第7話

 悠雅は放電アーク灯で前方を照らしながら携帯用の通信機と格闘していた。外と連絡をつけるためだ。


 この国の通信事情は大まかに分けて二つ。一つは今、悠雅が試みている機械に頼る方法。

 そして、もう一つは禁厭まじないである。霊力を介し、離れた場所にいる他者に自分の意思を伝える術は、禁厭師まじないしにとって基礎中の基礎とも言える術。文明開化百花繚乱という時代だが、この国ではどちらかと言えば後者の方が浸透している。


 欧米に比べ文明的に大きく遅れを取っているが、こと霊力を用いた禁厭まじないと現人神の研究については大英帝国にすら比肩する域にある。だが、深凪悠雅は禁厭まじないが使えない。


 現人神という霊力の扱いに長けた超人である為、学習すれば、それなりに使いこなせるようになるかもしれない。しかし、彼は頭で考えるよりも先に体が動いてしまうものだから、致命的に相性が悪いのだ。


 最早それは性分で、矯正しようがない。故、それを補う為に彼はこうして機械を頼る。だが、通信機はうんともすんとも言わず、沈黙を貫き通していた。


「やはり、電波が入ってこないか……」

「携帯用の通信機ですか? 軍にもないものを使用するなんて、凄いですね」

「すごいのは爺さ――社長と教授ですよ。俺なんか荒事しか取り柄が無い」


 何気ない話に花を咲かせていると、不意に悠雅は顔をしかめた。強烈な異臭を捉えたからだ。別所で瑞乃とアンナが嗅いだものと同様に、屎尿しにょうの悪臭。そして、刺々しく感じるほどの磯の香りを。


 穂積もまた同じように顔をしかめながら「この地下通路は下水道に繋がっているのです」との意見を述べる。


 悠雅もその言葉には納得できた。しかし、どうにも納得できないことが一つ。この強い磯の香りだ。悠雅達は東京駅から北上していたのだが、東京駅の北に海はない。にも拘らず、鼻が曲がりそうになるほどの潮の臭い。


「まるで海そのものを引っ張ってきているみた――」


 彼は途中で言葉を詰まらせる。光が見えたからだ。機械的な安定した光ではなく、風に煽られてチカチカと瞬く、不安定な炎の光。ただし、奇妙なことが一点。それはその光の色にある。

 実に毒々しい緑色の光。自然に発生しているとは思えないその炎に警戒心を強める悠雅だったが、隣から駆け出す音。


「ひょっとしたら、辰宮さんたちかもしれません。行きましょう!」

「――ちょ、待て!! 穂積中尉!!」


 穂積を追いかける悠雅。彼はやがて、濃密な磯の香りが充満した広い空間に出た。放電アーク灯では最早対応しきれないほどに広大な空間。怪しげな緑の炎が点々と浮かび上がり、灯火の中に人間の姿があった。


