第3話

 ぺろりと手に持った氷菓を舐めるアンナが小首を傾げた。


「このアイスクリーム、なんだかシャリシャリしてるわ」


 斜陽の元、朱色に染まるは帝都の一角。ルナパーク名物、人工大瀑布じんこうだいばくふを背に、二人肩を並べて腰掛けていた。


「そりゃあ、“あいすくりいむ”じゃねえからな」


 アンナの疑問に答えながら、彼もまた氷菓を舐める。さっぱりとした甘みに濃厚なコクと仄かに香る甘蕉バナナの香りが鼻腔をくすぐった。


「アイスクリームじゃないの?」

「これは“あいすくりん”だ。日本じゃ牛乳は値段が高くて“あいすくりいむ”が作りにくくてな、安価な脱脂粉乳で作ってんだ」


 大正期に入って乳牛の牧畜が軌道に乗り、ある程度牛乳の値段が落ちたことで華族の嗜好品だったものが庶民にも手の届く値段にもなった。しかしながら、料理店レストランなどでしか売られてない為、やはり気軽に食べられるものではなかった。そんなわけで、街中やこういった遊園地テーマパーク内で売られているのは“あいすくりん”が大半だったりする。


「アンタ、英語もろくにわからないのに、そんなことは良く知っているのね?」

「“新撰組”に入社するまではお嬢の護衛兼辰宮たつみや家の厨房で調理業務手伝ってたんだ。二年くらい」

「貴族の御屋敷で? そのままコックにでもなればよかったのに。こんな仕事、いつ死んでもおかしくないじゃない」

「俺は料理人になりたいわけじゃない。俺は英雄になりたいんだ」


 鬼気迫る紅蓮の瞳が揺らめくのを見て、アンナは息を呑む。眼光のみで両断されてしまいそうな、煮えたぎる意志力を感じ、その瞳の中心に深い暗黒を垣間見る。


「冬に食べる‟あいすくりん”というのもオツなものだよなあ」


 アンナが深刻そうにその横顔を見ていると、ぼんやりとした調子で悠雅が零した。


「アンタ、実は大物よね」

「なんだか、そこはかとなく馬鹿にされている気がする」


 最後の“あいすくりん”の一欠片を口の中に放り込みつつ彼は園内に視線を投げた。その先には両親に手を引かれ、笑顔を振りまく幼子がいる。幸せそうに歩く家族の様子に、悠雅はどこか居心地が悪くなった。


 どうしようもなくけがれたこのにくは、この世界にとって毒の一滴にしかならぬ、と喉元に刃を宛がわれている気分になったのだ。


「楽しくない?」


 不意にそう問われて悠雅は言葉に窮した。そんなことを問われるほど辛気臭い面を晒していたのだろうか? なんて歯噛みしながら自分の頬を捏ねる。それに、そもそも彼はまだ楽しい、楽しくないを決める場所にすら立てていない気がしたのだ。


「楽しくないというか、慣れてないからどうやって楽しめば良いかわからない」


 例えば最初に行った植物館という展示館パビリオンでは、洋の東西を超えた草花の共演を見ることができたのだが、悠雅は花を愛で方など当然知らず、小首を傾げるばかりだった。むしろ花を愛でるアンナの姿を眺めている時間の方が長かったくらいだ。

 唯一彼の目を惹いたのは、東南亜細亜アジアから持ち込まれたウツボカズラという食虫植物くらいのもの。草花に興味のない彼も肉食の植物というのは流石に目を惹いたが、それもものの二、三分で興味が失せてしまった。


「そんなに余裕のない人生生きていて楽しい?」

「そもそも己の生に楽しさを見出そうと思ってない。この身、国の剣になることができるのなら、そんなものは他にくれてやる」

「そんな生き方してたら、アンタ絶対に周りの人を不幸にするわよ?」

「不幸にならもうしている」


 やや冷たく言い放った彼は立ち上がると、らしくない程に、いやにきれいに微笑を浮かべて園内図を広げる。


「それで、次はどこへ行きたい?」

「少し、歩いて考えたいわね」


 アンナは曖昧に応えると、ふと、彼女の視界の端に一件の遊戯屋が映り込む。さらに目を凝らせば、玩具の猟銃が今か今かと客を待ちわびるように立て掛けられており、その奥にはずらりと景品が並んでいて、その中の一つと、目が合った。


