第2話

「少し疲れた」

『なんだ、もうバテたか?』

「喧しい、俺の祈祷いのりは燃費が悪いんだ。知ってるだろう」


 鬱陶しそうに口を尖らせる彼は懐からお捻りを取り出す。中からは桃色の金平糖が十粒ほど顔を出し、そのうちの一つを口の中に放り込んだ。


『しかし、件の黒外套。随分と勢力を広げているようだな。ついこの前までは湾岸地域でのみ目撃されていた筈だが』

「数も爆発的に増えている。今日のところは大人しいが、昨晩は五匹斬った。以前は見つけることすら困難だったというのに」


 悠雅は零しながら金平糖を噛み砕く。

 人を喰らい、人を攫う。忌まわしき魔性共を、彼は激墳のみで殺せてしまえそうだった。帝都を騒がせている白人の少女誘拐事件。その下手人が黒外套であった。


 何故か白人の少女ばかりを誘拐し続ける怪物たちに、政府は国際問題になる前に解決を図っている。が、如何せん黒外套は数は多く、対応が遅れてしまっており、既に五人の少女が攫われてしまっていた。


「忌々しいにも程がある!! 一体連中は何を考えてい――」


 苛立つ悠雅の横顔に、丸められた浅葱色の羽織が投げ込まれる。何事かと視線をずらせば腕を組む瑞乃の姿。


「うるさいですよ悠雅さん。今何時だと思ってるんですか? 朝の四時過ぎですよ? 近所迷惑もいいとこです」

「だからって、羽織を丸めて投げなくても……」


 悠雅は羽織のシワを伸ばすように叩く。


「それより、そっちはもう片付いたんですね?」

「ええ」


 彼は顎でしゃくり、通りに広がる黒い液体と散らばる眼球を指すと、それを確認した瑞乃は頷く。


「さっきのお嬢さんは?」

「警邏をしていた憲兵の方に保護していただきました。処理にも来ていただけるそうです」

「そいつは仕事が早い」


 口元を緩める悠雅に、瑞乃は微笑み返すと「では、職務完了の連絡をしますね」とだけ言い残し、小型通信機を弄りだした。


「お嬢、通信機ちゃんと使えます?」

「馬鹿にしないでください。もう使えます!!」


 吠えた瞬間、瑞乃の手元で何かにヒビが入るような嫌な音した。


「お嬢、今の音は?」

「知りません」

「何かが壊れる音がしましたが?」

「空耳じゃないですかね?」


 そう言って通信機を背に隠す彼女の足元に砕けた何かが地面に落ちるも、直ぐに煌麗服ドレスの裾で隠れてしまった。


「……お嬢」

「なんですか?」

「今何を隠したんです?」

「あの日の後悔、ですかね?」

「強いて言うなら“たった今の後悔”を隠したんでしょう?」

「あっ、悠雅さん上手いですね」

「ちっとも嬉しくありません」


 盛大にため息つきながら「勘弁してくださいよ」などと零しながら身を屈めて煌麗服ドレスの裾を少し捲れば、修復不可能なくらい無残に破損した通信機が顔を出した。


「辰宮の令嬢にこんなことして、いけない人ですね」

「令嬢だと言い張るなら、素直に御自身の落ち度を認めてください」

「ふふっ、なんだかそうやって目の前でかしずかれると草履取りみたいでお似合いです」

「話逸らした上に、喧嘩売ってるんですか?」

「草履取りだって立派なお仕事ですよ? かの有名な豊臣秀吉だって草履取りだったんですから」

「そうですね」


 通信機の残骸を袖の下に忍ばせた彼は、どっちらけた様に天を仰いだ。いつの間にか灰色の雲は散り散りに、白んだ空が帝都を見下ろしていた。


「あーあ、夜が明けちまった。とっとと帰りましょう。どのみちこの時間なら連絡入れようが入れまいが変わらないでしょう」


 そう悠雅が提案した瞬間、爆音が轟いた。東の方角からだった。

 言葉なくその場から彼は飛び出して、発生源へと駆ける。


 やがて、無数の空中回廊ブリッジによって篆刻動画ネガフィルムのように刻まれた空から、夜明けの光が差し込み、悠雅の右目を焼いた。それとほぼ同時に、彼はこの世に降臨した奇跡を垣間見る。


 黎明のように明るく輝く蜂蜜色の御髪おぐしと、澄み渡る海のような深い瑠璃色の双眸が悠雅を出迎えた。



 ――もし、天女が本当にこの世にいるならば、それはきっと彼女のようなひとなのだろう――



 その美貌はどこか作り物めいていて、現実離れしている。彼は己にできる可能な限りの美辞麗句で称賛を込めたものの、それでも並べ立てた形容が酷く陳腐だと思えてしまう程に彼女は美しかった。

 一瞬が永遠にさえ思えたひととき。しかし、それは冷たい黒鉄の暴威によって遮られた。


「これは、どういう意味だ?」


 地獄へと繋がっている直径九ミリの丸い門が悠雅の眉間に突き付けられていた。


「刀に銃。貴方、軍人ね?」

「ずいぶん流暢りゅうちょう日本語だ。それなら、俺の質問の内容を把握した上で無視しているということで良いんだな?」

「貴方に質問する権利はない。これは問答ではなく一方的な尋問よ」

「舐めるなよ、露西亜ロシア人」


 腰に挿した脇差に悠雅は手を掛ける。凶悪に笑む。


「……私がよくロシア人だってわかったわね?」

「手前の持ってるその回転式拳銃。“ながんなんたら”とかいう露西亜ロシア軍が採用しているものと同じだ」

「よく見ているのね。まあ、それがわかったところで私の優勢は変わらない。私が貴方の眉間を吹き飛ばすのと貴方がその刀を抜くの、どっちが早いかなんて議論するまでも無いと思わない?」

「試してやろうか?」

「やめなさい!!」


 彼が長脇差の鯉口を切ろうとした瞬間、その背から一喝が飛ぶ。後から追いかけてきた瑞乃の静止の声だった。

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