第29話 決意と画策

 月明かりがシトラリアを照らしていた。


「レッグ、大丈夫か?」

「ああ、俺は俺のやるべきことをするしかない」


 アークに告げられた衝撃の事実。アリアが悪魔の騎士の作り方を知っているというのであれば、その秘密を守るのは自分の役目だとレッグは思う。

 その反面、今のシトラリアの状況を作り上げてしまったという後悔というのもある。自分は、レクタ=スクラブの自己啓発本を読むべきではなかったと思うが、その心に響く生き様は悪いものでは決してなかった。あまりにも、今の世界とかけ離れていただけだろう。数百年経っても人間はレクタに追い付いていなかったというだけだった。


「ザハラさん、アリアを連れてくるという協力者ってのは今どこにいるか分かるか?」

「ああ、シトラリアに向かって来ていたようだが、まだ到着はしていない。アラバニア軍が包囲しているから入れないんだろうな」

「そうか」


 ならば、アリアは逆に安全だとレッグは思った。自分は自分の思った正しい道をすすむだけである。


「アーク兄はああ言ったけど、俺はアリアを護って逃げるだけなんてことはできない。ザハラさん、手伝ってくれるか?」

「ああ、もちろんだ」


 ザハラはレッグの手を掴んで立たせる。アークの覚悟は受け取った。ならば後は見守るだけである。レッグはどうか。ザハラは眠気を感じることはなかった。


 そう言えば、とザハラはアークにも言うのを忘れていた事を思い出した。ザハラの中ではあまり重要ではない情報でもあった。


「レッグ、関係ない情報かもしれないが」

「なんだ?」

「このシトラリアに……」


 それは単なる偶然か、それとも必然か。


「浮島が近づいている。かなり大きなやつだ。もうすこしで上空に来るだろう」




 ***




「アーク、何故あなたが……」

「リナ、とりあえずは落ち着いてくれ。周りに騒がれたくない」


 頷いたリナはエミリーのほうを振り返る。


「私はエミリー。王国内部極秘捜査官よ。今はアークの協力者といったところね」

「リナです。リナ=タバレロ……」


 タバレロの名を出した時にリナの声が弱まる。だが、アークをもう一度見直すと、その目に力が再び灯ったのをエミリーは見逃さなかった。


「リナ。単刀直入に聞こう。アリアは無事か?」

「ええ、縛られてるけどネミングのテントの中よ」


 まずはアリアに危害が加えられていないということを聞いて二人は安堵する。しかし、これからが問題だった。



「あれは悪魔の騎士だな?」

「アーク、あなた……どうしてそれを?」


 ネミング=タバレロが「悪魔の本」を持っているというのはアークには言っていなかったはずだった。竜虫の研究に関してはかなりの部分を共有していたために、竜虫の体液で竜虫に乗ることができるというのまでは話していたのであるが、ネミングの野望が「悪魔の本」の再現だとまでは言っていなかったのである。


「竜虫の体液は残りどのくらいなんだ?」

「アリアちゃんが鞄を落としてしまったみたいで、私が持ってたのが少しだけ。ネミングはが使うとすれば後二回がいいところよ」

「分かった。アリアの鞄はここにある」


 アークがそう言うと、エミリーはアリアの鞄を取り出した。


「だめよ、なんで持って来たの?」


 リナはそれをはやく廃棄するべきだと言った。竜虫の蛹はいつかは見つかってしまうだろう。だが、今の時点で手に入れることなどできないのである。

新たな虐殺に使われるというのはリナにとって受け入れがたかった。


「大丈夫、これには作戦がある。かなりの賭けになるが……」


 アークはもう一つの瓶を取り出した。


「ハシリドリカブトの毒だよ。これを混ぜ込んだんだ。ネミングの腕に傷がついていれば、これで奴を倒すことができる」


 他にも吹き矢で暗殺するって方法もあるけどあの甲冑がね、とアークは何でもないことのように行った。内容は非常に物騒であるが、いつものアークの調子にリナは少しだけほっと息をつく。



「明日の朝になったら、アラバニア軍はシトラリアへと入るだろう。ネミングのことだ、群衆の中にわざと抵抗する者たちを手配しているんじゃないか?」


 アークに言い当てられて、リナは泣きそうになった。


 自分一人で全てを抱えて、そして何もできなかったのである。アリアの命と引き換えに竜虫を操る秘薬の事も喋ってしまった。ネミングはこの効果を確かめたら自分を殺すのだろうと思っていた。リナは多くを知りすぎていた。


 確実に迫ってくる死の期限と、なにも状況を改善できない無力に押しつぶされそうになっていた。だが、救ってくれるのはいつもアークである。そしてこの男は「僕も救われているから」とこともなげに言うのだ。


