第12話 凶刃と凶刃

「あの、エミリーさん? 今日はどうして?」

「え? だって、私は貴方に興味があるって言いましたよね?」


 日刊アラバニアンの記者と名乗ったエミリーは、数時間ほどアリアの話を聞いて、良い記事が書けそうだとカフェを後にした。アリアとしては当たり障りのないことばかりを答えていたし、エミリーもそこまで変な質問をしてこなかったのである。

 だが、翌日に図書館で本を読み漁っていたアリアの前に、エミリーはまたしても姿を現した。


「私って、色んな部署をかけもちしててね」


 急に砕けた口調で話すエミリーに、アリアは逆に親近感が沸いた。


「基本的に詳しい取材は他の人間に任せて、色んな人が興味を持つ話題だけを探していると言えばいいかな? 要はちょっとした特別扱い枠なのよ」


 帽子を脱いで埃を払うしぐさをしながらエミリーは言った。綺麗な金髪の髪がアリアには羨ましかった。

 だから、貴方の事をもう少し……エミリーがそう言おうとした時だった。


「ねえ、私と友達になりましょう!」


 アリアがそう言うと、エミリーはきょとんとした顔になった。よほど予想外の言葉だったのだろうか。


「まさか、貴方の方からそう言われるとは思わなかったわ。こっちから言おうと思ってたのに」


 本を閉じると、アリアはエミリーの手を握って言った。


「私もね、貴方に興味があるの。だから、私がシトラリアに帰る日まで退屈凌ぎをさせて」

「友達になろうとしている人間を捕まえて退屈しのぎって言わないでよ」

「はは、ごめん」


 新聞記者ならば、さまざまな事を知っているに違いない。もしかしたらシトラリアの情勢にも詳しいかもしれなかった。アリアにはそれだけでも十分であったが、それ以上にエミリーという女性が好ましく思えた。


「そうね、私も取材とか必要になることも多いから四六時中一緒にいられるわけじゃないけれど」

「それよ! べつにお金はいらないから取材についていってもいいかな?」


 えぇ!? と、エミリーは口にだしていたが、その表情はむしろアリアを歓迎していた。


「いいわよ、でも少額だけど協力費は払いますからね」

「やった! 新聞記者っていうのにも興味があったのよ」


 シトラリアに帰って、レッグの食堂を手伝う以外にもアリアはやりたいことがあるのではないかと思っていた。アリアが別の仕事をしていたとしてもレッグなら心配いらない。それよりもレッグにふさわしい妻になるには自分を高めることだと、アリアは思っていた。そのための好機かもしれない。今は、というよりもリナに会ってからずっと、アリアはチャンスを逃す生き方をするつもりなんてないのだった。



「それで、今日はどこの取材に行くの?」


 新米の新聞記者助手としてのアリアが言う。


「そうね、今日はアリアに出会ってみて、アリアの興味のあるものを見に行こうかと思ってたんだけど、私と一緒に取材をする立場になってしまったから……」


 顎に人差し指をつけてエミリーが考える。多分、これはエミリーの癖なんだろうな、とアリアは感じた。


「ねえ、竜虫の研究で分かった事の中で、研究には関係ないけど面白かったってことない? 研究のために確かめられなかったこととかあったのなら、それを見に行きましょう」


 路地裏に入る。とりあえずはアリアが竜虫を見たという一番近い村へと連れて行ってくれとエミリーが言ったから、馬車を借りるつもりだったのだ。こちらが近道だからと、アリアが先を歩く。



 大通りから見えないくらいの場所まで歩いて、エミリーはそっと、背中の鞄から短剣を取り出した。




 ***




 シトラリアの町へと出る。市場は賑わい、人通りの多い商店街はぶつからずに歩くことができないほどだった。だが、その人々の顔が輝いているわけではない。潤っているのは一部の人間のみなのだろう。貴族の馬車などが通ると、舌打ちが聞こえてくることもあった。


「いつの間に、こんな殺伐とした街になったんだろうか」

「この半年ってくらいかな。やっぱり税が重すぎるんだろう」


 シトラリアを任されている領主の評判ははっきりと言って悪い。王都で生活をしてきたアークからすると、公共の福利厚生はまったくなっておらず不潔な生活環境が広がるところも多いのである。

