第24話 飛行と虐殺と悪魔の騎士
「待って! 待ちなさい!」
エミリーがアリアを見つけたのは近くの森の中だった。すでにシトラリアはアラバニア軍に包囲されており、反乱軍とのにらみ合いが続いているらしいとの情報を手に入れてから半日以上が経っていた。
「待たないよ!」
「何処に行くって言うの?」
アリアはエミリーの問いには答えなかった。最低限の荷物だけを背負って、森の中を突き進んでいく。目撃情報と足跡からなんとかアリアを見つけたエミリーは、それがシトラリアの方向ではなかったことに疑問を抱いていた。
「シトラリアにはもう入れない!」
「そんな事ない!」
アリアは泣いているようである。自暴自棄になって闇雲に森の中を進むのも危ないとはいえ、シトラリアへ向かっていなかったというだけでエミリーは少しだけほっとしていた。戦時中というのは何が起こるか分からず、アリアを護りきることができないかもしれないのである。
その分、アークが心配ではあったが、どう考えてもエミリーにできることはアリアを護る事だけだった。
「……」
アリアが振り返った。何かを考えている。
「エミリー、どうしても私についてくる?」
「ええ、もちろんよ。アークと約束したもの」
「じゃあ、これを腕に塗って」
取り出したのは瓶だった。中にはほんのりと青く光っている液体が入っている。光る液体なんて見たことのないエミリーは躊躇した。
「これは、なに?」
「それは教えられない。けれど、これを腕に塗らないと私にはついてこれないよ」
すでにアリアの手はほんのりと光っているようだった。少なくとも毒ではないのだろう。エミリーは覚悟を決めた。その液体を塗った腕は暖かく、何故だかほっとしたような気がした。
「これからどうするの?」
「驚かないでね、……竜虫に乗るの」
エミリーは内部捜査官としてたいがいのことには慣れていたはずだった。だが、それにしても竜虫に乗るというのは予想外である。エミリーの中では、いや一般の人々の中では竜虫というと、動く災害そのものであり近づかないように発生の情報を仕入れているくらいなのである。
「え? なんて言ったの?」
「だから竜虫に乗るの。そのためにそれを腕に塗る必要があるのよ」
竜虫研究の専門家のところで助手をしているというのは分かっていたはずである。しかしながらエミリーはこれから竜虫の近くに行くということすら常識の範囲外と思っていた。ましてや乗るだなんて……。
「すぐそこにいるよ」
「へあっ!?」
アリアは頭上を見上げていた。森の中にそれらしき音はしないが、竜虫はそもそもあまり音をたてない生き物というくらいはエミリーでも知っていた。
「おいで、またお願いね」
アリアが手を伸ばすと、そこにはアリアの体の二倍はあろうかという竜虫がいた。竜虫にしては小柄なほうである。
「まさか……これで……」
アリアが宿場町まであっと言う間にたどり着いた理由が分かった。何もかもが常識外な兄妹である。エミリーはもう、笑うしかなかった。
「エミリー、乗って」
アリアが手を伸ばす。その手を取って、エミリーは竜虫の背中に乗った。不思議と、アリアとも竜虫とも心が繋がったような感覚がした。
「お願い、私をシトラリアまで連れて行って。助けたい人たちがいるの」
アリアの思いが竜虫を介してエミリーにまで伝わる。これほどまでに必死に想うアリアを見て、エミリーは命を賭ける価値すらあるのではないかと、ぼんやりと思っていた。
竜虫がふわりと上空へ浮き始めた。初めて見る空からの風景はこの世のものとは思えず、シトラリアで戦争が起こっているなどという事を忘れさせてくれるものだったが、常にアリアの焦りがエミリーには伝わっていたのだった。
***
阿鼻叫喚、地獄絵図……、竜虫が舞い降りた領主館の入り口前は押し合うように詰めかけていた群衆にオーガスタの血肉が文字通り降り注いだことによって大混乱となった。
「フハハハ、いいぞ! お前には私の心が分かるのだなっ!?」
