもおかしくてどうにかなってしまいそうだった。

 彼女は深凪悠雅という男の愚かしさと義理堅さを知っている。そして、それを好ましく思っており、アンナが悠雅を助けた時点で、彼が彼女を庇う言動や行動を取ることもある程度予想していた。恩師である永倉新八の行動は意外だったものの、理には適っているという考えもあり、二人がアンナを抱き込む理由がわからないではなかった。ただ一点を除いては。

 前提として、このアンナ・アンダーソンという女は悠雅を殺そうとしていた。経緯や結果はどうであれ、これは現実に起きたことであり、忘れてはならないことだった。


 瑞乃は彼女がどんな理由で悠雅に銃口を突き付けたのか、彼女の状況がどれだけ切迫していたのか知らないが、それでもいきなり大切な幼馴染に銃口を突き付けるような人間を簡単に信用することはできなかった。

 そんな瑞乃の気持ちを悠雅は気づきもせずに紅蓮の独眼を細めて笑う。


「そうやってツンケンしないでくださいよ、おじょ――ぶはぁ」


 瑞乃はヘラヘラ笑う悠雅がどうにも許せなくて、彼の顔面目掛けて鞄を投げつけた。


「なんでいきなり鞄を投げるんですか?」

「ムカついたからです」

「えぇ……」


 他者の心の機微に恐ろしく鈍い彼は「理不尽過ぎる」なんて、ぼやいていると瑞乃はさらに不機嫌そうに鼻を鳴らすのだった。


「なんだってそこまで言われなきゃいけないのかしら。こっちだって仕方なくやってるっていうのに」


 苛立ちを隠そうともせずにアンナは瑠璃色の瞳を尖らせる。東條英機の情報を餌に仕事の手伝いをすることになったものの、本心から望んでやっている行動ではないためだろう。


「嫌なら帰っていただいても良いのですよ?」

「やらないなんて言った覚えはないわ」


 忌々しげに瑞乃を睨んだアンナは拳を握り締めた。この程度で望みに近づけるのなら、いくらでもやってやろうと覚悟を固める様に。

 やがて一同は車両を降り、そして、見上げるのも億劫になりそうなほどに大きな、真新しい建物を仰ぎ見る。


 東京駅。赤煉瓦の巨大な洋館といった風情の建築物。一九一四年に開業した帝都の物流の中心地だ。


「まるで鎖に繋がれた怪物みたい」とはアンナの一言。恐らくは建物中に突き刺さった空中回廊ブリッジを指してのものだろう。


「ぼうっとしてると置いていきますよ?」

「そうじゃなくてもアンタは置いていきそうだけど?」

「よくわかりましたね」

「腹黒」

「厚顔」

「まな板」

「乳牛」

「……こんな所で喧嘩しないでくださいよ」


 今に取っ組み合いを始めそうな二人の鬼女をそれとなく叱りつつ、悠雅は駅の構内へと入っていく。

 ごった返した人の海の波を掻き分ける様に突き進んでいくと、その先に封鎖された、物々しい鉄扉が見えてくる。


 扉にはベタベタと護符が貼られており、禁厭まじないで結界が築きあげられていた。その前を軍服姿の禁厭師まじないしが数人、門番の様に立って、睨みを利かせていた。


 悠雅と彼の後を追ってきたアンナと瑞乃は、扉に向かって一歩、また一歩と近づくたびに顔をしかめていく。扉を塞ぐ結界から漏れ出る負の霊力、いわゆる瘴気とも呼ばれるものを気取ったのだ。


 現人神あらひとがみは霊力を振う超人である為か、霊力の動きや濃淡に敏感であった。詰まり彼らは常人よりも遥かにその瘴気を感じやすいのだ。


「こいつは酷いな」


 僅かに青ざめた顔を見せる悠雅が呻くように零すと、アンナと瑞乃も揃って頷いた。地下に一体何が潜んでいるのか想像して、盛大に溜め息を吐きながら依頼内容を反芻はんすうする。


