第25話 歴史の闇と人の心の闇
かつて悪魔の本と呼ばれ、当時のアラバニア王国が総力を挙げて焼き払った書物が存在した。
シトラリアと呼ばれる弱小国で生まれたその本の危険性を主張したのはレクタ=スクラブという人物である。彼は自分の仲間を集めてその本に記載されているものを葬り去ろうと画策した。
だが、その活動は反乱と言われたあげくに失敗した。
レクタ=スクラブは多くの若者を中心とするシトラリア国民に慕われていた。彼の出版した自己啓発本は、生き方を変えるほどの力があったと言われており、そのために彼を支持したものは多かったのである。
シトラリア王国は、卑劣な手段を用いてレクタを罠にかけた。レクタを失った反乱軍はあっという間に崩壊した。
だが、レクタの信者とも言うべき人々はシトラリア王国にのみいたわけではなく、当時のアラバニア王国の中にもいた。そして、悪魔の本の危険性をもっとも感じ取ったのがアラバニア王国の上層部だった。
アラバニア王国軍はシトラリア王国は焼き払った。そもそも悪魔の本が存在しなかったということにするほどに、その行動は苛烈だった。
時の宰相は一つの案を提唱した。完全に葬り去ったということが証明できない悪魔の本。それを歴史的には他の本にすり替えることによって、もし後世に残った悪魔の本があったとしても重要視されないようにするという方法だった。
白羽の矢が立ったのはレクタの自己啓発本である。それは悪魔の本に反対する人々にとっては「聖本」とも呼ばれるほどに浸透していたものだったが、これを利用することにした。運よく、レクタを始めとして多くのものはシトラリア王国によって処刑されていた。
アラバニア王国軍は悪魔の本を自国に保存する一方で、シトラリア王国の壊滅を図った。悪魔の本には小国が大国を覆すことができるほどの力が秘められていたのである。
シトラリア王国はアラバニア王国軍によって壊滅し、その住民のほとんどが殺され、建物は焼き払われた。あまり大きくない国土のほとんどをしらみつぶしに焼き払われたシトラリアは、交通の便から復興が計画されるが、それには数十年の月日がかかるほどに徹底的に潰されたのである。
公式記録には、悪魔の本によって起こった反乱でそうなったとされている。首謀者はレクタ=スクラブ、もっとも悪魔の本に反対した人物はいつの間には悪魔の本を世に広めようとした大罪人として歴史に名を刻まれてしまった。
そしてアラバニア王国に持ち帰られた悪魔の本にも続きの話がある。極秘に持ち帰られ、研究の対象となった悪魔の本であるが、研究主任によって研究所ごと焼き払われた。彼の言葉はこうである。
「これは、この世に残して良いものではない」
処刑された研究者は最後まで後悔することはなかったという。自分はこのために生まれてきたとさえ言ったと言われている。
研究所の焼け跡から、一冊の焼け焦げた本が拾われたのはそれから数日後の事だった。
タバレロ家の長男は、その父親も含めて生涯誰にもこの本の存在を知らせなかったという。後世、彼の墓の修繕が行われるにあたって子孫に向けての手紙とともにその本は発見された。それを知るのはタバレロ家当主ネミング=タバレロとその姪リナのみである。墓の修繕を行い本を発見した者たちはもうすでにこの世にはいない。
『竜虫兵運用指南書』
悪魔の本と呼ばれ、シトラリア王国崩壊の原因となった本の正式名称である。竜虫の繁殖方法に加えて、竜虫をおとなしくさせその背に跨る兵の育成方法と、空を飛ぶという新しい兵種による様々な戦術が想像として記載されている。
当時、竜虫兵をしてレクタは「悪魔の騎士」と呼んだ。
その竜虫兵は戦の根幹を塗り替えるものであり、少数でもこれに対抗することは難しい。アラバニア王国の王城ですら奇襲が可能な竜虫兵の運用を開始するために施設を建設したシトラリア王国がそれを実用化させていたのならば歴史は大きく変わっていたことだろう。
だが、最終的に竜虫の研究はアラバニア王国へ全て持ち去られ、そこで消失した。
「シトラリアの反徒どもが降伏したらしいな」
黒い甲冑に身を包んだネミングは竜虫から降りると、リナに向かって言った。
「ネミング様、もう秘薬は残り少ないので竜虫を返してこなければなりません」
「本当に残り少ないのか? 貴様が嘘をついていると私は思っているのだがな」
「嘘ではないです。研究所も自宅も十分に調べたでしょう」
シトラリアを包囲しているアラバニア軍の陣営の中でも厳重に守られている一画に二人はいた。そこはアラバニア軍を指揮する者がいるべき場所である。
「まあよい、ここまでくれば反徒どもは何もできんだろう。主だったものを処刑して、シトラリアは我が領地へと変わるのだな」
邪悪な笑みだ、とリナは思った。すでにネミングから計画は聞かされているのである。
わざと、シトラリアの貴族をあおることで反乱を起こさせ、事前に用意してあった軍を使いシトラリアを包囲、そして竜虫で反乱の首謀者を殺すと同時に領民の心を折にいく。
どこからかクラッブ将軍がすでに革命軍へと寝返っているという情報を聞き出していたというから侮れない。
アークとアリアが巻き込まれていないことだけを祈る。リナにできる最後の抵抗は、竜虫に乗る事のできる秘薬が、竜虫の体液でできているという事をばらさないようにするだけだった。そして幸運なことに、竜虫の体液は半分ほどアリアが持って行ってしまっている。実際に残り少ないために、あと二回ほど竜虫に乗ればなくなってしまうはずのものだった。
さらには、両腕にのみ塗れば効果があるところを、全身に塗る必要があると説明してある。あまりにも希少なもので、さらに竜虫に乗った物がネミングに襲い掛かってきた場合に防ぐ手段がないという事実が、ネミング自身が竜虫に乗るという選択肢を選ばせた。だが、そのために竜虫はあり得ないほどの赤い色を発し、シトラリア領主館と駐留軍兵舎で大虐殺を行ってしまっている。
リナの心が壊れるのも時間の問題であった。日に日に焦燥した姿が、先日の虐殺から加速して悪くなってきている。
アラバニア軍のシトラリア占拠が始まったようだった。だれも、人同士で殺し合うことのない鎮圧戦のはずである。それほどに竜虫に乗った「悪魔の騎士」は圧倒的だった。
竜虫は大虐殺を行ったが、被害事態は最小限だったのではないか。
わざと反乱を起こさせ、それを鎮圧することでネミングがシトラリア領をかすめ取ろうとしている事を忘れてしまいたいほどに、リナの心は限界まできていた。
しかし、それに止めを刺すような声が聞こえる。
「鎮圧部隊に抵抗する者を紛れ込ませておけ。ある程度、数を減らしておかないと占領後の統治がやりづらいからな」
人口が半分程度にまでなるように、見せしめという奴だ、と言いながらネミングは幕舎の中に入っていった。上空へと戻っていった竜虫がどこにいくのかはリナには分からない。だが、あの竜虫はすでにネミングとつながっているのだ。
「アーク……」
無力を感じた時にはどうすればよいか。……誰もその答えを持ってはいなかった。
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