第18話 後悔と潜入計画
アークに会ったのはレギオス書籍店だった。ヘンリー=ウェスタは思い出す。
ちょうど、生まれて初めて写本というものをしたいと思ってレギオス書籍店でもっとも安い写本用紙を買った時だった。写本なんかしたことなかったために、レギオスの妻に色々と聞かなければ買い物すらできなかったが、あの時の高揚感は忘れられるものではなかった。
その時の自分は体調があまり良くなく、アークとは一言も話していない。その代わり、アークの妹と会話を交わしたのを覚えている。アリアさんは今、何をしているのだろうか。多分、今出会えばアリアさんは自分のことを愛称で呼んでくれるに違いない。
ヘンリー=ウェスタはそんな事を考えていた。
「本当に、うまくいくでしょうか」
アークたちが出て行ってから、仲間の一人がそう言った。ヘンリー=ウェスタも自信があるわけではない。だが、このまま行くとシトラリアは大変なことになり、自分たちには打開策がなかったというのは事実だったのだ。
今日は他にも会わなければならない人がいると、アークはすぐに出て行った。すでに彼の中では計画が始まっているのだろう。結局、本日はアークの「別の目的」というのを聞くことはできなかったが、ある程度の想像はついた。王都の大貴族ともめているのかもしれない。
「オーガスタのところの一派が、一番動きが激しいのかな」
そう言ってしまった時点で、ヘンリー=ウェスタはアークの案に乗ってしまったのだろう。罪悪感が力強く主張をしてくるが、それ以上に現状打開による安堵を求めている自分がいた。
かつての仲間であるオーガスタは過激派の代表と言っても良かった。共に酒を酌み交わしていた頃には心が熱く好感が持てる男だと思っていた。
いまだにオーガスタを嫌うことはできていない。むしろ、同志だと思っている。目指す先は一緒で、時代が違えば最終的に同じ道を歩いていたはずだった。だが、その手段が違うオーガスタは過激派と呼ばれ、暴動を起こしかねない派閥の頂点に立っている。
「俺は、こんなになるまで何もできなかったんだな」
仲間に気づかれないようにつぶやいた。自分の無力感が後悔を呼び起こす。だが、もう後戻りなどできる段階ではない。
「あの頃に戻りたい」
次の日に支障がでるほどに、浴びるように酒を酌み交わした夜。明け方まで語り合った友は自分とは違って次の日も仕事をしていたと後から聞いた。そう言えばオーガスタもあの場にはいた。
今でも友はヘンリー=ウェスタの相談なら快く聞いてくれるだろう。だが、同志にはならないという。
活動を始めてからというもの、彼のように自分のことを愛称で読んでくれる人はもうほとんどいない。敬意を払ってくれるのは嬉しいのだが、その敬意は本来はヘンリー=ウェスタに向けられるものではなかったはずだった。
ヘンリー=ウェスタはこの時も本を手放すことができなかった。彼の書いた本を。
***
「なんでもういるの?」
エミリーは急いだ。できる事はほとんどないが、情報を仕入れることくらいならばできるのである。後ろから早馬がくる気配はなかったし、検問は何の問題もなく通過できた。やはりアリアを探していたようで、一人旅をする女性ということで一旦拘束されかけたが、人相が全く違うエミリーはすぐに開放された。
あとはアリアを信じるだけである。シトラリア領へと入り最後の宿場町に入り、アリアが来るのを待つのだ。他の協力者たちからも広く情報を仕入れる必要があった。いくらでも待つつもりである。だいたい一週間ほど待って、その間にできる事というのを考えながらエミリーは馬車を走らせていたのである。
「へへへ……」
アリアは先に宿場町についてエミリーを待っていた。
「どうやったの?」
「内緒」
しかも半日ほど早くである。アークに最初に会ったときも驚かされたものであるが、アリアにも驚かされるとは思わなかった。
ちなみにアークに出会った当初はいきなり捜査官であることがバレた。アークはエミリーが捜査官であることを誰にも言わなかったために、エミリーはそのままアークとの付き合いを続けている。軍上層部にばれたらかなり厄介であるが、その時はその時だとエミリーは思っていた。
アークはその関係をある種の切り札として今まで保ち続けるという強かさを見せ、今に至っている。
アリアはすでに両腕を洗い終わっている。ほんのりと水色に輝く腕を見ていればエミリーも先回りされてしまった理由が分かったかもしれない。その輝きというのは竜虫に特有のものだ。
リナにほのめかされたためにアリアは竜虫の事をエミリーには話していない。捜査官としてある程度の情報を持っていたエミリーであるが、さすがにアリアが竜虫に乗ることができるとまでは思っていなかった。
「まあ、結果としてはとても良いからもう追求はしないわ」
すでにアークとの付き合いからも何かを諦めているエミリーは、これからの事を話し合うと決めた。
「このまま単純にシトラリアに乗り込むってのもありなんだけど、それだとアークの邪魔にならないかしら」
エミリーは懸念を口にした。基本的に考えの中心にアークがいるというのは本人ですら気づいていない。
「たしかに、もう少し情報が欲しいところではあるけれど、それよりも父さん母さんが心配だよ。他にも心配な人は沢山いる」
レッグを想い、少しでも早くシトラリアに行きたいとアリアは思う。そこでできる事というのは限られているかもしれないけど、現状が分からない以上はそれ以上考えようがないと腹をくくっていた。
逆に、アークの邪魔にならないかというエミリーの意見も分かる。シトラリアに帰るにしてもレギオスの娘でアークの妹であることを大っぴらにしながら帰るというのは何も考えていないやつのすることだと、エミリーは言い、アリアもそうだと思った。
「つまりは変装していくってことね」
「まあ、そうとも言うけれど」
どこまでも前向きな話にもっていこうとするアリアに少しだけ眩しいものを感じながら、エミリーはこれからの作戦を提案した。
「シトラリアにも協力者はいる。捜査官だっているわ。一人はアークについてもらっているけれど。その人たちを使って、アリアが安否を知りたい人の事を調べましょう。直接会っても大丈夫かどうかの判断はそれからよ」
思ったよりも革命軍と駐屯軍は一触即発の状態なのだとエミリーは言った。シトラリアの町のどこかで暴動が起きたらもう止められないのではないかというのをどうしてもアリアは理解できなかった。あのシトラリアが一年足らずでそんな事になっているだなんて。
まずは協力者の所で匿ってもらう。そして、そこで情報を集めながらアークと連絡を取ろう。
エミリーの提案にアリアは頷いた。
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