第27話 捕われと秘密

 日の暮れたシトラリア、城壁の上には誰もいないはずだった。竜虫が降りたのは北側の城壁の一画である。本来であるならば、この位置にも衛兵の見張りがいるはずであったが、反乱と西を中心にシトラリアを包囲しているアラバニア軍のせいで、今は誰も城壁の上にはいない。

 アリアたちは知らなかったが、それはネミングの操る竜虫のせいでシトラリアの領民は完全に反抗する気概が失せていたためであった。


「さあ、町の中にはやく降りよう」

「ええ、まずは捜査官の協力者の所に……」


 アリアとしては両親やレッグを始めとして主だったものたちを安全な所に移したいのである。それが竜虫を使うことになったとしても、なんとかなると思っていた。アリアとエミリーを連れてきた竜虫は二人を乗せても十分に飛ぶことができたし、あと数人くらいならば乗せることができると思っていた。


 だが、その時にはすでにアリアもエミリーも気づいてしまっていた。最悪であったのはアリアだけが竜虫から降りてしまっていたということである。


「っ!?」


 間一髪の所で竜虫がエミリーをひっかけたまま上空へと飛んだ。

 さきほどまでアリアとエミリーを乗せていた所に、超大型の竜虫の牙が迫っていた。


「何かと感覚がおかしいとおもっていたが、そうか!」


 その竜虫の背でネミングが叫んだ。上空へと逃げた小型の竜虫の方をちらりと向いて、もう一度城壁に倒れこんでしまったアリアを見下ろす。


「お前はアリアだな? まさかリナ以外にも秘薬を持っているものがいるとは思わなかったが、これは思わぬ収穫だ」


 ネミングは竜虫から降りると、アリアの服を掴んだ。声と、たたずまいからアリアは甲冑の男がネミングだと分かった。リナが竜虫の体液の秘密をばらしてしまったのだろう。リナはどうしたのだろうか、などと様々な事を考えたが、今はここから逃げることが先決だった。


「放してっ!」


 だが、女の細腕で振りほどけるほどにネミングは弱くはない。むしろ貴族にしては十二分に鍛えあげられていた。さらに手に力を入れてネミングはアリアを乱暴に引っ張った。そのせいでアリアは城壁の上でろくに立つことすらできないままに引きずられる。


「アリア!」


 エミリーが上空からアリアを助けようとするが、大型の竜虫がにらみを効かせており、城壁には降りてこられない。そのうちアリアはネミングに引っ張られて、大型の竜虫の背に乗せられてしまった。


「アリア!」

「おい、あの小さいのを食い殺せ」

「!?」


 ネミングの指示とともに竜虫が飛んだ。エミリーを乗せた小型の竜虫は恐怖色とでもいうべき緑色の発色をしながら全速力で逃げる。


「ダメだっ! アリアが!」


 エミリーはなんとか竜虫をなだめようとしたが、思いは届かなかった。対して大型の竜虫は軽く威嚇をしただけで、積極的にエミリーたちを追い駆けようとはしていないようであった。


「ちっ、同族は襲わんのか」

 吐き捨てるようにして言ったネミングを、アリアは睨みつけた。


「何故、あなたが?」

「お前に応える必要はないな、黙っていろ」

 甲冑の籠手で襟首を掴まれ、アリアは身動きができなかった。鞄の中には吹き矢があったが、それもこの甲冑の隙間を狙うとなると心許ない。さらにはネミングを倒したところで上空へ浮き上がってしまった竜虫がどう動くかが分からなかった。