 アークとアリアが住む場所は比較的に裕福な者たちが多い場所だった。しかし、シトラリアには他にもスラム街と呼ばれる場所が複数存在する。その日の暮らしもままならないような人々が、道で野垂れ死ぬような環境で治安が良くなるわけではなかったが、そこの住民はそのスラム街に押しやられて外に出て来ようとはしなかった。

 駐留軍の主な役割は、町中の犯罪の防止抑制であり、そのほとんどはスラム街から出てくる者の監視と妨害である。


「僕がこの町に住んでいたころはここまでじゃなかった」

「アークが住んでいたのはいつだ?」

「三年と少し……」


 レギオス書籍店の近くまで来た。街頭で演説をしている集団を見かける。


「我々は立ち上がるべきだ! 圧政に負けてはならない!」


 しかしすぐに衛兵たちがやってきて演説をしようとした人々を拘束しだした。ほとんどは逃げてしまったが、数人が捕縛されている。


「あれだよ、最近多いんだ」

「その中心にいるのが?」

「革命軍、俺たちは反徒と呼ばされているけどな。……正直な話、人気が高い」



 一般的に領主に逆らう領民なんてものはほとんどいない。領民は領主の物とでもいう体制がすでに数百年以上続けられている。その分、評判の悪い領主の許には領民が集まらず、領民たちもある程度の税率には耐えてきた。自発的に政治の事を考える必要もなければ、考えたとしても意味がないのである。領民は考えることを放棄しやすい環境におかれていた。

 貴族と平民の差というのは大きい。軍部においては貴族と平民で差がでないように軍律が重視されるが、上層部へあがるのは貴族のみであり、裏では平民は貴族の手駒としか認識されていない。現実的には軍においても貴族は貴族である。


 ザハラは平民出身である。能力だけで内部捜査官に任命された。逆に言えば、貴族に内部捜査官は不可能である。染みついた考えがどうしても偏見を持たせる。そうでなくても平民の生活をしらない者に情報収集は不可能だった。


「この町は、たしかに評判が悪く税率も高いんだが」


 贅沢をする平民などはほとんどいない。大商人などを除いてほとんどの平民がちょっとした贅沢だけを糧にその日を生き続けている。


「領民の政治への意識が高いというのは事実だな」

「僕がいなかった数年で、何が起こったんだ? 悪魔の本か?」

「革命軍は一種の宗教のようにシトラリア領民に根付いている」


 領主の私兵のみではすでに街頭演説すら抑制することができない。暴徒と化さないのは、むしろ領民たちが「悪魔の本」を読みこんでいるからではないかとすら、ザハラは思っていた。


「俺も、すでに悪魔の本に洗脳されてしまっているかもしれない」

「馬鹿馬鹿しいね。あの本を読んだだけで君が洗脳されているんだとしても、あの内容は自分で考えること自体を主体としていた。洗脳が洗脳の意味をなしていないよ。常に絶対的な尺度を持って物事を考えるのではなく、柔軟な発想と向上心を大切にしろと言っているようだったからね。著者はそれを心の中の折れない芯と表現していたが、文才もあると感じたよ」


 アークも洗脳されてしまったのではないか、ザハラはそう思ってしまった。あの短時間で一通り読んだだけなのに本に書かれている主張を言い当てていると思う。ザハラはここまで完璧にあの本を言葉で表現する自信がなかった。



 レギオス書籍店は無論のこと、完全に閉鎖されていた。鍵を預かってきていたアークは扉を開ける。中は明かりがついておらず、不気味に薄暗かったが荒らされたような跡はなかった。


「これは……」


 写本台の上には写本しかけの本が一冊置いてあった。悪魔の本ではない。父親が普段通りに仕事をしている中で、乱暴なことはされずに書籍店を出たというのを確認できただけでもアークはほっとした。


「さすがに悪魔の本の写本は全て回収されたみたいだな」

「そうだね。だけど、父さんと母さんの店が荒らされてなくて良かった」

「一応は、軍がこの店の調査は終えているはずだが、調べるか?」


「いや、いい。……それよりも」



 そこで、店の扉が開いた。黒い外套を着こんだ人物が入り口に立っている。

 この暑い中、外套を着ている? ザハラの直感が危機を報せていた。


「アークだな、死んでもらう」



 黒ずくめの男が外套を脱ぎその手に握られていた短めの剣を抜いたのと、ザハラが抜刀したのはほぼ同時だった。

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