第20話 誰も聞かない声と愛称

「貴様、すでに研究が成功していることは分かっているぞ」

「何の事でしょうか。たしかに今一歩のところまで来ているとは思っておりますが」

「貴様が竜虫に乗って飛んだというのは分かっている」


 リナは顔に出さないようにして舌打ちをした。アリアが乗った竜虫が誰かに見られていたというのだろう。だからあれほど高く飛ぶなというのに、アリアには聞こえなかったようだった。


 最悪の状況が近づきつつある。すでにアークは自分の許を去った。去り際に、絶対に諦めないとだけ言い残して。彼が諦めなければなんとかなるという希望もあったが、現実は非情である。もしかしたらアークやアリアに危害が加わる可能性も大きかった。


「それは何かの間違いでしょう」

「白を切れるとでも思っているのか?」


 殺気をはらんだ視線がリナを貫き通すようであるが、今の状況でリナを殺すとは到底思えなかった。だが、何を言われるか分からない状況であり、とてもではないが思い通りとは言えない。


「貴様がそのつもりならば、こちらにも考えがある」


 嫌な予感がする。リナはこれからどうすればいいのか分からなくなってきた。



 心の弱い自分を、許してくれとは言えない。ただ、心の中にはアークの顔が浮かんでは消えていた。




 ***




 シトラリアで発生した暴動のきっかけは貴族の馬車だった。雨上がりの悪路であり、その貴族の馬車が通行するたびに泥をはね上げた。

 普段通りの光景であり、普段ならば泥をかけられたくらいで平民が貴族に対して怒り狂うことなんてなかったのだろう。だが、その平民は貴族の馬車に向かって石を投げつけると、その場から走り去った。石が馬車の中に投げ込まれた方の貴族は怒りとともに、その平民を捕まえてくるように叫んだ。そして従者が数人、路地裏に消えた平民を追い駆けた。貴族の周辺には、御者ともう一人しかいなくなった。

 従者たちは優秀だったのだろう。路地裏にまで逃げ込んだ平民を捕縛し、引きずって馬車のところまで連れて来ようとした。だが、その従者は馬車にまでたどり着くことなく、十数名の平民から袋叩きにあったのである。従者を撲殺した平民たちは、貴族の馬車に群がった。貴族が死んだ頃には、シトラリア中の領民が反乱を覚悟していた。


「時が来た! 我々はもう十分に耐えた! これからは己の足で立つことが必要だ!」

「「心の中の折れない芯を持て!」」

「我々は「彼」を迎えるためにも、このシトラリアを我々の手に取り戻そうではないか!」

「領主や貴族ではない! 我々を導くのは「彼」だ!」

「領主を倒せ!」


 領民たちの暴動は全く手の付けられない規模へと拡大していった。そんな中、ヘンリー=ウェスタたちは暴動を止めるようにと領民たちに呼びかけた。しかし、全くの無意味であった。それどころか、ヘンリー=ウェスタたちは暴動を起こす領民たちに担がれる形で中心へと押しやられてしまった。


「ヘンリー=ウェスタ代表! 「彼」はどこなんですか!?」

「今こそ「彼」が誰なのかを教えてください!」

「「彼」こそが我々を導く唯一の人物です!」


 ヘンリー=ウェスタの手の中にある「心の中の折れない芯」の著者は、誰も知らなかった。いや、それをヘンリー=ウェスタたち幹部とよばれる人々は知っているに違いないと、領民たちは思っていた。実際に幹部である数人は著者を知っている。

 この暴動は領民たちが領主を殺したところで終わることはないだろう。王国と戦うことになり、シトラリアは独立することになる。

 そのために、領民たちは新たな王ではなく、自分たちに正しい道を示す指導者を求めた。それが「心の中の折れない芯」を書いた「彼」である。


「ヘンリー=ウェスタ代表!」


 群衆にどれだけ落ち着くようにと指示を出しても、新たに集まる群衆の熱気によってかき消されてしまう。

 次々と、ヘンリー=ウェスタの許には暴動を起こした領民たちが何を行ったかという情報が運ばれてきた。ほとんどが、自発的にヘンリー=ウェスタたちの所に報せに来ているのである。


「ヘンリーさん、オーガスタたちが…………」


 ついに、過激派で知られるオーガスタとその仲間たちが領主の館を襲ったという報せがヘンリー=ウェスタの所にまで届いた。それを知った領民たちから歓声が挙がる。


 刻々と時間が過ぎるにつれて膨れ上がる領民たち。シトラリアに住むほとんどの平民たちが反乱軍と言ってもよいこの集団に加わろうと必死だった。


「ヘンリーさん……」


 仲間の一人が絶望的な声を上げる。もはや、引き返すことができないところにまで来てしまった。ここで止めたところで反乱の事実は変わらない。


「もはや、これまでか。覚悟を決めるしかないよな」


 脳裏にちらついているのは「彼」の事だった。その「彼」は今どこで何をしているのだろうか。安否が気になるが、それを知る術はないだろう。

 さらに言えば、ヘンリー=ウェスタにこそ「彼」が必要だった。

 膨れ上がった組織と、それを支持する領民たち。すでに反乱は起こされ自分たちでは制御不能な事態となっている。

 領民たちが求める「彼」は反乱の指導者である。しかしヘンリーの求める「彼」は苦難の時を支えてくれる友だった。


「もう……誰も俺を……」


 広場が見下ろせる城壁の一画で、なんとか領民を落ち着かせようとしていたヘンリー=ウェスタは項垂れるしかなかった。もう、自分の声は届かない。

 誰も自分を愛称で呼ばなくなったころから、ヘンリー=ウェスタは自分の声を誰かが聞いていてくれるという実感をもてなかった。

 自分は「彼」の代弁者だと、それでいいと思っていたが、「彼」は思想を普及することには否定的だった。その時点でヘンリー=ウェスタの声は誰の声だったのだろうか。


「はは、やっぱり俺じゃだめだったんだよ」


 大歓声をあげる領民たち、それとは裏腹に絶望するしかない頼りない代表。この反乱は絶対に成功することはないだろう。こんな自分がこのような場所に立っていていいわけがない。

 天を仰ぎ見るしかなかった。そこ以外を見て、領民の声に応える自信がなかった。


「ああ、どうすればいいんだよ……なあ……」


「ヘンリー=ウェスタ代表! 今こそ「彼」の名を!」

「シトラリア万歳! 心の中の折れない芯万歳!」

「「彼」を! 今こそ「彼」を!」



 狂気が広場を埋め尽くしていた。ヘンリー=ウェスタは全てを諦めようとした。


 だが……。


「情けない顔してるんじゃねえ、ハリー!!」


 ヘンリー=ウェスタは愛称で呼ばれながら、ガツンと腹を殴られた。それは十分に手加減をくわえられていたにも関わらず、手が届くまで近くに誰かが近寄ってきたのにも気づかなかったハリーの腹部に突き刺さり、一瞬であるが呼吸を止めた。


「れ、レッグさん……」

「泣きそうな顔するな!」



 そこに「彼」がいた。二人の関係は、いまだに同級生だった者同士であり、夜通し飲みながら語り合ったその日と何も変わっていなかった。

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