 竜虫はネミングとアリアを乗せたままにアラバニア軍の陣営へと戻っていく。


 エミリーと竜虫はそれをただ見ていることしかできなかった。


「竜虫、あれを追えとは言わないわ。私をあそこの城壁の上に降ろして」

 エミリーは下唇を噛んだ。血が滴る味がしたが、それ以上に自分のふがいなさを呪いたい気分だった。しかし……。


 城壁の上に降りたエミリーはあるものに気づく。それはアリアが持っていたはずの鞄だった。



 ***



「ザハラ、レッグを頼む」

「はあ?」


 アークはそう言うと支度を整え始めた。


「なんだよ、もう夜になるぞ。このまま今日はここに潜伏するんだよ」

「ザハラ、エミリーがアリアを連れてきているはずだ。俺の妹でレッグの許嫁だ。護ってやってくれないか」


 何もかも計画通りにはいかないものだな、とアークは呟く。


「おいおい、話が見えてこないんだが」

「アーク兄、何をするつもりなんだ?」


 完全にしたくを整えたアークは二人を見て言った。


「俺はこれからアラバニア軍の陣営まで行ってくるよ。浮島研究のアークが来たと言えばネミングも会ってくれるだろう」

「何故? 何をしに?」

 レッグはアークを睨みつける。こういった顔をした男たちをレッグは知っていた。彼らは自己犠牲の名の許に死に急ごうとする。

 しかし、なかなかアークは答えようとしなかった。


「だから、それで何をしようと言うんだ?」


 アークが単身乗り込んだところでできる事は微々たるもので、しかも生還の可能性はほとんどなかった。



「レッグ、覚悟はいいかと聞いた」

「ああ、覚悟ならできている」

「できればザハラにはこれを聞いて欲しくない。レッグとアリアの問題だ」

「ああ、そういう事なら俺は階下にいよう。アークが妹とレッグを護って欲しいというのなら、なんとかしようじゃないか。だが、死に急ぐような事は許さんからな」


 ザハラはアークとレッグという二人に魅せられていた。


 命すら惜しくないと言える何かがあれば、逆にその命に意味が見いだせる。


 ヘンリー=ウェスタの書いた「心の中の折れない芯」に書いてあった一節である。それをザハラは感じていた。アークもそのために命を賭けようとしている。それを尊重したいとも思っていた。


 ザハラが階段を降りていく。


「なんだよ、何の話だよ」

 レッグは嫌な予感しかしなかった。アークの口からとんでもないことが飛び出すのではないかと。実際にこれほどに深刻な顔をしたアークは見たことがなかった。


「まず、作戦が成功したらネミングが反乱を引き起こす手引きをしたという証拠の資料をねつ造してある。いや、本気で調査すれば本物がでてくるだろうが、これはザハラにも渡してある」

「なんだよ、もういなくなるような事言いやがって」


 アークは言葉に詰まった。言われてみれば確かにそうとしか聞こえようがない。


「いいから聞いてくれ」

 もはや説得する気も失せた。アークは一方的に通達することにした。でなければ、最後まできちんと伝える自信がなかった。

「多分、ネミングのことだ。竜虫を操る方法を知っているのはまだネミングとリナだけだろう。他の兵士たちに教えるとは到底思えない。竜虫を操る方法、おそらくはかつてのシトラリアが滅んだのはそのためだろう。つまり、今のネミングは、悪魔の騎士……というわけだ」


「あれが……」


 言われてみると、あれが悪魔の騎士であってもおかしくないとレッグは思ってしまった。一騎で一万の兵にも相当し、その存在は行き過ぎたものとして歴史に葬られたものである。

 かつてのレクタ=スクラブがその命を賭けて阻止した悪魔の騎士がなぜ蘇ったのかは分からない。だが、実際にネミングを止めることができる存在はシトラリアどころかアラバニア中を探してもいないだろう。


「悪魔の本に書いてあった内容が発掘されたのかどうかは分からん。だけどな、俺はリナから聞き出したから知っている……」


 ここまで話して躊躇することはないだろう、アークは自分の口がうまく回らないのを感じていた。これを言ってしまったらレッグは一生それを背負うことになる。だが、レッグにはその覚悟があるはずだった。アークはそれを信じた。


「竜虫の手懐け方、つまり悪魔の騎士の作り方を発見したのはアリアだ。ネミングはアリアを狙っているだろう。だが、今のうちにネミングとリナと俺がいなくなれば……」

「知ってるのはアリアだけになる……」

「お前はアリアを一生護ってやってくれ。俺はそれを誰かに悟られる前にネミングを始末しに行く」


 そういうとアークは一つの瓶をレッグに渡した。


「なんだ、これは?」

 うっすらと青く光るそれを見て、レッグは手が震えるようだった。



「竜虫のさなぎから採取された体液だ。これを体に塗ると竜虫に乗ることができるはずだ」



 これでレッグも知ってしまった。だが、アークはこの瓶を持っているわけにはいかない。リナが最小限のみを残して残りをアークに託した竜虫の体液である。実際にはアリアが更に半分ほど持って行ってしまったためにネミングの元にあるのはごく少量しかなかった。


「アリアに渡せ。駄目だったならば廃棄しろ」



 アークは隠れ家を飛び出した。これ以上いれば決心が鈍る。下の階でザハラと目があった。小さくうなずくと、ザハラも頷き返した。



 残されたレッグは、瓶を片手に項垂れるしかなかった。

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