「ねえ、あそこがいい。あそこにいきたい」

「射的屋? なんでまた?」

「良いから」


 怪訝そうに首を傾げる悠雅の袖を引っ張って、彼女は射的屋の景品棚を一瞥すると聖夜クリスマスにちなみ、サンタクロースの恰好をした白髭の店主に、貨幣を叩き付けると猛烈な勢いで玩具の猟銃を撃ち始めた。

 アンナが狙うその先には、舌を出してあほ面を引っさげた、やたら目つきの悪い犬のぬいぐるみが鎮座している。


блинあーもう!! どうして当たらないの!?」


 どうにも玉が当たる様子は無い。それどころか犬の周りの景品にすら当たる気配がなく、現在彼女が抱えている猟銃は既に四丁目に差しかかっていた。


「……お前、そんな腕でよく拳銃なんて持ってたな」

「うるさいわね。至近距離なら当てられるからいいのよ!!」

「そんなの子供にだってできるだろうよ」

「ちょっと、アンタ黙ってて、気が散るでしょ!! サンタクロースなおじ様、お金払うから次の猟銃に弾を詰めておいてくださる?」

「やめやめ、無駄銭になるからやめろ。貸してみな」


 悠雅はアンナから空になった猟銃を受け取る。彼は白髭の店主に貨幣を渡すと弾を受け取る。


「兄ちゃん、弾は詰めなくてもいいのかい?」

「自分でできるよ」


 半眼で店主を睨みながら、木栓コルク弾を玩具の猟銃に詰める。


「縁日でもねえのに射的なんざ変な気分だ」


 なんて零しつつ、まずは一発目。こんっ、と高い音立てて木栓コルク弾が景品棚に弾かれた。


「兄ちゃん、弾詰めるかい?」

「問題ねえよ、三田九郎のおっちゃん。こいつの扱いはわかった」

「サンタクロースな」

「似たようなもんだろう……」


 二発目。命中。木栓コルク弾は犬のぬいぐるみの眉間へと叩き込まれ、アンナの小さな悲鳴と共に、ゆらり、犬は大きく仰け反る。しかし、棚から落ちるほどの勢いはなく、アンナの喜色の帯びた声が落胆の色帯びた。その時、最後の弾が放たれ、木栓コルク弾は吸い込まれるようにぬいぐるみへと直撃して、重力の網にかかった。


「チッ、折角の金づるが……」

「悪かったな三田九郎のおっちゃん。武芸十八般は一通り修めてる」

「おー、すごー!」


 アンナはやや興奮気味に拍手しながら店主からぬいぐるみを受け取ると、嬉しそうに抱きしめる。


「お前、そんなのが欲しかったのか? 舌出して阿呆みたいだぞこいつ。それに目つきも悪いし」

「この子も、アンタにだけはぜぇーったい言われたくないでしょうねー」


 見れば見る程やはり阿呆犬といった顔つきのぬいぐるみを悠雅が詰ると、アンナ酷い言い草で反論してきた。それも、とても魅力的な笑顔で。


「左様でございますか」


 アンナの笑顔に怒る気力を削がれた彼は、大きく溜め息を吐いた。


「じゃあ、次はどこへ行く? 天文館か? 自動機械館か?」

「ええ、ちょっと、急かさないでよ。えっと……じゃあ、そこの神祇じんぎ館にしようかな」


 彼女の指さす先には、朱色の大きな鳥居が構えられた武家屋敷がある。神祇館とは神道しんとうというこの国特有の宗教或いは文化を伝える展示館パビリオンであった。

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