第4話
神祇館へと入館した二人を出迎えたのは、紅白の巫女装束を翻す少女だった。彼女はいわゆる
すると、アンナは一言それを拒絶すると、悠雅を手を引いて奥へとずんずん進んで行った。それも酷く早足で。
強く床を踏むその足取りからは、苛立ちの感情が感じられ、彼は恐る恐る何かされたのか問う。
「何か言われたのか?」
「アンタ、やっぱり外国語覚えなさい。英語でもロシア語でもなんでもいいから」
「一体なんだってんだ急に?」
「アイツ、いきなり英語で話しかけてきたと思ったらアンタの顔見て“誘拐されそうなんですか?”なんて聞いてきたのよ?」
「ああ……」
悠雅は納得して、同時に少しばかり苦笑いして、深く息を落とした。
「お嬢と一緒にいる時もたまにあった。気にするな」
「なんでよ? いきなり知らない人間から罵倒されたようなものなのよ? なんで怒らないのよ? 私たちには怒るじゃない」
「多少怒りはすれど、ぶつけようとは思わない。さっきのやつ、多分お前のこと本気で心配してたんだろうし。お前みたいな美人が、こんな強面の男に連れられてたら勘繰りもするだろう。それよりお前が憤ってることに驚いてるよ、俺は」
「当たり前でしょう? 私が大事にしてるものに触れていいのは私だけなんだから。ほかの人間が気軽に触れていいものじゃないのよ」
「……一体どんな理屈だ」
悠雅は呆れ返りながらも、その言い分がくすぐったかった。アンナという少女は、彼の周りにはいなかった類の人間だった。
同じ歳頃の瑞乃がいるものの、彼女は貞淑に貞淑にと育てられており、いわゆる“ですます口調”を崩さない。しかし、アンナは違う。立ち振る舞いは美麗だが、喧嘩っ早く口が悪い。おまけに物怖じしないと来ている。
(こいつと一緒にいると飽きないな)
彼は隠れて口角をあげた。この時間が永遠に続けばいい、なんて本当にらしくないことを願ってしまっていた。しかし、そんなことは物理的に不可能で、やがてアンナが足を止めると、暖かな胸の内に冬がやってきた。
「――
一枚の絵を見ながら、アンナが呟くように口にした。
そこにあったのはこの国を拓いた初代聖上、
「神武東征……聖上……導きの使者……カラス」
説明を一通り目で追った彼女は、そのままその瑠璃色の双眸を悠雅へと向ける。
「ねえアンタ、
彼女は知りたがっている。八咫烏について。目の前の絵に描かれた導きの使者としての八咫烏では無い、“八咫烏”について。
悠雅は一瞬言葉を詰まらせる。八咫烏について語るということは、少なからず己の秘すべき記憶にも触れることにもなるから。だが、彼の中である思いが、ふと湧き起こる。ひょっとしたら、“踏みとどまってくれるかもしれない”、と。
葛藤はある。だが、僅かに逡巡を挟むと、彼は静かに語りだした。
「八咫烏って言うのはな、初代聖上を導いた一羽の鴉から名を戴く、この国を裏側から支配してきた組織の名だ。秘密結社、という概念ならばそちらにもあるのだろう?」
「確かにあるわ。その大半がろくでもない連中ばかりだけど」
「そのあたりは共通認識らしい。例にもれずこちらも政府や軍部の高官やら、有力な華族やらにも繋がっていて、そのおかげなのか、やりたい放題やっていてな。取り分け、あすこの異能力研究機関は本当に酷かった。何せ全国津々浦々から現人神や生まれつき高い霊的素質を持った子供を買い、或いは攫って人体実験をしていたのだからな」
「人身売買はよく聞く話だけど、現人神を人体実験? 正気の沙汰とは思えないのだけど?」
「俺たち現人神が持つ
「欲しくなるって……そんな簡単に手に入るものじゃないでしょ、この力は」
「そうだ。だから、色々やっていたみたいだった。俺たちの
「そんなことをして何になるの!?」
「人工的に現人神を生み出すことで、来たる外つ国との戦争に備えようとしていたんだ。この国は外つ国に比べて資源が乏しい。だから、量を補う質が求められた。そうしなければいずれどこかの国の属国になると踏んでな。奴らの基本方針は腐っても、この国を守ることにある。そうすることが国の為になると考えたんだろう」
「国の為だからと、命を弄んでいい理由にはならないわ」
興奮気味にその所業を切って捨てるアンナに、悠雅は痛快さを感じ、口の端を緩めて話を続ける。
