第11話 悪魔の本と捜査開始
「浮島研究のアークって言えば、俺でも知ってるぞ?」
正確にはザハラが演じている二等兵でも、である。内部捜査官であるザハラはそのような話題の人物は必ず頭に入れることにしていた。まさか浮島研究のアークとは思わなかったが。
週刊アラバニアン、王都で日刊で販売されている新聞の中から先週のトピックだけをかき集めたものが地方都市ではよく購買されていた。王都にいる時と情報の鮮度が変わってしまうのであるが、それでも地方にいる者たちにとっては最新情報と言っても過言ではないものが記載される。
その中でも浮島の研究が進んでいるというのはちょっとした人気の話題だった。
「そんなたいしたもんじゃないさ」
「いや、でも……」
たいしたものではないと言われても信じられるわけがなかった。浮島の発生原因を究明し、その進路を予測するなんてことはこの数百年かけて誰も解明できなかったことであり、それをたった数年で突き止めてしまった天才、ゴシップ好きな新聞がこぞって取り上げたにもかかわらず、当の本人は取材を全て断ったという。
だが、ザハラは思う。それだけに残念であると。いや、将軍もそう思ったからこそザハラを監視につけたのだろう。むしろアークの父の無罪を証明しろとでも言うように。他にもザハラの知らない理由があるかもしれない。
「とにかく、父さんが無実だというのはまだ証明されていないだけで、将軍ですら疑いもしていなかった。だけど、こんな事になったのは何故なのかという所から突き止めないとな」
アークの思考は実に単純である。ザハラはいつだって聡い思考というのは単純であり簡素であるべきだと思っている。その点、アークの言ったことはもっともだと思い、やはりアークは優秀なのだと再認識した。
「一応、噂程度のもので良かったら俺の知ってることも教えるよ」
「それは助かるね」
最近、シトラリアを中心として平民の動きが活発であるらしい。貴族に逆らうなんて、というのが常識であるこの時代に、平民が平民としての主張をするというのがどれほど危険な事なのかというのは誰でも知っていた。
だが、ここシトラリアの平民は死を恐れていないのか、貴族であろうが軍であろうが納得できないものに関しての抗議を止めることはない。
シトラリアを治めている領主とは別の組織として扱われている駐留軍の将軍が、昔ながらの考えの無能者であったならば、今頃は暴動へと発達していただろう。領民の代表との話し合いを進める将軍にはどれだけの負担がかかっているのかと思いつつも、その手腕がシトラリアを保たたせているとザハラは思っている。その分、領主の評判は非常に悪い。
しかし、軍上層部はそうは思っていないようだった。将軍の功績を認めつつも、領民たちにそのような行動をするように煽る黒幕がいると確信しているようである。それを上層部たちは「反徒」と呼び、「反徒」は自分たちの事を「革命軍」と呼んでいるそうだ。
自分たちの事を革命軍と呼ぶ集団があるのは確からしい。だが、その組織の全容が掴めない。そのために軍上層部はザハラを始めとした内部捜査官に、軍の中に反徒とつながりのある人間の洗い出しを指示している。ザハラは反徒に関しての情報をある程度持っていた。
どこまでをアークに話すかを思案する。意外と、アークは自分にはできない発想で反徒たちの情報を掴むかもしれない。
「上層部は反徒たちがある一つの思想の許に集まっていると考えていて……」
これは賭けだった。アークであればザハラがただの二等兵ではないという事を気づくかもしれない。しかし、その情報の共有が事態を進展させるかもしれない。特にレギオスからの情報というのが欲しい。芋づる式に反徒たちの構成が分かるかもしれなかった。
他にもザハラが欲しいものがある。それは駐留軍とは別に領主の私兵たちの動きである。こちらの方面に関して、ザハラは少しだけであるが手こずっていた。
「これ、……これが上層部が懸念している本だ。反徒たちが持っている。俺が持っているというのがばれると不味いから、読むならここで読んでくれ」
ザハラは一冊の本をアークに渡した。かなり読み込まれたのか、それとも紙の質が悪いのか、薄汚れたそれをアークは広げる。
「……読む前に覚悟をしたほうがいい。それは……」
「多分、悪魔の本だ」
***
「これが? 悪魔の本? 僕には悪魔の本どころか、人としての正しい生き方の一つを示した本にしか見えないな。賛同できる部分は多くあるし、それ以外もあるけど、著者はそのことも十分に分かっていて最後は自分で考えるようにと言っている」
アークが本を読み終わるのは速かった。ザハラはまだ紅茶の二杯目を飲み切っていない。兵舎においてあった紅茶はそこまで上等なものではなかった。
「躊躇なく読んだ感想がそれか。たしかに、俺もそう思った」
「なんでこれが悪魔の本だなんて言われているんだい?」
「領民が、あまりにもシトラリアの領民が自分の主張をするんだよ。しかもその主張が特に論破できるようなものでもなければ、駐留軍ですらその通りだと納得してしまうような事ばかりでな。最近のシトラリアの活気には気づいているか?」
急激に経済が好調になったのはそういった理由からか、とアークは冷めきっていない紅茶を飲み干した。
「レギオス殿が拘留されている理由は、その本の写本を仕事として受けていたからだ」
「そうか、父さんならこういった本の写本は進んで受け入れるだろうね」
「それなりの数を写本したらしい。これはある人からこっそりもらった一冊で、レギオス殿の写本だ」
「思想が危険というわけでもなさそうだが……」
領民の多くに浸透したこの思想本が反徒たちに関係している。むしろ、反徒はこの思想本を使ってシトラリアの領民たちを焚き付けているのだろうというのが、駐留軍の、いやアラバニア軍上層部の見解らしい。まったくもって馬鹿馬鹿しい。自分たちの支配を正論を持って批判されたから逆ギレしたというのがザハラの正直な感想だった。
「でも、領民のほとんどがこの本を読んだってことだろ?」
「ああ、今は禁止されているけど隠し持っている領民は多いだろうな。隠れて写本もされているだろう」
「なんで、父さんだけが捕まっているんだ?」
「元をたどっていくと、レギオス殿の書籍店にたどり着くことが多いんだとよ」
かなり深いところまで喋ってしまった。ここまで来るとザハラがこの問題を調査していたというのは分かっているだろう。アークはそれを将軍からの好意と受け取るだろうか、それともザハラの正体を正確に読み取るだろうか。ここら辺りにしておくか、とザハラはこれ以上の情報は垂れ流さないことにした。
「まだ、情報が欲しいな……」
アークは集中して思案しているようだった。
「さすがにこれ以上の情報はないぜ」
これでもザハラは喋り過ぎているのである。
「よし、じゃあ足りないならば集めるしかない。情報収集に行こう」
「行こうって、何処に行くんだ?」
「まずは父さんの店だよ。将軍にある程度捜査みたいなことをしてもいいという許可はもらったから、他にも思いついた所があったら行くつもりだ」
「じゃあ、ついて行くよ」
この暑いのに、外に出るというのはつらいがこれも仕事だとザハラは切り替えた。
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