第6話

「今、喋っ――」


 驚嘆する瑞乃の体が真横に突き飛ばされた。同時に、黄金色の軌跡が赤い刃を弾き返した。アンナが寸でのところで割り込み、見事防いで見せたのだ。

 次いで彼女は、神言しんごんを唱えて祈祷いのりを発露する。


「――Ain‟神罰覿面ナカザーニエ・スヴィシェ”」


 宝剣に青白い雷光迸らせ、緩慢なく斬りかかる。恐らくまともな鍛錬などしたことの無い彼女が我武者羅に放った斬撃は、赤い黒外套の胸を浅く裂くに留まった。


バカアショール!! 何、ぼーっとしてるのよ!!」


 アンナの怒鳴り声にようやく我に返った瑞乃は、腰に挿した刀を抜き放ち、バツが悪そうに「助かりました、感謝します」と、謝罪と謝辞を述べる。


 黒外套が人語を介するなどどう考えてもおかしい。されど、目の前にいるのは人を攫い、人を喰らう怪物である。油断していい理由は何一つ無い、と瑞乃は改めて赤い黒外套と向かい合う。


 だが、どうしてか足がすくみそうになる。瑞乃もそこそこの修羅場を潜り抜けてきているのに、だ。アンナもまた同様で、先ほど瑞乃に怒鳴ったものの、目の前の黒外套の異質さに浮足立っていた。


「赤くなって知能をつけたのでしょうか?」

「ひょっとしたら新種かもよ? 怪人・赤外套ってね」


 少しでも平静を取り戻すべく軽口を言い合う二人に赤外套はボソボソと呟く。


「霊力基準値。大幅超過。少女二人捕捉。片方、黒髪の東洋人。もう片方、金髪の西洋人――了解。捕獲任務に移行します」


 それも、何らかの禁厭まじないを用い、ここにはいない何者かと会話して。


「捕らえる。やはり、何者かの意向があるわけですか。一体どなたです? 政府? 財閥? 外つ国? それとも――」

「捕獲開始」


 赤外套は聞く耳を持つ様子はなく、再度臨戦態勢に入る。

 沸騰する様に泡立ち、赤外套の筋肉が膨れ上がっていく。直後、丸太のように太い腕が、音もなく真横に駆けた。辛うじて身を屈めることで回避する二人であったが後からやってきた爆音と衝撃波が襲う。

 後方に吹き飛び、地べたに叩き付けられた二人が呻くと、ひたりひたりと水気を帯びた足音が近づいてくる。


 それに対し、アンナは雷光を以って反撃する。放電アーク灯が淡く照らすのみであった暗闇の中を一直線に、一条の青白い光が駆け抜けた。雷光は刹那の内に赤外套へと迫る。が、赤外套はぐにゃりと像を崩し、雷撃を回避してみせた。


「まずは一人目――」


 大きな腕が伸び、その手がアンナに届こうという時、鈴を転がすような声が聞こえて、ぴたりと止まる。


「——大海の闇は全てを飲み込む。この激情すらも。私はこの想いを失いたくない。ああ、だから、愛しい愛しい私の想い人よ。どうか、ここから連れ出して――」


 手印しゅいんを結びながら神言しんごんを唄う瑞乃に視線を合わせて、赤外套の肉体が膨れ上がる。


「――鬼道発現“改港鳥籍かいこうちょうせき”」


 神言しんごんが成され、手印しゅいんが完結すると同時に巨大な真っ黒い暴威が姿を現した。充満する火薬の臭いにアンナは、それが重火器の類いであることに気付く。そして、同時に言葉を失った。

 それもその筈。彼女の眼前には、およそ人の身には釣り合わない極大の銃火器が砲口のみを覗かせて宙に浮いているのだから。


 四.七センチ口径単装砲。それが降臨した黒い死神の名。


「召喚術……?」


 呆然と立ち尽くすアンナの横で、翠緑の瞳が弧を描く。


「――三笠みかさ


 瑞乃が何らかの固有名称を呟いた瞬間、腹の底に響く様な銃声が連続してこだました。大量の鉛玉がばら蒔かれた。

 四七ミリの鉛玉に、アンナが撃ち込んだ雷撃ほどの力はない。しかし、質を量で補うように放たれる弾丸は、回避することなど決して許さない。


 赤外套はその脅威に耐え難い焦燥を覚えたのか、弾丸の雨の中、吼えるように叫ぶ。


「マスター甘粕あまかす!! お助けを!!」


 禁厭まじないを用いて交信しているのであろう、救助を乞う絶叫。


「……?」


 並べ立てられた言葉の中の一つに、瑞乃が反応する。彼女は手にした刀を指揮棒の様に振い、機銃の発砲を止めた。


「貴方今、“あまかす”と宣いましたね? それは一体誰ですか?」


 赤外套から返答はない。返ってくるのは赤外套の肉体を形成していた血液のように赤い液体が、ゴポゴポと泡立つ音のみ。


「言ってください。言いなさい!! 言え!! 言え!!」


 焦燥に駆られ、怒鳴りながら彼女は刀を何度も突き立てる。その度に赤い液体が糸を引き、飛び散った。


「いつまで黙っているつもりですか!!」

「止めなさい。もう死んでるわ」


 肩で息をする瑞乃をアンナが抑えると、彼女は鋭く尖った翠緑の瞳に貫かれ、たじろぎそうになった。

 アンナはなぜ瑞乃がこれほどまで怒り狂っているのか、全くわからなかった。だが、怪物の死体にかまけている時間がないことだけははっきりしている。


「落ち着きなさい。今、何よりも優先しなきゃいけないのは悠雅と合流することよ」


 悠雅の名前を出したことで平静を取り戻したのか、瑞乃は大きく深呼吸して、刀を鞘に納める。


「申し訳ありません。少し、取り乱しました」

「構わないわ。そういう怒りをぶつけたくなる人間、私にもいるし」


 アンナは苦虫を噛み潰したような顔を見せると、悠雅から渡された金平糖を一粒、口の中に放り込む。


「貴女も食べる?」と、金平糖を差し出しながら問えば、瑞乃は小さく頷いて金平糖を一粒、小枝のように細い指で摘んだ。


「ありがとうございます」

「御礼を言われるようなことではないわ。ついさっき、悠雅から貰ったものだし」

「いえ、そのことではなく。先ほど赤外套と鉢合わせになった時のことです。貴女がいなかったら、私はあの時殺されていたでしょう。だから、ありがとうございます」


 腰を折って頭を垂れる瑞乃の姿に、アンナは言葉を失った。今まで折り合いが付かず、罵り合ってきた間柄の女が頭を下げて礼を言ってきたのだから、仕方ないというもの。


「べ、別にいいわよ」


 やや間を置いて、アンナは恥ずかしそう腕を組んだ。


「それより、こいつに何が聞きたかったの? あまかす? とかなんとか言ってたけど?」

「何でもありません――と言えたら良いのでしょうが、それでは納得できないでしょう。さわりだけ答えるならば、私と悠雅さんに浅からぬ因縁を持つ男、とだけ。特に、悠雅さんにとっては」

「ふぅん、そいつがここにいるかもしれないの?」


 瑞乃は首肯しながら思いつめた顔つきで、翠緑の瞳を闇へと投げた。


「急ぎましょう。もし彼がいるのなら、黒外套どころの騒ぎではなくなってしまうかも知れません」

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