 涙がとまらなくなったリナをいぶかしんで、見回りの兵士たちが近づいてきた。


「おい、リナ=タバレロ女史はかなりお疲れのようだ。誰かネミング卿のお付きに代わりの者はいないのか?」


 エミリーは近づいて来る兵士に声をかけられるより先に言った。こういったものは先制攻撃に限ると、捜査官としては優秀はエミリーは知っている。なによりも、リナのこの状況に同情してしまった。ここで同情なんてするから自分は駄目なのだと、いつも思うが性分である。


「はっ、申し訳ありません。すぐに手配をいたします」


 叱責されたと思った兵士はすぐに仲間の誰かを呼びに行ってしまった。自分はここの見回りという立場がある上に、竜虫に近づきたくないのだろう。下っ端の損な役回りの人物がそのうちここに来るはずだ。


「リナ、この竜虫の体液を鞄ごとネミングに渡してくれ。北の城壁の外に落ちていたと言えば分かるだろう。竜虫から落ちてきたと兵士が言っていたと言えば、ネミングは騙されるはずだ」


 アリアの鞄の中には瓶が割れないよう、クッションの役目をするであろう服を詰め込んでおいた。これで中身が割れていなくても怪しまれることはない。


「分かった」


 鞄を手に取ると、リナはテントへと戻ろうとする。だがそれを一旦引き留めてアークが最後に言った。


「リナ、僕たちはこの陣営内に潜伏している。ネミングに異変が起きたら逃げてくれ」

「うん」


 帰るリナの足取りは、来るときよりもしっかりとしたものになっていた。自分は一人で戦わなくても良いというのが、彼女の心を軽くしたのだろうか。

 遠くからリナを心配そうに見ていた兵士の一人が、少しだけ安心したようだった。




 ***




「アリアちゃん、大丈夫?」

「リナさん……それは……」


 鞄を持って戻ってきたリナを見て、アリアは愕然とした。あれはアリアの鞄である。


「ネミング様、北の城壁の外で、竜虫から落ちたという鞄を兵士が届けにきましたが……」

「鞄だと?」


 焦燥してやつれきったリナはもう何も考えていないかのように見える。ネミングはその言葉をいぶかしんでいたが、ある事に気づいた。


「もしや、こいつのか?」

「ええ、そうでしょう。ただし、これをお渡しするにあたって、約束をしていただけませんか?」

「約束? なんだ?」


 お前にそんな権利があるとでも思っているのか? と聞こうとしてネミングはやめた。その約束の内容に興味をもったからである。


「なんだ? 言ってみろ」

「この中には竜虫の体液が入った瓶があります。お渡しいたしますので、私とアリア、そしてシトラリアに帰ってきているであろうアークとその家族を殺さないと約束してもらえませんか? でなければ私はこれを地面にたたきつけて……」


 鞄の中から竜虫の体液が入った瓶を取り出して、リナは言った。


「なんだ、そんな事か。いいだろう」


 言いつつも、ネミングにはそんな約束を守る気などなかった。少なくともリナとアリアは知りすぎているために殺すのが確定している。アークも念のために始末しておこうと思っている。実際に刺客は送り込んであった。


「ありがとうございます。ではアリアの縄もほどかせてもらいますね」

「リナさん、ダメっ!」

「仕方ないのよ、アリアちゃん」


 リナは瓶をネミングに渡すと、アリアの縄をほどきにかかった。


 淡い青色をした瓶をネミングは眺めた。蓋を開けてみて、竜虫の体液なのかどうかを確かめているようだ。色に変化はないようである。誰かに試しに塗ってみて竜虫を奪われでもしたら元も子もないはずだった。ネミングにはこれが本当に竜虫の体液なのかどうかを判断する事はできないはずである。


「ふん……まあ良い」


 ネミングは瓶を机の上に置いた。瓶の中には数回分の体液が入っているはずだが、それでも貴重なものである。明日の朝まで使う予定はないはずだった。



「私は休む。下がれ。誰かが来たとしても竜虫が知らせてくれる。寝首を掻けるとは思わない事だな」

「そのようなこと……失礼します。さあ、アリアちゃん。向こうで治療をしましょう」


 縄でくくられた腕と、掴まれた首にはあざが残っていた。リナはアリアを立たせると、テントを出ようとした。こんなチャンスはないはずである。心臓の鼓動が、リナを押しつぶそうとしていた。


「待て」


 ネミングが言った。その手には先ほど渡したものではなく、リナが持っていたほうの体液の瓶が握られていた。寝ている間に竜虫とつながるために軽く塗ったのだろうか。


 うっすらと、ネミングの腕が赤く光っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る