第3話

 混凝土コンクリートの床を革長靴ブーツが踏みしめる度、かつこつと靴音が反響する。東京駅地下の物資搬入口から列車の走行路を辿り始めて五分。未だ目的地には辿り着けていない。携帯用の放電アーク灯で先をいくら照らせど先は見えず、ひたすら無明が光を飲み続ける。


「地下と聞いていたからもっと洞穴みたいなものかと思っていたけど、全然整備されているのね。それに、なんだかとても入り組んでる」

「この地下鉄網をゆくゆくは帝都全体に広げる予定ですからね。地下街なども作る予定があるとか」


 アンナの疑問に答える穂積はどこか楽しげに語った。

 地下都市計画――というものがある。人口が肥大化しつつある帝都の地下にもうひとつの帝都を作り上げることで更なる人口の増加にも耐えられるようにする、という考え方の元に計画されており、地下鉄もその一環で作られたものだった。


「地下に街を作る? そんなことできるの?」

「西村教授が監修しているようなので大丈夫でしょう」

「何その意味不明な信頼」

「教授は天才だからなあ」

「ですねえ」


 悠雅と瑞乃が相槌を打ち合う様子に、アンナは困惑したように眉を潜めていると、先導する穂積の後を追っていた悠雅が不意に立ち止まった。彼はおもむろに座り込むと地面に――正確には軌条レールへと耳をつける。


「音がする……どんどん近付いてきてます」

「列車ですか?」

「まさか、そんな馬鹿な」


 瑞乃の考えを否定したのは穂積だ。


「地下鉄道を封鎖して二週間、貴方達以外にこの地下に足を踏み入れた人間はいませんよ!?」

「でも、確かに何か近づいて来てるわよ?」


 悠雅の言葉をアンナがチリチリと僅かに放電しながら肯定する。


「なぜわかるのです?」

「私の力は自分で言うのもなんだけど、結構応用力が利くのよ。電磁波を飛ばして物体の位置を探るくらい訳ないわ」


 胸を逸らしてアンナは自慢げに語ると悠雅の方から恨めしげな視線が突き刺さる。


「何よ?」

「お前の祈祷いのり、なんか狡いぞ。俺なんか切るくらいしかできないのに」

「えぇ、なんで文句言われなきゃならないの?」


 塩辛いものでも口にしたみたいな顔付きでアンナは口を尖らせた。


「穂積中尉、貨物列車や掘り出した土を運び出す車両は撤去したのですか?」

「していません。ですが、それがどうだっていうんです? 相手は黒外套。奴らは確かに危険ですが、知能は低い。そんな連中が運転なんて!!」

「彼らが運転しているかどうかは定かではありませんが、少なくとも警戒するに越したことはないでしょう。ほら、何かが走ってくる音が聞こえて来ました」


 穂積は怯えるように正面へと目をこらすと、やがて小さな光の粒が見えた。恐ろしい速度で大きくなっていく光に、彼は大いに震え上がった。

 ここには自分たち以外に人間はいない。ならば、あの列車動かしているのは一体誰なのか? 想像して――


「は?」


 ――想像の斜め上を行った。


 黄金色に瞬く眼球。黒くぬめぬめとした光沢のある外観に、全てを飲まんと開かれた大きな口には不揃いの牙が並んでいる。

 黒外套だった。黒外套は列車の姿を模倣して、軌条レールの上を凄まじい速度で走って来ていたのだ。少なくとも一般的な車両では出し得ない速度で。



「お嬢!!」


 悠雅の疾呼と共に瑞乃が大量の呪符をばらまいて、手印を結ぶ。


「縛道――急急如律令ッ!!」


 叫ぶ。同時にひらりはらりと舞う呪符は、意志を持ったように指向性を以て舞い飛んだ。呪符は黒外套へと滝のように降り注ぎ、車輪を無理矢理止めて見せた。

 つんざくく甲高い金属音が地下空間に響き渡り、黒外套の速度が落ちていく。が、車輪の回転を止めたところで、凄まじい速度で移動し続ける大質量を完全に静止することはできない。


 慣性に乗って尚も走り続ける列車の軌道上には、隻眼の青年の姿。彼は天之尾羽張を構えると、祈祷いのりを開陳して真っ向から挑むようにその赫刃しゃくじんを振り上げる。


「……アンタ、何やってんのよ?」

「断ち切る」


 一瞬でも刃を振り下ろすのが遅れれば、轢き殺されるであろう場面。彼は驚異に臆することなく挑む。

 対するアンナは彼の一言に頭を抱えそうになった。

 黒外套は絶命すると液状化する。ならば、激突する前に叩っ斬ってしまえばいい。それが彼の判断だ。だが、アンナから言わせれば、彼の思考は気狂いのそれでしかない。


「アンタの馬鹿さ加減、少し見誤っていたわ。邪魔よ、退きなさい」


 アンナは苛立ち混じりの声で悠雅をなじると、彼の前に立って黄金の細剣を掲げる。すると、まるで無数の鳥が一斉にさえずるように雷鳴が連続して弾け、閃光が迸った。


 空気を引き裂きながら突き進む雷光は、一秒も掛からぬ間に黒外套へと直撃、貫通する。黒外套は己が肉体を焼かれながら、太く絶叫する。像を崩し、液状化し、瞬く間に蒸発していく。


 やがて、黒外套の姿が完全に失せた。残ったのは黒いヘドロとからりと転がる眼球のみ。


「止まったか?」


 強烈な雷光に目をシパシパとまばたかせる悠雅は呻くように問う。すると、彼を瑞乃が能面のような凍てついた表情で睨んだ。


「悠雅さん、どうしてあの化け物の前に飛び出したんですか?」

「どうしてって、そりゃあ黒外套をぶった斬る為です」

「馬鹿は死なないと治らないんでしょうか?」


 続けてアンナがダメなものを見る目つきで更に加勢する。


「私とその子の魔術で止められたと思うんだけど。何? アンタ、ゴリラか何かなの?」

「ご、ごり? ごりらってなんだ?」

「そんなことどうでもいいのよ。ああ、もう、薄々わかってはいたけどこいつ絶対バカよ、バカ」


 アンナは呆れ返り、苛立ちを抑えるように眉間を揉む。その足元で悠雅は「納得いかん」などとぼやいて、ひっそりとため息を吐いた。

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