ほんのりと赤く光った巨大な竜虫の背に乗った黒色の甲冑を着た男が叫んだ。その男が指示するとおりに竜虫は集まった群衆を次々と引き裂いていく。
先ほどまでは領主を殺したことで大歓声を上げていた群衆は我先にと領主館から脱出しようとしていた。あちらこちらで誰かが転倒し、その上を踏みつけながら誰かが逃げようとする。狭い路地にさえ入ろうとする者たちのせいで押し合いが始まり、逃げ遅れた者たちから竜虫の餌食にされていった。
「あれは……竜虫か」
アークとレッグは領主館を視界にいれるくらいの距離まで来ていた。遅れてザハラが続く。
逃げ惑う群衆の波に逆らいながら領主館の方へと行くと、そこには暴れる竜虫と、その背に乗る黒い鎧の人物がいた。
領主館の周辺にはこの世の終わりかと思うような光景が広がっている。虐殺である。
領主を倒し、アラバニア王国との戦争も辞さないと構えていたはずの群衆はすでにいなかった。
巨大な竜虫、その大きさは二十メートルを超えるのではないだろうか。背に乗る人物がひどく小さく見える一方、その圧倒的な大きさと恐怖をあおる外見には敵う者はいないということが明白である。
「アーク兄、駐留軍でもなければあれの相手はできない。とにかく逃げよう」
「ああ」
レッグに手を引っ張られてアークも走り出した。だが、どちらへ逃げればよいのか。
「あんな奴の相手は駐留軍にしかできん! 兵舎へ急ごう!」
先を走っていたザハラが言った。
しかし、その上空を竜虫が飛んだ。方角は駐留軍が展開しているであろう兵舎の方角である。
「もし、もしだけどさ……」
レッグが言った。その顔は青ざめている。
「もしあの竜虫がクラッブ将軍の駐留軍を壊滅させたとしたら、アラバニア軍はこのシトラリアに攻め込んでくるんじゃないか?」
あの竜虫に乗っている人間がアラバニア軍だったとしたら。すでにこのシトラリアが反乱を起こすかもしれないという予兆は十分にあったのである。
ザハラはさすがに竜虫を手懐けることのできる人物なんて知らない。もしそんな人物がいればアラバニア軍は世界最強になっており、今頃は他国へ侵略が開始されているだろう。
しかし、だとするとあの人物は一体誰なのだろうか。上空を竜虫が飛んだ時に叫ぶような笑い声が聞こえた。男であるということくらいしか分からない。
シトラリアどころか、アラバニア軍にも牙をむけば、その損害は想像を絶するものとなるだろう。
「ネミング……」
アークの顔がゆがんだ。上空を睨みつけていた。
「僕はお前を許さない……」
足を止めてしまったアークは、そのまま空を睨みつけていた。その先は竜虫が飛んでいった先だった。
この日、シトラリアの革命軍は領主館につめかけて領主を殺すという暴挙にでたが、あつまった群衆は竜虫から逃げたために大混乱に陥った。
竜虫はそのあと駐留軍の兵舎へ飛び、八千にもおよぶ兵士たちを惨殺していったという。
クラッブ将軍は竜虫に殺され、駐留軍は瓦解した。広場に集まった群衆のところには竜虫はこなかったために、ヘンリー=ウェスタは生き残ったが、最終的にはシトラリアを包囲したアラバニア軍に降伏したという。
人と人が殺し合いをしたという記録は領主館での暴挙のみだった。
竜虫は、駐留軍を壊滅させると、そのままアラバニア軍の陣営へと戻っていったという。
かつて、レクタ=スクラブが命をかけてやめさせようとした計画があった。小国シトラリアで極秘裏に進められていたのは、竜虫の飼育と兵器としての運用である。
レクタはそれを「悪魔の騎士」と呼び、行き過ぎた力として警告した。国はレクタを罠にかけて殺したが、危機をさっした大国アラバニアに滅ぼされた。
ここに「悪魔の騎士」が蘇ったというのを知っているのはリナ=タバレロと、「悪魔の騎士」として自ら竜虫に跨ったネミング=タバレロのみである。
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