第3話

「二人とも、銃と刀から手を離してください」

「誰よ貴女? 知りもしない人間の指図を受ける謂れはないわ」

「だ、そうですが?」


 大きな瑠璃色の双眸と紅蓮に燃える鋭い独眼が激突し続ける様を見て、瑞乃は大袈裟にため息を吐いて「この脳筋共め」と小さく零す。

 しかし、彼女の言葉を意に介することなく二人は今にも撃ち合い、斬り合ってしまいそうだった。


「とにかく、悠雅さんだけでも落ち着いてください。お願いします」


 瑞乃の縋るような言葉に折れた彼は、脇差を納めた。


「わかりましたよ。だが、一つ訂正させろ。俺は軍人じゃない」

「バカ言わないで。そんな本格的な武装している人間が軍人でなくて、一体なんだっていうの?」

「“民警みんけい”だよ――民間の武装警備会社」

「みん、けー……?」


 理解出来ているのか、そうでないのか、彼女は怪訝そうに妙な発音抑揚イントネーションでつぶやく。

 ひとまず軍人ではないという理解さえ得られれば問題ない、と判断した彼は一向に眉間から銃口を外そうとしない白人の少女に向かって、うんざりした様子で睨めつけ。


「それで、何が知りたいんだ?」

「【東條英機とうじょうひでき】という男の名に聞き覚えは?」

「とうじょう、ひでき? 知らん名だ。誰だそいつは?」

「ああそう、わからないのね。そっちの貴女は?」


 質問が回ってきた瑞乃は、白人の少女が指を掛けている引き金に視線を注ぎながら。


「皇国陸軍の中にその様な名前の人物がいたかと。ですが、面識はありませんし顔も知りませんよ」

「それならもう一つ、【永倉新八ながくらしんぱち】という男は?」

「知ってたらどうするんだ?」


 その問いに対する十一文字の音の羅列。隻眼の男が零したその声音に瑞乃はこの時、辺りの気温が一気に下がった気がして凍り付いた。


「その口振りだと知っているのね? それも、顔見知り以上の関係性で。会わせなさい」

「会ってどうする?」

「少し聞きたいことがあるだけ。殺しはしないわ」

「何を聞く?」

「答えると思っているの? 状況を考えなさい。これは懇願でも嘆願でもない。一方的な命令よ」

「成る程、ならば教えてやる。いきなり眉間に拳銃突きつける人間を、自分の命を助けてくれた恩師に会わせる阿保がいると思うのかよ?」


 控えめに言って、彼女は地雷を踏んだ。

 悠雅は躊躇すること無く、再び脇差を引き抜く。


「悠雅さん!!」


 悲鳴混じりの瑞乃の声が明け方の帝都に響く。されど、彼には届かない。


「そう、抵抗するのね?」

「今の瞬間撃たなかったことを後悔しておけ」


 交差する殺意。

 眉間に向けられた銃口と首筋に宛がわれた脇差の刃。互いが互いに殺意を向け合い、そこには配慮なんていう生ぬるい感情は無い。


 直後、発砲音が残響した。しかし、弾丸は悠雅に命中することは無かった。何故ならば、発砲する直前、その砲身が切り刻まれてしまったから。


 その尋常でない光景に目を見開く白人の少女。その間にも更に振り下ろした刃は彼女の肩口を捉える――その刹那、閃光が迸った。目も眩む青白い光が弾ける音を伴い、空を駆け登っていく。


「驚いたわ」


 咄嗟に後退した悠雅の元に、少女の感嘆の声が届く。


「“大天使アークエンジェル”——いえ、この国では現人神あらひとがみと言うんだったかしら?」


 恐らく相当驚いたのだろう。少女は目を丸くして悠雅を見つめる。

 対する彼は、答えを得たように目を眇めた。この女は同類、であると。


 目の前に立ちはだかる脅威を、彼と彼女はここで正確に理解する。故に、取る行動は同じだった。


天之尾羽張アメノオハバリ!!」

「クォデネンツ!!」


 悠雅は脇差を納め、天之尾羽張を構える。

 対する白人の少女が構えた黄金色の宝剣には先に迸った閃光が灯った。


 悠雅の力とは違い、わかりやすい形でその祈祷いのりが出力されている。刀身に眩い閃光と、絶えず連続して弾ける音。まるで、無数の鳥がさえずっているようで喧しい。


 雷。発電能力。

 音と光と速度。さらに破壊力すら併せ持つ、戦闘向きの異能いのり。応用も多岐に渡る。


「なるほど、先の爆音はお前が起こしたものだったか」

「掃除が行き届いていなかったから少し手を貸してあげたの。感謝なさい」

「そうか、じゃあ後で褒めてやるよ」


 互いに皮肉を言いながら臨戦態勢。


(爺さんを守る。そんなことを聞いたら爺さんはきっと大笑いするに違いない。爺さんの方が俺よりも遥かに強いのだし、心配すること自体がそもそも愚かだ。もし仮に爺さんを殺せるような人間が目の前に立ちはだかっていたとして、俺がそいつに勝てる可能性なんて万に一つ有りはしない)


 頭では理解していた。しかし、ならば彼がここで剣を握った理由はなんなのか?


 その答えは至って単純明快だ。前提からして彼は何も考えていない。ただ守りたかっただけ。そんな拙い想いで、彼は死地に赴いた。だがそれは、彼にとっては十分すぎる理由だ。


 かくして二人の修羅は対峙する。今に互いの祈祷いのりをぶつけ合わんと気を練る。

 剣呑な雰囲気が漂うも、不意に影が差す。刹那の出来事であった。その瞬間を外側から見ていた瑞乃は咄嗟に悠雅の元へと駆け出していた。


 だが、それよりも早く彼は動いていた。

 差し込んでいたはずの黎明の光が失せた時点で、悠雅は目の前の白人の少女のことを考える間もなく、思い切り横に突き飛ばしていた。


(――ああ、何やってんだ、俺)


 胸中、彼はそんなことをボヤキながら、迫り来る影の正体――黒外套を見上げる。

 直後、鋭く研ぎ澄まされた黒い触腕が、悠雅の腹部に突き刺さった。破裂する臓腑、肺。致死量の血液が宙を舞う。


「馬鹿やりやがって――」


 掠れた声で彼は嘆く。


 先程白人の少女に焼き殺された筈だったが生き延びていた。そして、仕返しに来た。ただ、それだけの話。


 瑞乃の悲鳴が聞こえて、それを申し訳なく思いながら再度、天之尾羽張を握りしめる。何としてもこの魔性だけは仕留めるという意地の下。


 力を振り絞り天之尾羽張を振り上げ、脳天よりかち割るように、黒外套を一刀両断する。真っ二つに分かたれ、絶命する姿を見届けた彼は、黒外套を追うように大通りのシミとなる。


 命の雫を伴い、熱が抜け落ちていく。誓いを果たせずに沈む己に憤りを感じるものの、どこか満足している己もいて、悠雅は酷く困惑していた。

 重くなっていく体に引きずらられるように、その意識も深い水底に沈んでいく。


「――何やってんのよ、バカ……!!」


 意識が完全に落ち切るその直前、怒りに満ちていて、されどどこか悔しそうに、流暢な日本語で罵る彼女の言葉が、彼の耳の奥にいつまでも残っていた。

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