“東京駅の地下区画では現在、大規模な整備工事が行われている。その工事の最中に、大量の黒外套が湧き出した、とのこと。死傷者も出ている為、性急な調査と処理を願う。”


 筆圧から滲む焦燥の色は悠雅を奮い立たせた。

 帝都の中心地に得体の知れない怪物の巣があるというのは一般市民にとってどれ程の恐怖があるか、想像に難くない。


 工事作業員たちや駅員たちには箝口令かんこうれいが敷かれているが、人の口に戸は立てられない。既に噂は広まりつつあり、駅の利用者数は減少の一途を辿っている。更にその上、貨物運行は休止されており、経済的に馬鹿にならない損失が生まれている。


 新八の言う鬼退治は急務であった。無辜の民が既にその魔手で傷つけられているというのであれば、なおさらに。

 とはいえ、欧州大戦、西比利亜シベリア出兵の影響を受けて人手不足の軍は兵を動かせない。警察も人手不足な上に練度不足も相俟って、とてもではないが魔性退治などやり仰せない。練度や実力に定評のある新撰組に白羽の矢が立ったのは必然であろう。


「新撰組の皆様、お待ちしておりました。この度担当を任された穂積ほづみ中尉と申します」


 地下への入口を守っていた禁厭師まじないしの一人が歩み寄ってきた。三十代半ばの男だ。悠雅としては目上の人間にこう畏まられると些かやりづらかったりするのだが、瑞乃とアンナはそうでもないらしく、実に自然な様子で名乗り返す。


辰宮瑞乃たつみやみずのと申します」

「アンナ・アンダーソンよ」

「辰宮? あの辰宮家のご令嬢でしたか!! これはなんとも失礼をば。アンダーソン殿は米国から? それとも英国から?」

「イギリスよ。移民でこちらに来たの、よろしくね」


 サラリと嘘を吐くアンナに悠雅は思わず呆気に取られた。真実を知らなければ嘘だと見抜けなかったに違いない、そう思えてしまうほどの演技力が彼女にはあった。


「……お前、女優目指した方がいいと思うぞ」

「人を騙すのならこれくらいできなきゃダメなのよ」

「詐欺師にでもなりたいのか?」

「失礼ね。私、誰かを悲しませるよりも笑わせたいと思っているクチよ? 嘘をつくにしたって誰かを傷つけたりするもんですか」

「然様で」


 小声でやり取りをしていると穂積の視線は隻眼の青年へと向かう。それも、若干怯えた様子で。


深凪悠雅みなぎゆうがです。取って食ったりしないんでそう怯えないで下さい。大和男子がそんな調子では馬鹿にされてしまいますよ?」


 名乗りつつ、意趣返し半分、苦言半分を呈しておく。凶悪な御尊顔をしているものの、彼もまだ多感な十代なのだ。傷つきやすい部分も間々ある。


「これは大変失礼致しました。申し訳ございません!!」


 直角に腰を折る彼に悠雅は渋面だ。目上の人間に頭を下げさせたというのもあるが、周りからの目が非常に痛々しかった。どう見ても堅気の人間ではない男が、気の弱そうな男を虐めている光景にしか見えないのがわかって、悠雅は頭を抱えた。


「こう言っちゃなんだけど、私は好きよ? 貴方の顔」

「私も、とても味わい深い顔だと思います」


 流石にいたたまれなくなったアンナと瑞乃の両名は、いがみ合うことなく意見を揃えて慰めにかかるが、彼は天仰ぐ。


「慰めならいらないです」


 そうでもしないと、心に雨が降り出してしまいそうだから。


「そ、それでは参りましょうか!!」


 やさぐれた悠雅を尻目に、元凶となった穂積は声を張り上げる。彼には至って悪気はなかったのだが、一般市民の心をえぐったという事実が彼を逃避へと促すのだった。

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