 しかし、それはアンナや瑞乃ではない。彼等はやけに体が大きく、小柄で線の細い瑞乃や女性らしい肉付きをしたアンナとは明らかに異なっていたのだ。


 彼らは磯の香りの源泉であろう地底湖の湖畔に作られた祭壇を前に、得体の知れぬ言葉をひたすら念仏の様に唱えていた。


憤狂ふんぐるい霧狂那不むぐるなふ九頭流宇くとぅるう流々家るるいえ雨臥不那狂うがふなぐる不多群ふたぐん

威唖いあ威唖いあ!! 九頭流宇くとぅるう!!」

威唖いあ威唖いあ!! 堕権だごん!!」

威唖いあ威唖いあ!! 廃都羅はいどら!!」


 何かを奉っているのか? 彼らは頭を垂れ拝み、手を合わせている。

 黒外套の巣窟で、彼等が何をしているのか全くわからず、悠雅はしばしその場で固まっていると、何か大きな霊力が近づいて来ていることに気がついた。


 その霊力は地底湖の方から感じられ、彼は地底湖の方へと放電アーク灯を向ける。それとほぼ同時に、水飛沫をあげて巨大な影が顔を出した。


「なん、だ、これ?」


 それを目の当たりにした悠雅は、か細く呻く。


 一頭の龍がいた。


 実際、龍なのかどうかは定かではない。ただ悠雅は、鱗に覆われたその巨大な生物を龍と呼ぶ他なかった。


「そこにいるのは誰だ?」


 くぐもった低い声が響き、念仏を唱えていた者達の目が一斉に悠雅の方へと注がれた。目蓋で覆いきれないほど大きな、丸い目で。


 その中から一人、周りの人間たちとは些か趣きが異なる衣装に身を包んだ男が、重々しい足取りで近づいてきた。


 基本は周りと同じ、ゆったりとした法衣のようなものを羽織っているのだが、黄金色の装飾品を首から下げ、頭には緊箍児きんこじのような金輪が輝く。さながら王の如き佇まい。


「貴様、同胞ではないな? 劣等種ニンゲン――否、忌々しきは大いなるものか」


 その男の足元に一つの影が飛び込む。穂積だった。彼は額を地面に擦りつけながら絶叫する様に叫ぶ。


「遅くなって大変申し訳ございません!!」

「この男が供物か、穂積よ?」

「そ、その通りでございます、マーシュ司祭!! 上質な霊力を孕んだ上物でございます。この者を捧げれば、母なるハイドラは完全にその力を取り戻しましょう!! その暁には、どうか!! 我が主に御口添えを!!」


 穂積の言葉に、ようやく正気を取り戻した悠雅は天之尾羽張アメノオハバリを抜刀。その切っ先を向ける。


「どういうことだ、穂積中尉?」

「は、ははは、悪いな新撰組。こうでもしなきゃ俺はいつまで経っても自由になれないんだ」


 穂積は脂汗を額から流し、歪な笑みを浮かべた。喜びの色に、罪悪感と恐怖が混ざったような、まだらな笑みを。


「そいつらに脅迫されているのか」


 のっぴきならぬこの状況。悠雅は大きく踏み込む。返された天之尾羽張の刃は、低く唸りをあげてマーシュへと殺到する。しかし、悠雅が天之尾羽張を振り下ろすよりも早く、穂積が間に身体を滑り込ませた。


「やめろぉっ!!」


 穂積の眼前で、天之尾羽張の峰がぴたりと静止する。峰とはいえ、天之尾羽張ほどの質量が直撃すれば相応の覚悟をしなければならないというのに、穂積は躊躇することなく割って入った。


「俺が助かるただ一つの道なんだ!! 邪魔するなあっ!!」


 吼える穂積に悠雅は突き飛ばされ、たたらを踏んだ彼は尻餅を付く。


「大義である、穂積」


 穂積の後ろでマーシュが口角を上げる。途端、ふわりと悠雅の体は宙へと浮き上がった。

 気がついた時にはもう遅かった。無数の触手が悠雅の手足を巻き付き、引き上げていく。その先には待ち受ける龍の姿。


「ハイドラのお眼鏡にかなったようだ」


 マーシュが頬まで裂けた口をさらに尖らせ、邪悪に嗤う。それに合わせるかのように、龍もまた嗤う。

 それを見た悠雅は、ぞわりと背骨の中を氷が駆け巡るような怖気が走り、否応なしに唾を飲み込む。


(臆すな……)


 血の気が引くのを瀬戸際で抑え込みながら、彼は天之尾羽張を構えた。

 臆せば死ぬ。彼が生きてきた世界はそういう世界だった。これはあくまでその延長に過ぎない。

 彼は大きく深呼吸する。眼前の怪物を紅蓮の独眼で睨み返しながら神言しんごんを唄う。


「――輝きは北にあり、切っ先は南を見ゆ。戦塵に走る剣閃一つ。死は別離を生み、私とお前の天を分かつだろう。私の生きる場所とお前の生きる場所を分かつだろう――」


 何がなんでも斬り捨てるという意思を旋律に乗せ、その祈祷いのりを顕現させる。


「鬼道発現――壊刀乱摩」


 彼が祈祷いのりの名を唱えると同時に、龍は悠雅を喰らわんと整然と並べられた牙を晒す。

 それに合わせる様に悠雅もまた天之尾羽張を振り被った。食うか斬られるか。斬るか食われるか。悠雅と龍が激突するその刹那、巨大な砲声が鳴り響いた。

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