「だが、その計画は
「当たり前よ!! この力は天の思し召しなのよ!? 人の手で解明しようだなんて……!!」
「そうだな。だが連中も莫大な資金と労力時間使って“何も得られなかった”、などと上に報告できない。だから、連中は計画の方針を変えることにした」
今にも感情が溢れ出しそうな瑠璃色の瞳にある種の罪悪感を覚えながら、悠雅は告げる。
「人工的に現人神を生み出せないのなら、今いる現人神を強化すればいい、とな」
「強化って……?」
「現人神には二段階の進化過程がある。第一階梯の“現人神”、第二階梯の“国津神”、第三階梯の“天津神”。西洋圏にも似たようなのがあるだろう?」
「確かにあるけど……だけど、簡単に階梯を登る方法なんか聞いたことないわ」
「俺も知らない。多分連中も知らない。だから、
彼はそこで一度言葉を切って、震えそうになる声を必死の思いで押さえつける。彼女を止める材料になるやもしれぬ、と忌まわしき記憶を開陳する。
「
その問いに対してアンナは首を横に振る。流石に彼女も異国の、それも文化圏の違う
「壺の中に百の毒蜘蛛、毒蛇、毒蛙などを放り込んで共食いをさせる古代中国の呪術だ。共食いをさせて最後に残った毒虫には、百の呪詛という名の強い霊力が宿るっていう触れ込みの儀式だった」
「まさか……」
その掠れた声は、これから悠雅が口にしようとしている言葉に対する嫌悪感の表れだった。しかし、彼は容赦なく告げる。彼女が追っている男がどんな組織に所属しているかを知らしめるために。
「現人神総勢百名による殺し合いだ」
単なる毒虫ですら容易く人を呪殺し、末代まで祟る霊力を宿す蠱毒の儀。では、それを人間が――神と
「酷い光景だったよ」
「……まるで見てきたかのように語るのね」
「ああ、見てきたよ。俺はその当事者だからな」
妙な熱が、彼の中にはあった。浮かされているような、そういう熱。自分に酔っているのか。いや、酔っているというよりかは酔わせている、といったほうが正しそうだった。そうでもなければ語れないという証左。
「俺は五つの時に親父、お袋、姉ちゃんと立て続けに亡くして天涯孤独の身となった。親父もお袋も親類がいなくてな。帝都をふらついていた所を連中に誘拐された。それから六年近く、俺は同じ境遇だった友人達を見送ってきた」
朝一緒に朝食を食べた友人が、挽肉にされて運ばれて行くのを見た。
希少な
より強い霊的素質を持った子供を作るため、何度も妊娠させられている友人を見た。
努めて淡々と語る悠雅は最後に、自身の罪を告白する。
「そして、七年前のあの日、蠱毒の儀が執り行われた。施設に残った最後の百名を掻き集め、“殺し合いをして最後に生き残った者をここから解放する”、なんて焚き付けて、そうしたら甘粕が口火を切った。地獄のような光景が生まれるまで、差程時間は掛からなかった」
血液と死肉の海。ぽつんと佇む影三つ。
悠雅の脳裏にこびりついて離れない忌まわしき
「……もういい」
「最後に残ったのは三人だけ。俺とお嬢と、甘粕。あいつは五十六人殺した。俺は、」
「もういい」
「七人殺した。その中には仲の良かった奴らもいた。航平、太一、小太郎。恐怖の余りに気が触れたあいつらを、俺は斬っ――」
「もういいって言ってるでしょ!!」
声を荒らげたアンナの剣幕に驚いた辺りの人間が、一斉に二人へ視線を注いだ。だが、悠雅は止まらない。
「そこに、当時まだ軍に務めていた爺さんが来てくれた。眩しかった。鮮烈だった。どうしようもなく憧れた。俺もあのようになりたい、ならなければならないと、そう思わされた。だから俺は英雄を目指さなくてはならない。爺さんの跡を継ぐために。国を守るために。民を守るために。あのような地獄を二度と生まないために」
彼の願いは育ての親である永倉新八への恩返しであると同時に、かつて地獄で切り捨て、見送ってきた数多の少年少女達への贖罪であり誓いでもあるから。
「お前に問おう、アンナ・アンダーソン。そんな地獄を、平気な面で作り上げる連中に名を連ねている男が、願いを何でも叶えてくれる優しい人間だと、本当に思っているのか?」
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